なお、弘前大学の研究チームが櫓の調査を行っています。弘前市で公募する調査会員になれば、一般でも櫓の中に入ることを許可される場合がありますので、市役所に問い合わせてみてください。



弘前市の弘前公園にある三棟の隅櫓は、すべて三層三階からなっています。
一・二層を四間四方の同面積とし、その上に一層を重ねて三階としています。屋根は橡葺型銅板葺で、土蔵造に白漆喰塗り、壁は太鼓壁で、内部には敵の攻撃に備えて小石を積めています。
有事の際に備えて、弓矢などを保管しておく場所であり、また攻撃するところでもあったので「矢倉」とも「物見」とも呼ばれています。そのため、矢狭間、鉄砲狭間、石落しなどもあります。
五棟の櫓門は、脇戸付櫓門で屋根は銅瓦葺であり、ほぼ同型同大でありますが、北の郭北門はほかの門に比べて大きく、銃眼がないなど外観もやや異なります。いずれも桝形を構成する土塁に囲まれており、下層の屋根がひときわ高く造られています。桝形とは、敵の直進力を阻み、味方は横矢で敵を容易に討ちやすくした施設です。ちなみに弘前市の南部には桝形と言う地名が残っていて、旧市街を説明する標柱にも書かれています。


桝形(ますがた)
弘前城下の道路は、敵の侵入を困難にする目的で多くの工夫がなされています。直進を防ぐために二重に角をつけた「枡形」もそのひとつで、町の出入口などに多く設けられました。ここに残る枡形は南東入口の守りとして作られたもので、古くは富田町枡形と呼ばれていました。・・・標柱より転載