タンボフ | スチャラカでスーダラな日々

スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

カザンの聖母寺
カザンの聖母寺

Wikipediaより抜粋
タンボフ市旗タンボフ(露:Тамбо́в)はタンボフ州の州都。人口は293,658人。

1779年、タンボフに副王が設けられ、1781年8月16日にはエカチェリーナ2世が町の紋章を認可した。ミツバチの巣の描かれた紋章は、町の住民がよく働くことを表している。1786年3月にはロシアの大詩人で政治家だったガヴリーラ・デルジャーヴィンがタンボフ県の知事に任命され、1788年12月まで務めた。2年余りの短い期間に、デルジャーヴィンは劇場、大学、ダンス学校、印刷所、新聞、オーケストラ、レンガ工場などを開設するという傑出した業績を挙げた。後にデルジャーヴィンの記念碑がタンボフに建設されている。1830年11月、コレラの流行で大暴動が各地で起きた時期、タンボフでも市民が知事を襲う事件が起きているが正規軍により鎮圧された。

19世紀にはタンボフは多くの学校や図書館、研究所が建てられ、ロシア有数の文化・教育の中心となった。1897年にはタンボフの人口は5万人を超えていた。

ロシア帝国の末期以来、タンボフではしばしば農民反乱が起きた。ロシア内戦後期の1920年から1921年にかけ、タンボフ周辺ではアレクサンドル・アントーノフが率いるボリシェヴィキや赤軍に対する大規模な農民蜂起が起きたが(タンボフ反乱)、毒ガスなどを用いる赤軍により鎮圧された。

タンボフの大聖堂
タンボフの大聖堂