前回のブログで「続きは試合後」と書きましたが「下書きはしてあるんだからすぐにアップ出来るやん!ってか文字数オーバーって何者?前にもっと長文あったっしょ?」と思い調べた結果、無事解決出来ました!ってことでめっちゃ長文ですので休み休みどうぞ(笑)。

 

とその前に私の引退時期についてですが、今のところ8月3、4日の関東のプロツアーか、11月22日〜24日に兵庫で行われる全日本選手権のどちらかにしようと思っています。

 

引退発表のプログはアップする2週間ほど前に下書きしてあったのですが、実はそこに上記のように「8月のプロツアーか11月の選手権で引退」と書いてあったんです。でも北海道のプロツアーの予選日の夜の目の疲労感が今までとは桁違いに酷かったため「とても8月までは無理かも」と思い、アップする前に消しました。

 

でも今は出来る限り頑張ろうと思っていますし、引退時期についてはみなさん気にして下さいますので、余程のことがない限りその2試合のどちらかになるとお知らせさせて頂きます。出来れば今週末の大阪クィーンズ後、遅くても6月15、16日の金沢のプロツアー後に目の状態を見て判断します。もちろん決まり次第すぐにブログで発表しますので、もうしばらくお待ち下さいませ。

 

では前回の続きです。

 

 

2018514日。右の白目に注射し、白目にメスを入れて筋肉を引っ張り黒目を出来るだけ正常に戻す手術を受けました。ただやり過ぎると逆に寄り目になるので加減するため、斜視の度合いを完全に0にすることはホールインワンと同じくらいの確率とのことでした。手術後半年様子を見て、この程度ではプロとしてやっていけないという場合は再手術も考えますと言われました。

 

手術中に視界を確認しながらの方が精度が高いということで局部麻酔でした。今までの人生で断トツ一番怖かったです。手術台でのテンパり具合はこちらの動画。手術約10日後に痛みと縫った糸の異物感がある程度ましになってきたので練習してみましたが、自分の目ではないようなちぐはぐな感覚で超簡単な球も全く入らず。その辺りについてはこちらの動画。ここから以前の状態まで戻すのに、一体どれくらいリハビリすれば良いのかと気が遠くなりました。斜視の度合いは術前が25〜26でしたが、手術1週間後は8まで減りました。術後半年は変動する可能性があり、特に1ヶ月は不安定とのことでした。

 

徐々に練習量を増やし、目の動きもある程度スムーズになってきたので、予定より早い6月9日の東京でのプロツアーで復帰。この頃の斜視の度合いは日替わりで、大体48の間でした。4なら斜視用の見越しは必要ないものの8なら必要で、試合の日がどの程度なのか探り探りでした。ただ立体感や距離感はプリズムレンズに変えた時ほどではないものの、術前に比べれば遥かに良かったです。現状を知るため意識してホットアイマスクなしで臨み2試合目は良い内容でしたが、3試合目で視界が最悪になりボロ負け。7月のジャパンオープンではホットアイマスクをする時間がなく、4試合目でボールが二重に見えかけ惨敗でした。

 

 

斜視の症状が酷くなると、右目から脳に送られる情報に異変を感じ、目が開いているにも関わらず右目が見ることをやめてしまいます。これを「抑制」と言うのですが、右目に眼帯をしているのと同じなのでより一層立体感や距離感が失われる訳です。でも一番難しいのは、日常生活は「抑制」が出ると自覚出来るのですが、試合中は椅子に座っている時しか自覚出来ないということです。「抑制」が出ている時は斜視用の見越しが必要になるのですが、一球一球必要なのかが判断出来ず、とてつもなく難しいです。日替わりでも良いので「今日は抑制が出る日」「今日は出ない日」という方が、厚みを合わせるという点では遥かに楽だと思います。

 

平場ではセットマッチ45回やってもそこまで視界は変わらないのに、試合になると3試合目まで持たないという状態。先生には「それだけ試合になると普段とは違う緊張や集中で、想像以上に目に負担がかかるということなんですね」と言われました。

