すっかり遅くなってしまいましたが、やっとこ書き終わりました。携帯で読む方は、持つ手が疲れるほどの長文ですのでお気を付け下さい(笑)。

 

これまでの経緯はこちら。

「引退を決意しました」

「引退を決意するまで」

「引退を決意するまで ②」

 

 

 

最初の斜視の手術から約6ヶ月半後の、2018年12月5日に大学病院で診察。術後半年以降は良くなることはないと言われていたため「再手術を受け、だめだったら諦めます」と伝えました。「その目でもレッスン等は問題ないのですか?」「大丈夫ですので先生は何も気にしないで下さい」「分かりました。今回も良くなるという保証は出来ませんが最善を尽くします」と言われました。引退後のことまでお気遣い頂き、本当に良い先生に出会えて幸せだなと思いました。

 

来シーズンに少しでも良い状態で臨めるよう最短で再手術をお願いしたところ5日後に決定。前回と同じ手術法で、今回は利き目である左目にメスを入れることに。手術当日は斜視の症状が出やすいようにわざと目を疲れさせ、出来る限り試合で疲れた時と同じ状態を作ります。そのため前日は目を酷使した上に3時間睡眠で行きましたが、それでも斜視の度合いは近くが2、遠くが4。「やはり普通の人なら再手術の必要は全くありません」と言われました。

 

二度目なので恐怖心は無かったのですが、いざ手術が始まると明らかに前回より痛かったのですぐに「前回より痛いんですけど」と伝えると「手術法を変えました」と言われ「それ今発表するんかい!」と思いましたが(笑)、この5日間でより効果が期待出来る手術法を考えて下さったんだなと感謝しました。

 

術後の痛みが前回より少なく5日後に練習開始しましたが、手術前より立体感と距離感がアップしていました。特に翌日は3Dトレーニングも再開し、その直後に練習したため、信じられないほど視界良好でした。どう撞いてどうポジションするかをほとんど頭で考えなくても自然と体が動きました。配置をパッと見た時に、どのポケットに入れてどういうラインでポジションするのかを考える訳ですが、今までイメージすらした事がないラインが次々見えました。そして構えに入る前から「ポケットしてイメージ通りポジション出来る」と分かりました。

 

プリズムレンズで一番見えている時は何でも入るという感覚でしたが、この時はそれに加えて何でも出せる感覚でした。難しいピンポイントのポジションでも、面白いようにイメージ通り出せました。「世界のトップはこれが普通の状態なんだろうな」と思いました。

 

この頃は異常に目が疲れるので15分程度しか撞けませんでしたが、最っ高に楽しかったです。思い起こせばアマチュアや新人の頃は「厚みは目でなく体で狙うもの」と思っていたのに、空間認識能力が低下していく中でいつの間にか一生懸命に目で厚みを探し、それが余計に目の体力を奪うという悪循環になっていたのだと思いました。「感覚で撞く」という感覚を十数年振りに思い出しました。

 

「また明日の15分が楽しみだな〜!!」と思いましたが、残念ながらこの日がピークで、翌日以降少しづつ少しづつ立体感が減っていきました。とは言え再手術前はかなり酷かったので、その頃に比べれば遥かに良かったです。ただ残念ながら、右を見た時に出る複視(ものが二重に見えること)は消えませんでした。今も変わらずあります。

 

 

12月21日。YouTubeでこれまでのビリヤード人生を語る「👓メガネの部屋」をスタート。第一回で「8月に始めようかと思いながら、なぜ12月になったのか摩訶不思議」とお話しましたが、真相は10月の時点で99%来年の5月か6月に引退する事になると思ったので、急いでファンサービスをと思ったからでした。そのため度々「いつまで続けるか分からない」とお話しました。ちなみに第一回の「この動画を始める理由」の件は、実はちょっとうるっときてました。てへ。

 

 

2019年1月3日。左膝が変形性膝関節症に。2年前に右膝が同じ病気になり(詳しくはこちら)、1ヶ月寝たきりで3試合欠場していたので「またか」と内心かなり怯えました。まさに泣きっ面に蜂。ってか蜂って誰よ(笑)?誰の呪いよ(笑)?でも治療とトレーニングで右膝ほど悪化せずにすんでいます。もちろんまだアイシングやテーピングはしていますが。

 

