Wikipediaより抜粋
三枝の国盗りゲームは、ABCが制作してテレビ朝日系列で全国放送されたクイズとゲームをミックスした複合番組である。青森県では、遅れ放送で土曜日の昼12時にATV(青森テレビ)が放送した。
放映期間は1977年10月2日~1986年3月20日。
当初は毎週日曜日午後にABC、テレビ朝日で放送されていたが、半年後の1978年4月から全国ネットになり、毎週日曜日の18:30~19:00で放送、そして1979年4月から木曜19:30~20:00に移った。
緑・赤・白・青の4人の解答者(一般視聴者)が対戦する個人戦で、前半のクイズコーナーと後半の坊主めくりゲームとで構成された。
観客席真正面に置かれた、長四角を組み合わせて日本列島を模したパネルが特徴。解答者はそのパネル上で「国」に見立てた47都道府県の陣地争奪戦を繰り広げた。
オープニング(タイトルコール)では、法螺貝の音に矢が的に突き刺さった効果音が流れた。
収録はABCホールでの公開放送だった(『世界一周双六ゲーム』と隔週で収録した)。
コーナー前半は早押しクイズで、正解者はその陣地となる都道府県を1回の正解につき2箇所獲得出来た。
都道府県の中で「小判」の絵が4箇所(5箇所の時もある)、「ダイヤモンド」の絵が1箇所隠されており、これを引き当てると小判の場合は賞金1万円ボーナス(番組中では「軍資金」と呼ばれた)、ダイヤモンドの場合はダイヤモンドを獲得出来た。後期には「玉手箱」1箇所も隠されており、これを引き当てた解答者には、その場で四字熟語を当てるクイズが出題された。これに正解するとパソコンがプレゼントされた。また、正月特番限定で「鬼」も隠されており、これを引き当てた場合罰ゲームが課せられた。
お手つき・誤答の時には解答席の前に兜の看板が置かれる(兜はボロボロに欠けてしまった状態で表現していたが、お手つき・誤答が増えるたびに酷くなっていた。)。これが3つ置かれると失格(このとき流れたBGMはその後、同局のローカル番組「娘100人ムコ6人?」でオーストラリア旅行獲得失敗の時にも使われた)になり、以降のクイズには参加できなかった。但し、不参加中の問題で他の解答者が誰も解答できず時間切れとなった場合には解答権があり、正解すれば兜を1つ減らし復帰出来た(後半の坊主めくりゲームには参加出来た)。
前半終了の時点で一番陣地を獲得した解答者には「クイズ賞」として賞金5万円が与えられたが、坊主めくりゲームでの展開により、その解答者が必ず優勝できるとは限らなかった。
なお、「軍資金」「ダイヤモンド」「パソコン」「クイズ賞」は、一度獲得すれば後半の坊主めくりゲームの結果に関係なく持ち帰ることが出来た。
坊主めくりゲーム
前半戦のクイズコーナーで獲得されなかった都道府県(8箇所)を解答者が1つずつ引き当てた。解答者はその都道府県をいかに勘よく引くかで勝負が決まるという大きなターニングポイントにもなっており、まさに「勘」と「運」だけが頼りである。
出だしは佐渡島のパネルが2枚しかなかった頃と3枚に増えた頃とでは、ジングルこそ変わらないもののそれぞれで違っていた(前者は都道府県地図のボードをバックにしたものだったが、後者ではスタジオの解答席を直接映し出していたものが採用されていた)。また、「坊主めくりゲーム」のロゴもそれぞれで違っていた。
順番は、クイズで獲得した陣地が少ない人を基点として右回り順で引いていった。画面上一番右側の人の次は、一番左側の人が引くことになっていた。
後に、この順番はクイズで獲得した陣地が少ない順に改められ、兜が置かれた場所に番号札が置かれるようになった。つまり、一番多く陣地を取った人は最後に回された。
8箇所残っている都道府県の中で、坊主が2箇所、姫が3箇所に隠されていた(このため、パーフェクトは後に佐渡島のパネルが3枚に増えるまで存在しなかったことになる)。坊主を引き当ててしまうとオーボエで間の抜けた演奏が流れ、解答者が獲得した陣地が没収されるが(画像では点滅状態となる。1巡目で坊主を引き当てても2巡目には引き続き参加でき、自分が姫を引くか佐渡島で別の解答者が坊主を引けば、その没収された陣地を取り返せた)、その後姫を引き当てるとファンファーレが流れ、その没収された陣地をすべて獲得することが出来た。そのため三枝はゲーム開始前に「もしもお坊さんを引きますと、持っている領地がなくなりまして、お姫様を引いた人の領地になるんですね。」と説明していた。つまり坊主を出す前に姫を引いても、「ノーマル」(三枝は「どちらもなし」と説明)と同じ扱いで1つしか陣地を獲得出来ないことになっていた。