萱町は、弘前城の東に位置し、正徳元年(1711)屋敷町としてつくられ、主に下級武士が住んでいました。萱町の町名の由来は、町割り以前は田園地帯でカヤが群生していたことによると伝えられています。


この標柱も民家の前にあって、しかも萱町ではなく植田町に設置されているので
結構ややこしい標柱です。
国道7号線に通じる大通りにあるので、車を飛ばして行くと標柱を見過ごしてしまいます。萱町の信用金庫に車を停めて向かいの道路に渡ってから標柱を撮りました
この辺りは、弘前でも小規模な町名が数多く残っているところです。北横町・南横町は分かるとしても、北柳町・南柳町は探しづらいです。緑町に至っては、国道7号線に通じる大通りにあるので見落としてしまいます。ちなみに坂本町は、かつて弘前学院聖愛高校の跡地だったところです。今は弘前市南部の原ヶ平に移転しています。昭和49年春まで坂本町に高校がありました。平成12年から男女共学となり、野球部が県大会の上位に名を連ねるなど強豪校となっています。
この高校もミッションスクールで、私の卒業した東奥義塾とは兄弟校です。東奥義塾の校歌は素晴らしく、同校のグリークラブが歌うと感動すら覚えます(ToT)
ちなみに弘前市役所前にあった時代の東奥義塾を卒業したので、弘前市石川に移転した同校には馴染みが薄いです。当時の暖房は薪ストーブでした。