1月7日。「サングラスミュージアム」様に立体視の検査をして頂いたところ、やはり最初の術後より立体視出来ているという結果が出ました。自分でも実感出来ていましたが、詳しく検査して頂き数値を出して頂いたことでより納得出来ました。ただそれでも一般女性の平均よりやや下と言われ驚きました。

 

 

1月26、27日。関西レディースオープン。やはり初戦は目が馴染まない感覚でボロボロでしたが徐々に慣れ、5試合目はシュートミスゼロの上がり3連発で勝利。試合数を重ねている上に、試合直前はホットアイマスク5分のみだったのに驚きました。ちなみに昨年11月頃に市販のホットアイマスクが10分から20分に持続時間がアップし、それと同時に温度も高くなったので、以前に比べれば短時間でも効果が出やすくはなったと思います。私のために開発してくれたと確信しました(笑)。さすがに6試合目は「抑制」が出ましたが、再手術後最初の試合でここまで出来たので、もしかしたら復活出来るかもと思いました。試合についての詳細はこちら

 

左膝を心配して御守りをプレゼントしてくれた久保田プロ。感謝です!!

 

 

1月30日。大学病院で診察。「明らかに底辺が上がり良い感じできてます!」とご報告。昨年8月以降目の調子が下降したため毎月診察室が暗かったのですが、久々に先生と一緒に笑顔になりました。特殊なメガネをかけセミの羽が立体視出来るかというテストでは、以前10秒かかっていたのにこの時は5秒で立体視出来ました。普通の人の5倍かかるとはいえ、一気に半分に短縮され興奮しました。

 

しかしその後すぐに私生活でも「抑制」が増え始め、目の調子の良い日と悪い日の差が大きくなっていきました。最初の術後もそうでしたが、目の調子が良い日は「次の試合優勝出来る!」と思えるのですが、目の調子が悪い日は「やっぱり引退するしかないかも」と思い、かなり精神的に苦しかったです。出来る限り一喜一憂しないようにと思っても、目が絶好調の翌日に絶不調という日も多く、気持ちのコントロールがかなり難しかったです。

 

この頃に日本でもお馴染みの台湾の楊さんにメールし、台湾女子プロツアーの日程が決まったら教えて下さいとお願いしました。可能であれば出場し、それを海外戦の引退試合にしようと思いました。

 

 

2月16、17日。関東レディースオープン。3試合目の終盤でかなり視界が悪くなりながらも勝利。4試合目となるベスト16の前に急いで5分ほどホットアイマスク。どの程度回復出来たか不安でしたがマスワリ3、4回、セーフティミス一度のみのほぼパーフェクトで勝利。最後まで視界良好だったことに驚きました。そして再手術後2大会目にして、2日目の目の調子を試せることが嬉しかったです。

 

 

そしてこの日、後輩プロが突然引退しました。試合後両親とタクシーに乗り込む直前に「実は私この試合で引退します」と言われ、驚きと寂しさでなんとも言えない気持ちでした。タイミング的に少ししか話せませんでしたが、まさか自分より先に引退するプロがいるとは思いませんでした。

 

 

私も他のプロの方が「私がこの試合で引退」と分かっていると対戦しづらいと思い、試合後に「実はこの試合が最後でした」と言って引退するつもりでした。ただファンの方には申し訳ないと思い、それだけが気がかりでした。引退すると分かっていれば応援に行きたかった、一緒に出場したかったと思って下さる方もいらっしゃるのではと思ったからです。そのせめてもの罪滅ぼしとして先に「この日に『ファン感謝デー』を開催します」と告知し、その少し前の試合で引退する予定でした。最後にファンの方と触れ合う機会を作り、それで何とか許して頂けたらという考えでした。でも自分がやろうとしていた事を実際にやられすごく寂しかったので「これは考え直す必要があるかも」と思いました。

 

 

帰宅後、就寝前、起床後、試合会場到着後、試合前とトータル1時間40分ホットアイマスクをしてからベスト8スタート。序盤はまずまずでしたが中盤から怪しくなり、終盤はほとんど立体感がありませんでしたがラッキーで勝利。それから30分ホットアイマスクした後、準決勝スタート。

 

