「徒町(おかちまち)」は藩政時代初期、現在の若党町に「歩ノ者町(かちのものまち)」として町割りされましたが、万治(まんじ)二年(1659)当地へ「御徒町(おかちのまち)」として新割りされました。その後、「御歩行町(おかちのまち)」や「徒町(おかちのまち)」「御徒町(おかちのまち)」などと変わり、明治になって「徒町(おかちまち)」となり、現在に至っています。


代官町から弘前城天守閣がある弘前公園までまっすぐ西に伸びた道路は“中央通り”と呼ばれています。瓦ヶ町の標柱から徒町の標柱までは、歩いて10分もかからないところにあります。
徒町には、かつてRAB弘前支社がありました。天文の件でRABラジオに取材された時も、ここで取材を受けたことがあります。弘前にインタビュアーがいないので、青森市から記者が2名も来てくれました。