ねぷたの大きさと照明の変遷 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

海老蔵「にらみ」の扇ねぷた・書き割り
海老蔵「にらみ」の扇ねぷた・書き割り

鏡絵の下書き 鏡絵に使う和紙の繋ぎ合わせ 1986.8.5 弘前建設業協会・絵師 斎藤 北明(初代) 舞支度(見送り絵) ねぷた絵を際立たせる照明の変遷ですが、大正時代までは和ローソクを使用。戦前までは洋ローソクを使用。

戦後10年間はカーバイト(アセチレンガス)使用。昭和30年以降はバッテリーを使用しています。昭和50年からは発電機もねぷたに搭載され始め、現在ではそれがほとんど主流を占めています。

ねぷたの大きさですが、本ねぷた全体の大きさは平均して高さが7m程度です。高さが9.5mのねぷたが出ましたが、ねぷた運行の際に電線が邪魔になり5.5m位に縮んで運行された所もありました。

そうなるとねぷた絵の半分が開き(牡丹絵)によって見えなくなります。弘前で大型ねぷたを見るのは難しいですが、隣町の平賀では道路が広いので大型ねぷたが出陣します。

私は、鏡絵よりも見送り絵や袖絵に興味があります。形式ばった鏡絵よりも、見送り絵は形式と言う制限がありません。ここでねぷた絵師の価値や裁量が決まります。

昔から日本画はあったのですが、いかんせん描く絵師が少なかったのであまり目立ちませんでした。先代の斎藤北明が描く日本画は、街中で絶賛されたものです。

右横の写真は弊ブログ管理者が撮影した1986年8月5日に弘前市百石町で運行された 弘前建設業協会・絵師 斎藤北明(初代) 舞支度(見送り絵)です。画像をクリックすると拡大されます。

海老蔵「にらみ」の扇ねぷた・色付け
海老蔵「にらみ」の扇ねぷた・色付け

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