この試合はもうボロボロでした。あまりの目の疲労で空間認識能力がガクッと落ち、テーブル上のどこに何番があるのか見ても分からない、覚えられない状態でした。構えても焦点が合わず、視線の動きに脳が追いついていない感覚でした。何とか厚みとポジションをイメージして構えに入ってもどうイメージしたのかすぐに分からなくなり、構え直してばかりでした。相手のプレーも素晴らしく完敗。試合についての詳細はこちら

 

試合後は「7先じゃなく9先だ」と言い張るパフォーマンスで観客の方々の笑いを誘いましたが「再手術しても一晩では目の体力が回復出来ない。試合直前に30分もホットアイマスク出来てもほぼ無意味」と分かり、かなりショックでした。

 

 

敗戦後、「アダムジャパン」様に作って頂いた「MUSASHI 野内モデルII」をご紹介して頂くため、BDさんの取材を受けました。この日に予定されていた訳ではなかったのですが、「せっかくお会いしたので今写真撮影しますか?」と私から提案させて頂きました。ただ内心かなりショックを受けていたので上手く笑顔が作れず「硬いですか?」「少し」「ですよね〜」というやり取りがありました。その後完成した記事の写真を見て「硬っ!暗っ!」と思いましたが(笑)、内容は暗くないので是非こちらからチェックして下さい。「MUSASHI 野内モデルII」の宣伝を始めてすぐに引退することになると思っていたので、長年お世話になっている「アダムジャパン」様にも申し訳ない気持ちでした。

 

「MUSASHI野内モデルⅡ」パープルハートバージョン。

 

「MUSASHI野内モデルⅡ」黒檀バージョンも発売中です。

 

 

その後、控室で梶谷プロと二人きりになった時に、引退発表についてご相談させて頂きました。「私の引退の件なんですけど、再手術しましたがやはり引退することになると思います」「えっ!?今回も3位タイやし、てっきり良くなってると思ってたんやけど」「良くはなっていますが、この程度では厳しいですね」「そうなんや…」「それで昨日自分がやろうとしていた事と同じ事をされすごく寂しかったので、発表の仕方を考え直した方が良いのかなと悩んでいるんです。この4ヵ月間引退発表の仕方について毎日悩み、正直疲れ果てました」「相手が対戦しづらくなるなんて気にせんでええ。みんなプロなんやからそんな事関係ない。むしろ引退までに対戦したいと思う人もたくさんおると思うわ。プロへの配慮はええから、最後までファン第一でええんちゃう?」と言って頂き、すごく気持ちが楽になりました。

 

 

当初の予定は今年6月に関東でプロツアーが開催される可能性があったので、術後半年となるその試合直後に発表して即引退するつもりでした。ですが考え直し、術後半年は不安定と言われてはいたものの最初の術後も不安定なのは2、3ヶ月だったので、術後4ヶ月となる4月の北海道での試合まで様子を見て、そこで100%引退すると判断したらすぐに発表し、6月の関東のプロツアーで引退しようと思いました。

 

 

梶谷プロには「せめて7月のジャパンオープンまで頑張ったら?一緒に出よう」と言って頂きましたが、ビッグトーナメントで長丁場となるジャパンオープンはしんど過ぎてとても無理だと伝えました。昨年11月の全日本選手権からこの試合までに、梶谷プロと林プロ以外にもプロアマ何人かの方に直接引退報告をしていました。その時に「出来れば11月の選手権まで出て欲しい」と言って頂きましたが、目の調子が悪い中での一試合一試合はあまりに辛く、とてもとても11月までプロを続けるなんて全くイメージ出来ないと伝えました。ただ以前にも少し触れましたが、昨年10月に99%引退すると思いながら発表出来ない事が一番辛かったので、発表後に心底気が楽になったら、もしかすると多少気が変わる可能性はあると伝えました。

 

 

ちなみに梶谷プロと林プロを始めここまで報告した方々は、男性以外は全員泣いて下さいました。ただ驚いた事に、私はその方達の前では一度も泣きませんでした。うるっとくる瞬間はあるものの、涙を堪える事が出来ました。普段からとても涙もろく、優勝する度号泣していたのに我慢出来たことに我ながら驚きました。報告を受けた側にとっては青天の霹靂ですが、私にとってはすでに覚悟が出来ているということなのかなと思いました。

 

生まれて初めて応援に来てくれた甥と。

 

 

