

女装のレパートリーは広く、あの当時の有名どころの歌手で松田聖子・中森明菜などを中心にラジカセの大音量を口パクで歌っていました。誰のマネをしているのか分かりやすいように腰の辺りで大きな名札を下げているのが特徴です。
そんな時にそのおじさんから、赤い文字で書かれたパンフレットをもらいました。当時は、スポーツ新聞にもおじさんがネタとして掲載されてスクラップにして段ボールに入れて大切に保存してブログのネタに使おうとしたのですが、実家の部屋の底に埋もれてしまって公開することができません。
当時の記事とパンフレットをお見せすることができないので、ヲタキッシュさんの記事から写真だけを引用させていただきました。
当時大学生だった私は札沼線(JR 学園都市線)で札幌から大学前(現・北海道医療大学)まで通学していたのですが、おじさんは篠路に住んでいたようです。自宅兼スーパーマーケットだったところで、社長業をやっていたそうです。
平成になって札幌から関東に引っ越したので、おじさんの動静は分からないままでした。どうやらお亡くなりになっていたそうです。
亡くなったおじさんの本名は、高石敬三さんと言うお名前です。札沼線沿線に住んでいたので、勝手に札沼おじさんと呼んでいました。
