![トヴェリ州旗](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Frussiatrek.org%2Fimages%2Fflag%2Ftver-oblast-flag.gif)
Wikipediaより抜粋
![トヴェリ州の位置](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F3%2F34%2FMap_of_Russia_-_Tver_Oblast_%25282008-03%2529.svg%2F300px-Map_of_Russia_-_Tver_Oblast_%25282008-03%2529.svg.png)
トヴェリの町は12世紀に興り、トヴェリの名の文献における初出は1164年に遡る。もとノヴゴロドの商人の小さな交易拠点であったトヴェリは1209年にウラジーミルの大公の手に渡った。1246年に英雄アレクサンドル・ネフスキーがトヴェリを弟のヤロスラフ・ヤロスラヴィチに与え、1247年よりトヴェリ公国の首都となり代々ヤロスラフの子孫が公の地位を継いだ。トヴェリ公国の公のうち4人は侵入してきたモンゴル人のジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)との戦いで戦死し、後にロシア正教会により列聖されている。
深い森と沼地だったトヴェリでは開墾が進み、トヴェリ公国はルーシ諸国の中でも有数の豊かさと人口を誇る強国となった。タタール人に襲撃されにくい西北に位置したため、荒廃の極にあったルーシ南部からは人口の流入も絶えなかった。13世紀の末にはモスクワに対抗してルーシの覇権を争う力をつけてきた。トヴェリもモスクワもロシアでは若い都市であり記録も少ない。