関東レディースオープンが3位タイだったことで、ファンの方々は順調に回復していると思われたと思いますが、より一層引退を強く意識しました。試合会場やSNS、「WISH」や「スティンガー」の常連さんから日々たくさんの応援コメントを頂く中で、騙し続けているような罪悪感は常にあり、この頃には精神的にかなり参っていました。ファンの方々にブログで発表する前に、お世話になっている方々にいつどういう形で報告すべきか等毎日悩み、なかなか眠れませんでした。

 

 

3月15日。翌日から京都でプロツアーのため移動日でしたが、朝5時に目が覚めた時に吐き気がありました。一瞬「まずい」と思いましたがその後良くなったので、かなりペースダウンしてウォーキングへ。腰はもちろんですが左膝のためにもやらないと、移動と試合で持たないと思いました。フラフラしていた訳ではないのですが、終了後ウォーキングアプリを止めようとポケットから携帯を出した時に落とし、液晶画面にヒビが入りました。ここで引退確定(笑)。

 

 

翌日のプロツアー初戦。当然初戦は一番目が疲れていない訳ですが、3マス目辺りから視界が霞んできました。あまりに早い変化に一瞬戸惑いながらも「まだ初戦だから大丈夫」と思いましたが、その後徐々に立体感や距離感が失われていきました。結局ヒルヒルで負けましたが、終盤は3試合目4試合目のような視界でした。ショックでしたが試合後すぐにスタンバイコールがあったため、急いでホットアイマスク。その間「きっとたまたまだから大丈夫」と何とか気持ちを落ち着かせました。

 

約5分後に2試合目スタート。ホットアイマスクのお陰で2、3マスはクリアに見えましたが、その後は厚みも見えず、自分のキューがどこに向いているのか分かりませんでした。それでもラッキーで勝利。試合直後に「最後はナイスなマスワリでしたね」と言われましたが、配置を全く覚えておらず、マスワリだったのかさえ分かりませんでした。

 

 

この後しばらく待ち時間があったので20分ホットアイマスク出来ましたが、この2試合で「やっぱりもうだめかもしれない」と思い、涙が溢れてきました。もちろんホットアイマスクをしていたので、誰にも気付かれませんでした。お手洗いに行き涙を拭いて、濡れて使えなくなったホットアイマスクをチェンジ。「さっきは5分だったけど、20分やれば大丈夫かもしれない」というのが唯一の望みでした。

 

 

3試合目の対戦相手は、私が斜視で苦しんでいるのを知っている親交のあるプロだったので、試合前に「悪いけどプレーしている間にホットアイマスクして良い?」と聞き、「はい。全然気にしないで下さい」と言って頂きました。ホットアイマスクの効果は短いのですが、これなら多少は何とかなるかもと思いました。

 

試合スタート。やはり序盤は視界がクリアでしたが徐々に怪しくなり、3-1リードで8番を撞く時に、どこに構えているのか分からなくなりました。二回構え直したものの全く同じ。こうなるとどうにもならないことは嫌という程経験しているので腹を括ってショット。そうそう入るはずもなく、大きく外しました。この時に「やはりこの目ではプロとしてもう無理だ」と思い「100%引退」を決めました。

 

椅子に座ると目に涙が滲んできましたが何とか堪えました。もちろん試合は諦めず、3-5でタイムを取りお手洗いで数分ホットアイマスク。でもその後6番でキューミス。最後はトラブルを壊しにいき、ほぼイメージ通り当てたもののスクラッチ。取り切られて5-7で終了でした。ゲームボールを入れられた後、相手選手の首を絞めるパフォーマンスをしましたが、「ついに引退か」という気持ちでした。こちらの試合は3-2の9番から動画がありますので、興味のある方はこちらからご覧下さい。

 

負けた事自体は仕方ないですが、100%引退を決めた事、4月まですら持たなかった事がとにかくショックで胸が痛みました。もちろん会場内ではいつも通り笑顔でしたが、タクシーを呼んで頂いて待っている間の15分前後がとてつもなく長く感じられました。

 

 

やっとタクシーが来たのでみなさんに挨拶して会場を出て、林プロと乗りこみました。タクシーのドアが閉まった直後に一気に涙が溢れてきたので林プロに「今まで引退の件で人前では一度も泣かなかったけど、今日は我慢出来そうもありません」と言って泣きました。「今日の試合で決めました。やはり引退します」と言うと林プロは一瞬驚き、その後一緒に泣いて下さいました。「そんなに目の調子が悪かったの?」「はい。もう初戦の3マス目辺りからだめでした」「そうだったんだ…。でもそんな素振りも見せずよく頑張ったね」と労って下さいました。その後、両親にも電話で報告。「予定より早いけど今回の試合で決めたから」「分かった。頑張ったね。お疲れ様」というやり取りのみで切りました。