 

8月の北海道でのプロツアーは何とか2試合勝利した後、術後初めてのホットアイマスク。その効果もあってか5試合目まで進み、そこで負けたもののロングのボール以外は覚悟したより立体感があったので、このまま良くなっていけばもしかしたら復活出来るかもと希望を持ちました。

 

8月下旬の診察では斜視の度合いが近くが0、遠くが4でした。この頃には安定して常に0〜4の間でした。斜視が改善されたことで日常生活では「抑制」も減り、相当楽になりました。でも試合では更に良くならないと厳しいとお伝えすると「ここまで改善されて日常生活は何ら問題ないのにそこまでプレーに影響があるとは。プロスポーツで使う目の機能は日常生活とは全く違うということを僕も改めて勉強させて頂きました」と言われました。

 

「実はプリズムレンズで良くなった時期があったと聞いていたので、内心もう少し良くなるかなと思っていたんです」とも言われました。「プリズムレンズをかけ始めた頃のような視界はやはりもう無理ですか?」「その時は長年眠っていた能力を一気に引き出したので余計に感覚が研ぎ澄まされたのだと思います。手術でそこまで求められるとやはり難しいですね」とのことでした。

 

特殊なメガネをかけ、セミの羽の絵を見て立体視出来るかという検査では、立体視出来るまで10秒かかりました。普通の人は一瞬で立体視出来るそうです。「ここまで良くなってもなかなか立体視出来ないということは、もう目の位置の問題ではないということですか?」「そうですね。目の位置以上に脳で合わせる部分が重要なんでしょうね。人間は右目と左目で得た映像を脳の中で作り直して立体感を感じるのですが、野内さんはそこが出来ていないようです。ただそこをトレーニングしていくのは相当難しいと思います」と言われました。

 

どういうトレーニングをすれば良いのかとお聞きするとかなり長考され「逆に寄り目になる危険はありますが、3Dの本でトレーニングする方法があります。ただやり過ぎて疲れると逆効果なので、一日十分までにして下さい」と言われました。早速帰り道に本屋で購入。周りのほとんどの人がすぐに絵が見える中、私は初めて絵が見えるまでに9日間かかり、自分の立体視能力の低さを改めて思い知りました。ただトレーニング後は明らかにボールの立体感が増しました。残念ながら長時間は持ちませんが。

 

 

9月の東海では、出来る限り立体感が持続するよう開会式の前に会場で3Dトレーニング。普段より落ち着かない環境のせいか、いつもすぐに見える絵がなかなか見えませんでした。その影響か初戦の1ラック練習で一球目を構えた瞬間に、視界が最悪だと分かりました。何とかラッキーで勝ち、急いでホットアイマスク。そのお陰で目が回復し、2試合目は良い内容で勝利。そして再びホットアイマスクした後3試合目スタート。序盤は視界良好だったものの中盤以降は何度見ても全く厚みが分かりませんでしたが、序盤リードしていたお陰で何とか勝利。試合後ホットアイマスクし、4試合目のベスト16スタート。この試合は序盤から立体感も距離感もなく、ミス連発で惨敗でした。

 

術後少しづつではありますが、試合をする度良くなっている実感があったのに初めて悪化したと感じた上に、ホットアイマスクをしても回復出来なかったことにかなりショックを受けました。試合会場では普段通り振る舞いましたが、ホテルに戻ってから普段から大変お世話になっている林プロに「目の調子が一気に落ちてとても試合にならないから、次の試合に出たくない」と弱音を吐くと「きっとたまたまだよ!次の試合は大丈夫!」と励まして頂きました。

 

もしかしたら会場ではなく朝ホテルで3Dトレーニングした方が良かったのかもと思いましたが、それを差し引いても目の調子が悪かったので帰宅後も立ち直れず、毎日「引退するしかないかも」と考えていました。帰宅した916日は安室奈美恵さんの引退日で、連日テレビから「引退」という言葉が聞こえてきて辛かったです。

