雪燈籠と丑寅櫓 | スチャラカでスーダラな日々

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故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

この櫓も弘前城に見間違える方がいるので、実際に弘前公園に行かれた方は注意して御覧下さい。また、各櫓には説明書きの看板が設置されています。弘前市史を研究なさる方はそちらも参照されてみては如何でしょうか?
なお、弘前大学の研究チームが櫓の調査を行っています。弘前市で公募する調査会員になれば、一般でも櫓の中に入ることを許可される場合がありますので、市役所に問い合わせてみてください。

丑寅櫓と雪燈籠1

丑寅櫓と雪燈籠2

丑寅櫓(入館不可)

弘前市の弘前公園にある三棟の隅櫓は、すべて三層三階からなっています。
一・二層を四間四方の同面積とし、その上に一層を重ねて三階としています。屋根は橡葺型銅板葺で、土蔵造に白漆喰塗り、壁は太鼓壁で、内部には敵の攻撃に備えて小石を積めています。
有事の際に備えて、弓矢などを保管しておく場所であり、また攻撃するところでもあったので「矢倉」とも「物見」とも呼ばれています。そのため、矢狭間、鉄砲狭間、石落しなどもあります。

五棟の櫓門は、脇戸付櫓門で屋根は銅瓦葺であり、ほぼ同型同大でありますが、北の郭北門はほかの門に比べて大きく、銃眼がないなど外観もやや異なります。いずれも桝形を構成する土塁に囲まれており、下層の屋根がひときわ高く造られています。桝形とは、敵の直進力を阻み、味方は横矢で敵を容易に討ちやすくした施設です。ちなみに弘前市の南部には桝形と言う地名が残っていて、旧市街を説明する標柱にも書かれています。

桝形周辺の標柱地図(白抜きの卍が標柱のある場所)

桝形標柱(弘前市立第三中学校近くに設置)

桝形(ますがた)
弘前城下の道路は、敵の侵入を困難にする目的で多くの工夫がなされています。直進を防ぐために二重に角をつけた「枡形」もそのひとつで、町の出入口などに多く設けられました。ここに残る枡形は南東入口の守りとして作られたもので、古くは富田町枡形と呼ばれていました。・・・標柱より転載