 

 

別会場だった高橋有美子プロと合流し、3人で食事へ。何事もなかったかのように変顔の写真を撮り、いつも通り試合結果をSNSにアップ。勝った時も、どんなに悔しい負け方をした時も、なるべく早く自分の言葉でファンのみなさんに結果をご報告するのもファンサービスと思い続けて来ました。ただこの試合で引退を決めたので、「試合内容についての詳細は、また日を改めて書きます」といういつもの一文は意識して書きませんでした。

 

食事の時にはある程度落ち着いていたので、泣くことなく高橋プロにもご報告。かなり驚かれていましたが、温かいお言葉をたくさん頂きました。食事の後、ホテルの部屋で深夜3時前後まで色々と語り合いました。自分の部屋に戻ってからなかなか眠れず、何を考えても涙が溢れてきました。

 

以前「再手術しても良くなる確率は1%。1%も0%もほぼ同じだから、再手術せずに引退しようかなという考えが一瞬頭をよぎった」と書きました。でも引退する確率が99%と100%は明らかに違いました。同じ1%の差でもこんなにも違うのかと思い知り、涙が止まりませんでした。昨年10月の時点でとっくに覚悟が出来ていると思っていたのに。

 

 

なんとか2時間ほど寝て、一回転目に間に合うように会場へ。人手が足りないと思ったので正装して行き、タイマーのお手伝い。会場に着くまでは気が重かったですが、やはり会場に着いたらプロ意識が働き、いつも通りペアマッチのMCも出来ました。まさか前日に引退を決意したとは、誰にも気付かれなかったと思います。

 

 

ただ予選会場が別だったため前日お会い出来なかった梶谷プロに朝「元気か?」と背中をさすって頂きながら聞かれた時に、周りに他のプロの方もいたので引退のことは言えず「う〜ん。昨日負けたのであまり元気じゃありません」と苦笑いすると、「そうか」と言って更に強く背中をさすって頂いた時は一瞬うるっときました。

 

その後、会場の奥で梶谷プロが一人で観戦していたので行き、あまり周りに人はいませんでしたが耳元で小声で「昨日100%決めました」とご報告すると、涙声で「寂しくなるなぁ」と言って抱き寄せられました。前日の目の状態をご説明した後、「来月まで様子を見る予定でしたが、今この程度だと仮にこの先2倍、3倍良くなってもとても無理です。50倍、100倍良くならないと戦えません。この先様子を見てもそこまで良くなることは絶対にないので昨日で決めました」と伝えました。「実は一昨日も体調が悪かったのですが、この約5ヶ月間色々考え過ぎて疲れ果てたので、いつ引退するか決めてから発表する予定でしたが、先に発表だけして楽になろうかなと思っています」「それでええ。これからゆっくり決めますって形でええから早く楽になりや」と言って頂き、また少し気持ちが楽になりました。

 

 

帰りの新幹線の中で、99%引退すると伝えていた何人かの方にメールで「100%決めました」とご報告。メールを書きながら泣き、労いの言葉で埋め尽くされた返信を読んで泣き、周りの乗客の方々に気付かれないようにするのが大変でした。でも、とても涙を抑えきれませんでした。

 

 

二日後、大学病院で診察。引退の報告をしなければいけないので絶対に泣いてしまうと思い、バッグではなくポケットにハンカチを用意して行きました。「いかがですか?」と聞かれたので「諦めました」と言うと一瞬驚いた表情をされ「だめでしたか?」と聞かれたので、先日の試合での目の状態をご報告しました。一瞬うるっときたものの堪えられたので内心驚きました。

 

その後、斜視の度合いを計測して頂いたところ2でした。「やはり目の位置は合っているんですけどね」「もちろん日常生活は多少抑制は出るものの、かなり楽ですよ」「ここまで良くなっても、プロフェッショナルはそれ以上の両眼視機能を使っているんですね。非常に勉強になりました」

 

 