 

 

9月末。母の体調が悪く検査したところ入院、手術になりました。以前こちらのブログ記事で「知り合いが入院」と書きましたが実は母でした。1067日に北陸、1213日に九州と連戦でしたが、1時間半の比較的簡単な手術になるか、6時間の難しい大手術になるか微妙なところと言われ、どちらかもしくは両方欠場することも考えました。ただそうすると母が気に病むので、練習不足ながらも北陸に出場。初日の5試合目は立体感のかけらも無かったですが本当にラッキーで勝利し、術後初めて二日目に進出。勝ったことよりも二日目の目の状態を試せることが嬉しかったです。

 

試合後、就寝前、起床後、出発前とホットアイマスクをしまくり会場へ。到着後すぐに練習出来たのですが、一球目を構えた瞬間に「やばい!」と動揺しました。霞みが酷く、立体感ゼロだったからです。ロングだけならまだしも、ロング以外もどこを狙っているのか分からない状態でした。早目に練習を切り上げ、ホットアイマスクの時間に当てました。

 

ベスト8スタート。ホットアイマスクの効果は期待したほどなかったので、とにかく近くにポジションしないと入れられないと焦りました。でも「霞んで見えない」「厚みが分からない」「キューがどこを向いているのか分からない」と神経のほとんどが目に向いているので、とても試合に集中出来ず敗退。特設会場で観客の方も多かったので「練習終わった?これから本番だよ」とパフォーマンスし笑いを誘いましたが、頑張って二日目に進んでも目の体力がとても持たないと分かり、更に強く「引退」を意識しました。

 

 

翌週の九州の翌日が母の手術日だったので心配でしたが九州に出場。プロ15年間で断トツ一番練習せず臨みました。2週連続試合というのも術後初めてでしたが、覚悟したよりは回復していました。極度の練習不足で不安ながらも勝ち、負け、勝ちで予選通過。2試合目が終わった後に携帯をチェックすると姉から「1時間半の手術ですむことになった」とメールが入っていて心底ホッとしました。予選通過後待ち時間が2時間以上あったので、普段の倍となる20分ホットアイマスク。

 

ベスト16スタート。一球目を構えた瞬間にかなり回復したと分かりました。「でも最後まで持たないだろうな」と思いましたが、ブレイクスクラッチ1回以外はノーミスで試合時間が短かったこともあり、最後まで視界良好で勝利。久々にほぼパーフェクトの試合が出来たことは嬉しかったのですが、その反面落ち込みました。なぜかというと、プロ人生で一番練習不足でも、目の調子さえ良ければ苦手な球でも何でも自信を持って撞けるとはっきり分かったからです。逆に普段どれだけ頑張って練習して苦手な球を克服しても、目の調子が悪ければ得意な球すら入らない。あまりに目の調子に左右され過ぎると改めて痛感し、普段練習する意味が一体どれだけあるのかなと思ってしまいました。

 

翌日のベスト8は、前日から試合前までトータル50分ホットアイマスクをしたお陰か北陸の二日目よりは良かったですが、5マス目以降は視界がガクッと悪くなりました。でもラッキーで勝利。ホットアイマスクを30分した後準決勝に臨みましたが、視界が良かったのは1マス目のみで瞬殺でした。特設会場でテーブルが2台だったため、普段以上にホットアイマスクをする時間があったのですが、それでもこの程度しか目の体力が持たないと分かり、ここでほぼ引退を決意しました。

 

 

5年前に持病の腰痛が悪化しアムウェイステージ1二日目から棄権した時も、一昨年変形性膝関節症で一ヶ月寝たきりになり3試合欠場した時も、言うまでもなく辛かったです。でも例え長い年月がかかっても、治療とトレーニングで回復出来ると思えたので頑張ることが出来ました。信頼する整骨院の先生に指示された厳しいトレーニングも、出来る時は倍やりました。もちろん多い分には良いと聞いた上でです。先生には「色々なプロを見てきたけど一番ストイック」と言われましたが、プロなら当然と思いました。

