弘前の由来と歴史2 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

藩政時代の町の様子は、鷹匠町のように現在でも町名が残されています。この由来を記した標柱が、市内あちこちの街角に立てられ当時を偲ぶことができます。

五十石町・百石町・茂森町・新寺町・元寺町・土手町・松森町・元大工町・西大工町・禰宜町・塩分町・鉄砲町・親方町・元長町・徒町・新町・大浦町・東長町・田茂木町・紺屋町・亀甲町・鷹匠町・鞘師町・桶屋町・楮町・銅屋町・鍛治町・紙漉町・品川町・和徳町・富田町・袋町・平岡町・駒越町・表町・大町・(まちと呼ぶ)

代官町・蔵主町・馬屋町・馬喰町・在府町・本町・白銀町・笹森町・瓦ヶ町・吉野町・三岳町・徳田町・御幸町・寒沢町・三岳町・森町・覚仙町・茶畑町・相良町・和田町・長坂町・八幡町・緑町・河原町・山道町・一番町・植田町・田代町・山王町・富野町・文京町・八幡町・萱町・樋の口町・山下町・北横町・南横町・北柳町・南柳町・南塘町・富士見町・小人町・若党町・大富町・清富町・春日町・坂本町・桜林町・住吉町・稔町(ちょうと呼ぶ)

弘前市の中心部にある百石町の標柱

やがて明治維新が起き、明治4年の廃藩置県によって「弘前県」となり、現在の青森県と旧藩政時代の飛地(現在の群馬県尾島町・新田町・境町)と現在の渡島支庁にまでまたがる自治体となります。その2ヶ月後に弘前県は青森県と改称され、県庁も弘前市から青森市へ移りました。それに伴い、渡島地方は北海道に。飛地の尾島町・新田町・境町は群馬県へ編入されました。

明治22年4月に市町村制が実施された時には、全国30市とともに市制を施行し、本県の中枢的役割を果たしました。戦後、周辺の12町村と合併し、現在の弘前市(のちに岩木町・相馬村と合併)が形成されました。

弘前は仏教とキリスト教の建物が混在するユニークな街です。藩政時代からの城下町でもあり、茂森町の禅林街や新寺町には多数の神社が並んでいます。また、キリスト教の伝来が東北では一番早かった街でもあります。明治初期に私の母校でもある東奥義塾高校の生徒が、教会で集団洗礼を受けたと言う記録が残っています。ここでリンゴが作られるようになったのも、宣教師の持ち込んだリンゴがきっかけです。

弘前城天守閣