「先生、最後にセミの羽を見る検査やりたいんですけど」「分かりました」「やり納めで(笑)」と言ってやってみたところ、やはり5秒以上かかりました。先生に「では、こちらも」と言われ、もう一つ検査することに。その検査はひし形の中に丸が4個あり、どの丸が一番浮き出て見えるかというもの。ひし形は1〜9まであり、数字が大きくなるほど難易度も上がります。これまで数回やり、最初の手術の前は途中までしか見えなかったものの、その後9まで全て見えるようになっていました。でもこの日は2から見えず、なんとか2と3は数秒見続けて見えたものの、4以降は全く見えませんでした。「先生、1月にやった時は全部見えてましたよね?」「そうですね」「やっぱりこの2ヶ月で立体視機能がガクッと低下したってことですね。より引退する気になりましたよ(笑)。もちろん全部見えても気持ちは変わりませんけどね(笑)」「そうですか〜」

 

 

「8月で引退するか今シーズン一杯頑張るかを決めかねているのですが、ほぼ引退すると思いながら発表出来ない罪悪感に疲れ果てたので、とりあえず発表だけしようと思っています」「なるほど」「でも先生のお陰ですよ。再手術後に練習再開した二日目、本当にすごく良く見えたんですよ。十数年振りに感覚で撞くという感覚をブワッと思い出したんです。まだ目が疲れやすくて15分しか持たなかったですけど」「うんうん」

 

ここでついに涙が出てきて「本当に先生のお陰で…すいません…」と言ってハンカチを出して涙を拭きました。その後「…涙もろいから泣いちゃうと思ってハンカチ用意して来たので大丈夫です」と言って笑いました。「その感覚を思い出せただけでも、二度手術した価値があったと思います」「大分お付き合い頂きましたからね。本当にここまで良く頑張りましたね」「最初に行った病院では話もろくに聞いてもらえなかったので、本当に感謝しています」

 

 

先生が「試合を観に行きたいですね」と言って下さり、社交辞令と思ったら具体的に聞かれたので「JPBAと検索すると年間スケジュールが載っていますので」と伝えると、その場ですぐ携帯を出して検索して下さいました。「6月は金沢ですか。遠いですね」「関東は7月と8月です。でもお忙しいでしょうから、本当に無理しないで下さい」「残念ながら引導を渡してしまった張本人としては一度は観に行かないと」「そんなことないですよ!先生のお陰で選手生命が伸びましたよ!本当にお気持ちだけで十分ですからね」「では、行けたら行きますね」と言って下さいました。毎日物凄い人数を診ている中で、ただの一人の患者に過ぎない私にそこまでお気遣い頂き本当に嬉しかったです。診察はこの日が最後で良いかと思いましたが、7月にもう一度様子を見て問題なければ終わりということになりました。

 

 

その後、色々な方々へ引退のご報告。まずはスポンサー様である「サングラスミュージアム」様へ。事前にお電話し「お話ししたい事がある」とお伝えしていましたが、いざご報告する直前になると「ご報告したら本当に後戻り出来なくなる」と思う自分がいました。「やっぱり引退したくない!!」と強く思いましたが、その気持ちだけでどうにかなる問題ではないという事もよく分かっています。なんとか一言「引退することにしました」とだけお伝えし、すぐに号泣してしまいました。

 

「サングラスミュージアム」様の細木さんは驚かれていましたが、すぐに「ここまで本当によく頑張ったね。偉いと思うよ」と労って下さいました。少し落ち着いた後に事情をご説明し、ご報告が遅くなった事をお詫びしました。

 

「ビリヤードメガネ等はもちろん、特にここ数年は斜視の件で親身になって頂き、本当にどうもありがとうございました。細木さんがいらっしゃらなければ、間違いなくもっと早く引退していたと思います」「斜視じゃなければもっと勝っていたと思うけど、野内さんじゃなければここまで頑張ってこられなかったと思うよ。僕は斜視では無いけど、斜視の専門家として普通の人とどれだけ違うか、どれだけ苦労してきたかよく分かるよ」と言って頂きました。

 

「引退時期を決めたらまたご報告させて頂きます」とお伝えすると「引退まで今まで通りサポートするからね」と言って頂きました。細木さんご夫妻には、ビリヤードメガネについて他店では出来ない工夫を色々として頂いたり、斜視用のプリズムレンズや手術についてのご相談等、本当に親身になって頂き心から感謝しています。