 

でも斜視の場合は自分の力ではどうにもなりません。「サングラスミュージアム」様にプリズムレンズを作って頂いたり、トレーニングをご指導頂いたり、手術を受けても3Dトレーニングをしても、一時的には良くなっても結果的には改善出来ませんでした。斜視の専門家のお二人が本当に親身になって考えて下さってだめなら仕方がないと思いました。もしお二人がいらっしゃらなければ、間違いなくもっと早く引退していたと思います。

 

もちろん自分でも常に試行錯誤しました。どんなに厳しいトレーニングでもやり遂げる自信はありましたが、3Dトレーニングも110分までと言われ、自分で勉強して探したトレーニング本も先生の許可を得てやってみたものの効果がありませんでした。目に良いブルーベリーを毎日食べ、サプリも飲みました。自然と右目を使うように右目を少しだけ前に出すフォームに変えてみたり、キューを左目の下から顔の中心に変えてみたり、お二人に相談させて頂きながら自分なりに考えられることは全てやりました。それでもだめで、先生には「体と同じで目も加齢と共に体力は落ちていく一方」と言われていたので、そろそろ決断するしかないと思いました。

 

両目が失明した訳ではないので、まだプロを続けようと思えば続けられました。でも少しづつ日常生活でも目の疲労を感じるようになり、目の調子が悪く練習出来ない日や、練習を始めてもすぐに目が疲れてやめる日も増えました。どんな理由であれ、まともに練習出来なくなった以上プロを続ける意味が果たしてあるのか。この程度の練習量では現状維持がやっとではないのか。

 

それに目の調子が悪いと全く試合になりません。試合中はもちろん待ち時間も常に目のことばかり気にし、純粋に技術やメンタルの勝負が出来ません。ミスの全てを斜視のせいにする気は全くありませんが、想像より遥かに斜視が原因のミスが多いと分かり愕然としたのも事実です。仮に世界一の技術やストロークがあったとしても、この目ではほぼ無意味になってしまう。目の調子が悪い中での試合は観客の方に申し訳ないという気持ちも強かったですし、自分は一体何と戦っているのかと思い、試合を全く楽しむことが出来ない時間帯が増える一方でした。あんなに大好きだった試合を苦痛に感じる時が来るとは思いもしませんでした。

 

このような理由から、この目でプロを続けるという選択肢は自分の中にありませんでした。「引退」の一択しかなかったということです。

 

 

1015日に母の手術も無事終わり、24日に目の診察へ。術後半年で一区切りと言われていて、この時術後約5ヶ月半でした。この頃には平場でのセットマッチも2、3回目から視界が悪くなっていましたし、練習時の素振り中にタップが手球に触れることが頻発していました。先生に近況をご報告すると「再手術も選択肢の一つです」と言われました。「目の位置の問題ではなく脳の問題なのに再手術ですか?」「やれることをやってみるということです。全く効果がない可能性もあります」「分かりました。再手術してだめだったら諦めます。最終戦が終わってオフに入った12月頭にまた来ます」「ではその時にもう一度相談しましょう」ということになりました。

 

先生には「こんなに良い目を手術した経験がないからどうなるかは全く分からない」と言われましたが、私は再手術で良くなる可能性は1%と思いました。「1%0%もほぼ同じ」と思い、ほんの一瞬だけ「再手術せずに引退しようかな」という考えが頭をよぎりましたが、ほんの少しでも可能性があるならやるだけやろうと思いました。

 

たださすがに「引退せざるを得ない」と悟った九州の後は深く落ち込み、練習もウォーキング&体幹トレも一週間サボりました。持病の腰痛のため整骨院の先生の指導のもと、雪でも土砂降りの雨でも真夏の暑い日でも約5年間ほぼ毎日続けてきたトレーニングをサボれた事に内心驚きました。

 

