

1948年の『映画評論』に「論壇時評」を書くなど、大学時代から映画評論の仕事を開始。1951年(昭和26年)、新制東京大学卒業。
1970年(昭和45年)4月から1987年(昭和62年)9月までTBSテレビ『月曜ロードショー』の初代解説者を務め、同番組終了後、1987年10月から同局の火曜日の『ザ・ロードショー』の解説者を務め、没年の5月に体調不良で休むまで続けた。落ち着いた雰囲気で視聴者に語りかけるスタイル、そして映画が始まる前はストーリーには極力触れず、出演者やスタッフにまつわる話に絞った解説はおしなべて好評であった。
1988年(昭和63年)春から体調を崩し入院していたが、同年7月2日8時56分、肝不全により順天堂病院で死去。62歳没。墓は西日暮里の本行寺にある。没後、蔵書類は遺族から京都文化博物館に寄贈され、「荻昌弘文庫」として保存されている。