 

 

細木さんご夫妻。

 

 

ビリヤード用も普段用も、たくさん作って頂きました。この他にもあります。

 

 

そしてスポンサー様である「アダムジャパン」様へ。関根社長にご報告すると、やはり驚かれていました。ギリギリ涙を堪え、これまでの経緯やご報告が遅くなった事をお詫びしました。「そこまで大変だったとは知りませんでした。野内さんには長年に渡り本当にお世話になり感謝しています」「とんでもないです。こちらこそキューに関して色々わがままばかりお願いし、いつも気持ち良く対応して頂き心から感謝しています」

 

 

「アダムジャパン」様は「知の市場」に参加されていて、私は何年も前から毎年10月に講義、11月に実技の授業を担当させて頂いています。今年はまだ具体的にお聞きしていなかったので「今年も例年通り10月、11月に私の授業が入っていますか?」とお聞きすると「はい」と言われました。

 

「実はそれが特に気掛かりだったのですが、今後の目の状態によっては8月で引退しようと思っているんです。そうなると大変申し訳ないのですが、早目に他のプロの方に代わって頂かないとと思いまして」「もし野内さんさえ良ければ、引退後もやって頂けませんか?」「え!?プロのライセンスが無くても大丈夫なのですか?」「全く問題ありません」「本当ですか!それなら喜んでやらせて頂きます!ご迷惑をおかけしてしまうと本当に気掛かりだったので」「他にもレッスンやイベント等出来る範囲で構いませんので、引退後も引き続き手伝って頂けたら嬉しいです」「分かりました!どうもありがとうございます!」そして関根社長からも「引退まで引き続きサポートします」というありがたいお言葉を頂きました。

 

 

その後、関口工場長をはじめ長矢プロ、職人の方々や事務の方々にもご報告。やはりかなり驚かれていました。事務の女性の方に「取引先の方々も私達も、みんな野内さんの事が大好きだったんですよ」と悲しい表情で言われた時は、さすがに涙を堪えるのが大変でした。「アダムジャパン」様には無名の新人の頃から15年間本当にお世話になり、心から感謝しています。また引退後も必要として下さることにとても感動しました。

 

左から関口工場長、関根社長、長矢プロ。

 

梶谷プロと関根社長。

 

 

他にもプロアマ問わず、何人かの方に直接ご報告させて頂きました。レストラン等で近くに他のお客さんがいるというシュチュエーション以外では100%泣いてしまいました。整骨院の先生は「この5年でやっと身体がここまで整ったのに…本当にもったいない」と、とても悔しがって下さいました。先生には専属トレーナーのようにご指導頂き、本当に感謝しています。

 

京都の試合の日から約2週間は、毎日必ずどこかで一回は泣いていました。その後やっと少し落ち着き、引退のご報告のブログを下書きしたり、引退発表直前にご報告する方々へのメールを一人一人下書きしたりしました。

 

この頃には更に目の調子が悪化し、今まで簡単に見えていた3Dの絵が見えない事が頻繁にありました。試合後の疲れている時を除き毎日10分続けてきましたが、毎日やるのをやめ、更に時間を決めずに疲れを感じたらやめる事にしました。するとほぼ毎回3分30秒前後で、10分なんてとても無理になっていました。練習中に「このポジション難しいな〜」と思い散々悩んだ後に「え?このポケットに入れてこう出せば良いんじゃん!こんな簡単な事に気付けなくなるなんて…」という事が多々あり、空間認識能力の低下を痛感しました。そしてやはり練習するとかなり目が疲れるため、練習量も一気に減らしました。

 

 

4月21、22日。北海道にてCPBA Queens Open。プロ入り後初めて前日練習をしないで臨みました。この大会後にプロの方々にご報告し、お世話になっている方々や友達に電話やメールでご報告した後、すぐにブログで発表する予定でした。朝から気持ちがざわついてはいましたが、やはり試合が始まればいつも通りでした。

 

初戦は覚悟したより視界が良く勝利。ホットアイマスクを20分した後、2回戦スタート。この試合はすぐに立体感が無くなりミス連発。でも試合中にホットアイマスクをしてそれなりに回復し、ヒルヒルで勝利。勝者側で予選通過した事で待ち時間があり、40分ホットアイマスク。

 