サボったことで体のバランスが崩れたため先生にはすぐにバレましたが、事情を話すと「今まで人一倍頑張ってきたんだから、気持ちが落ち着くまで休んで良いですよ」と言われました。1028日にランキング対象外の東日本GPクィーンズという東女子8人の試合がありましたが、どうしてもモチベーションが上がらず、全く良い球が撞けず申し訳ない気持ちでした。

 

この頃に引退後の仕事について、ビリヤード業界外も含め少し考え出しましたが、そうすると更にモチベーションが下がったので「例え引退することになっても引退するその日まではプロなんだから、それまで精一杯頑張ろう」と思い、ひとまず考えるのをやめました。引退発表してから二番目に多い質問が引退後についてですが、そういう訳で引退してからゆっくり考えます。

 

99%引退することになると思ったのでまず家族に伝えようと思いましたが、母が術後完全には回復していなかったので一旦控えました。11月頭に梶谷プロと練習する約束をしていたので、練習後にご報告。再手術を受け半年様子を見て、良くならなければその時点で引退すると伝えました。涙ながらに考え直すよう言われましたが「ただ単に勝てないからとか、モチベーションが保てないからとか、そういう理由ではないのですいませんが無理です。自分の力の及ばないところなので」と伝えました。

 

その後、家族にも報告。特に両親はショックを受けたと思います。姉には「これまで散々辛い思いをしてきたんだし、それだけ成功率が低いと思うなら再手術を受けずに引退したら?それで文句を言う人なんて誰もいないし、もうそれ以上頑張る必要ないよ」と言われました。気持ちはありがたかったですが「ファンの方やスポンサーさんに『やれる事は全てやったけどだめだったので引退します』と言える状態で引退したいから、あと半年だけ頑張る」と伝えました。

 

そして林プロにもご報告。泣きながら「まだ手術で良くなる可能性があるんだから信じてるよ」と言って頂きました。前々回のブログに書いた通り、ご報告することで対戦した時にやりづらくなったら申し訳ないとも思いましたが、特にお世話になっているお二人に真っ先にご報告することが自分なりの礼儀だと判断しました。

 

 

1123日から全日本選手権スタート。例年通り両親も応援に来てくれました。この頃には生まれて初めて日常生活で複視(一つのものが二重に見えること)が出てきました。初戦は中盤から立体感がなくなり、終盤はどこを狙ってどこを撞いているのか全く分かりませんでしたがラッキーで勝ち。両親は初戦から私の目の調子が悪いと悟り、客席で泣いていました。

 

2回戦。対戦相手は梶谷プロ。全日本選手権に15回出場して恐らく一度も当たったことがないのに、なぜこのタイミングで当たるのかと思いました。かなり休憩時間があり、目が回復していたこともありラッキーで勝ち。翌日ベスト32。敗者抽選の結果、再び梶谷プロと対戦になりました。「15個あって目をつぶって引いたら麻聖美の横やった。ごめ〜ん」と言われましたが、もはや運命だと思いました。

 

選手権の約3週間前に「最後の選手権になると思います」と伝えてあったので、シングルで対戦することにやりづらさを感じたら申し訳ないと思いましたが、いつも通りの素晴らしいプレーで敗退。私はフリーボールでタップが手球にほんの少し触れるファールをするなど、良いところなしで終わりました。

 

「負けた時は笑顔で握手」というポリシーを守るべく、梶谷プロの目を見ながら笑顔で手を差し出しましたが、すぐに堪え切れなくなり目を逸らしてしまいました。握手後すぐに椅子に座り号泣。最後と思った選手権で、3試合中2回も梶谷プロと対戦するとは。最後の対戦相手が梶谷プロでなかったなら、絶対に泣いていなかったと思います。

 

 

 

次回は、再手術後の様子や100%引退を決意した試合、引退発表の方法に対する苦悩、なぜ再手術後半年で引退する予定を伸ばしたのか等を詳しくご説明したいと思います。とは言えいつになるか全く分かりませんので、文章に自信のある方は手伝ってくださいませ(笑)。