JR松前線 | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

さよなら松前線最後の列車が走る 第1部

松前駅名標国鉄松前線は軍需物資(マンガン鉱)の採掘のため急ピッチで建設が進められ、1942年(昭和17年)に福山線として渡島吉岡まで開業した。太平洋戦争後はすぐに工事が再開され、1953年に松前(渡島福山)まで全通し、松前線に改称された。計画では、マンガン鉱採掘のため松前町内の大島地区まで24.0kmが延長することとされ工事も進んでいたが、戦後はその必要もなくなり放棄された。

1980年の国鉄再建法施行により、1984年第2次特定地方交通線に指定され、並行する国道228号の状況が良好であったため、1987年に日本国有鉄道(国鉄)から北海道旅客鉄道に承継された後、1988年に廃止、バス転換された。輸送量の多い五稜郭 - 木古内間が江差線に含まれたため、松前線より輸送量の少なかった江差線木古内 - 江差間が生き残り、松前線が廃止されるという皮肉な結果となってしまった。線路名称の設定が路線の運命を分けてしまった例である。ただし、江差線木古内 - 江差間は2014年5月12日に廃止された。

さよなら松前線最後の列車が走る 第2部

松前線単独でも、存続基準をぎりぎりで満たさないというレベルで、「乗って残そう運動」により基準をクリアした年度もあった。しかし政府側の追試によって、昭和59年度(1984年度)に再び基準を割ったとして、廃止を免れることはできなかった。また青函トンネルの開業と時期が近かったのは偶然だが、地元には津軽海峡線と引き換えの廃止と考える人が少なくなかった。

さよなら松前線最後の列車が走る 第3部

松前駅名標ここにupしたYouTubeのビデオは作者が自由に使ってくださいとのことで弊ブログでも使わせていただいたが、素晴らしい出来で一人で見ていると涙腺が刺激されて涙が止まらなくなってしまう。昭和のうちに開業され、昭和のうちに廃止される鉄路・・・何と儚い運命なのか。昭和63年1月31日で廃止されたので、既に27年もの歳月が経っている。ちなみに松前線は昭和62年9月5日に訪問している。右写真は、当時撮影した千軒駅の駅名標。松前線の廃止当時は、同じ時代を生きていた。

こんな悲しくて儚い運命を背負った鉄路があったことを今の平成生まれの方々は御存じだろうか?名もないアラフィフの弊ブログだが、この映像と記事が心の琴線に引っかかった方は是非感想をお聞かせ願いたい。