ベスト16スタート。一球目を構えた時に、かなり回復していると分かりました。その後フロックもありながら、それ以外はミスも少なく勝利。翌日のベスト8に残りました。そのため引退発表は翌日に持ち越しとなりました。

 

 

応援に来ていた両親とタクシーでホテルに戻り食事。もちろん目の疲労感はありましたが、いつも通りでした。でも食事が終わり部屋に戻る頃に、尋常ではない目の疲労を感じました。ホテル内にあるコンビニに寄る予定でしたがやめ、急いで部屋に戻りホットアイマスク。居ても立っても居られないような今までとは桁違いの疲労感に襲われ、これは8月まで持たないかもと思いました。そのため以前も触れましたが、翌日ブログをアップする前に「8月か11月に引退」という一文を削除しました。

 

 

その日の夜と翌朝トータル2時間40分ホットアイマスクをし、なんとかある程度回復しました。もし全く回復出来なければ、本気で棄権を考えたと思います。もちろん試合直前もホットアイマスクをし、ベスト8スタート。事前に試合中にホットアイマスクをする許可を頂いていましたが、さすがにかなり視界が悪くほぼ無意味で完敗でした。

 

 

敗戦後、会場にいる試合がないプロの方を外にお呼びし引退をご報告。これを何度も繰り返しました。やはりみなさん驚かれ、泣いて下さった方も何人かいらっしゃいました。私は1組以外の方の前では我慢出来ました。そして会場に来ていないプロの方々にも電話やメールでご報告。その後、お世話になっている方々や友達にもご報告しました。出来れば全員にもっと早くご報告したかったのですが、万一情報が漏れ第三者から聞く事になると失礼に当たるとの考えから直前にさせて頂きました。

 

2月に突然引退した方にも電話で報告すると驚いていました。お互いの事情を話し合った後「6月のプロツアーに顔出します」と言ってくれたので、再会が楽しみです。

 

 

そしてブログでファンの皆さんにご報告。これまで目について度々ご報告していましたが、まさか引退する程とはと驚かせてしまいすいませんでした。これまでも出来る事ならあまり目については書きたくなかったのですが、まずプリズムレンズを知って頂きたいということ、手術で試合を欠場する事になった以上隠し通すことは無理ということ、斜視で悩む方々に情報提供することで少しでもお役に立てればということ、自分がファンであれば知りたいということ、以上の理由から書いてきました。

 

SNSやブログは、完全にファンサービスの一環として続けてきました。そのため出来るだけ読んで楽しい、もしくはためになる内容をという考えでやってきました。でも目についてはどうしても暗い内容になってしまい、その事についていつも気に病んでいました。でも何人かの先輩プロや友達に相談すると全員「見たい人だけが見るページなんだから気にしなくて良い」と励ましてくれました。

 

確かにSNSにしてもブログにしても、全員が必ず見なければいけない訳ではありません。基本的に見たいと思って下さる方が自発的に見るページです。もし目についての記事を見て不快に思う方はそれ以降見なければ良い。そう思うと少し気が楽になりました。

 

 

これまで3回に渡り、かなりの長文で引退を決意するまでの詳細をご説明してきましたが、これも自分なりのファンサービスのつもりです。もっと簡単に「2度斜視の手術を受けたけどだめだったので引退します」という方がずっとずっと楽です。でも私たちプロにとって、引退というのは非常に重大な決断です。それと同時にファンの方々にとっても、応援していたプロが引退するというのは少なからずショックだと思います。その方々に対して、なぜ引退を選ばなければならなかったのかをご説明する義務があると考えました。

 

 

本当はもっと早く書き終える予定でしたが、当時のことを思い出すのが辛くなかなか書く気になれなかったこと、書き出してもすぐに涙が出てきてその都度中断したことから、想像より遥かに時間がかかってしまいました。すいません。特に先生とのやり取りは、斜視で悩む方々に向けてのYouTubeで正確な情報をお伝えするために全て録音してあるので、聞く度に涙が出てきて「ドライアイちゃうんかいっ!」と思いました(笑)。

 

 

斜視というのはみなさんにはなかなか理解が難しいと思いますが、目以外は全く問題ありませんので、「アダムジャパン」様と「サングラスミュージアム」様に支えて頂きながら、ファンのみなさんの応援を励みに、最後の最後まで頑張りますだー!!