こちらのブログではおひさしのクレトです。というか、趣味の文章を書くの自体が久々になります。

 

毎年、それなりに忘れてはいるのですが6月12日という日は私が千年の恋をしている相手の誕生日だったり致します。

あくまでも好意はあるものの、結婚したいとか、一線を越えた関係になりたいというわけではなくて、一番大好きで、一番大切な人――どんなに嫌いになろうと思ってもなれない。心から消せない。そんな人だから、私は千年の恋をしている相手という表現を使っていたりします。

 

ただ、これは結局は今の距離感があるから成立しているというのは確かです。

 

そして私にはもう一人、もう恋してるとは言えないけれど今でも好きな人がいる。

こちらに関してはちょっと若くないときの出会いだったらどうなっていたのか、あるいはスマホが存在しなかった未来での関係が気になります。

若い頃に思い描いていた理想を押し固めたような人。ただ、恋人になることも叶わず、少しずつ歯車が噛み合わなくなった。それでも、私の目を覚ましてくれる事なく消えた人。

 

男性の方にこの後者の男の話をすれば、彼の言動などをとても理解できると思うし、私はただただ馬鹿で愚かな存在だと感じるでしょう。

 

日々、ニュースでは少子化の話がされ、ネット上でも恋愛観においても様々な言葉が生み出されていると感じるこの頃ですが、私が結婚という話ではなく、恋というものに明け暮れていた時代は男性は女性を3種類に分けているなんて事がよく言われていたもので、今からするとまだ余裕があった時代なのだなとしみじみ感じます。

 

女性を3種類に分類してるって現代のネットで公言したら、即炎上しそうですよね。

ちなみに、その頃に家庭環境から心が壊れた女友達は「女性は同時に複数の人を愛せるから」等といって男性関係もさることながら、彼女まで作っているという中々に怖いことになっていました。

 

しかしながら、多様化などと言いながらも男女関係のもつれがという単語を聞くと世界はまだまだ一夫一妻制が理想として存在していて、浮気など許さない、一人の人間が愛を注ぐのは一人でなければならないという夢の中にいるのでしょうね。

 

他人事のように言っている私も、彼氏や旦那という名称が付けられたお相手ができたとして他の女性と仲良くしていたら足の先からスライスしていく自信しかありませんけどね!!

それでも、男女間という距離感も随分変化したなと感じているわけで、オールドタイプの私などはネット上であれば男女が仲良く遊んでいたり、配信で関わっているという状況を問題と感じないのは見習わなければならない変化なのだろうと感じています。

 

そうしたネットに利用制限をかけたりすると、十中八九モラハラとかDVと言われるというのも時代の変化ですよね。

 

私は乙女的な文章を作る事はないのですが、摂取することは多いわけで、特にドラマCDが好きで、結構古い作品から近年のものまで聴いているわけなんですよ。

モラハラやDV、パワハラなんかのニュースを見たあとに聴いているとモヤっと感じる発言だったりする作品もあって、フィクション・ノンフィクション問わず叩く人はこういうところを使うのだろうなとモノ作りの苦労を改めて噛みしめたりすることがあります。

 

まあ、こういう話は曲の歌詞のほうが多いのかなと考えたりもするわけで、丁度今もチューリップのアルバムを聴きながらこの文章を書いているのですが《虹とスニーカーの頃》という曲の歌詞が「わがままは男の罪。それを許せないのは女の罪」って始まりで、フラれた男が昔の事を思い出しながら、個人的には『確かに自分にも悪いところがあったけどあんな別れ方しなくてもいいじゃないか。というか、このくらい許してくれよ。それができないのは君の悪いところだよ』って思えると感じながら聴いてる好きな一曲なんですけど……なんかこういうやりとりのライン画面めっちゃ見ますよね。

 

時代の流れってなんなんでしょう。

 

ところで、ちょっと面白い事に例の二人の男はどちらも同い年なんですよ。

我々の生まれ年は年齢計算するのに便利でして、昨日、年齢を記入するときに自分の年齢がわからなくなってその計算法で年齢を書いて書類を渡してきたんですね。ただ、私、まだ誕生日迎えてないので数ヶ月早く歳を取ってしまったことに、千年の恋をしている相手に誕生日おめでとうメール送ったときに気が付いて絶望しました。

 

そして、間違えたことを書いたので早朝からバチバチに年齢のことを罵り合ってます。

 

不思議なもので、自分の妄想なのではないかと思うほど完璧な相手より、結局は馬鹿馬鹿しいことから時には本気で喧嘩できる相手のほうが自分の中の一番として君臨し続けるとは思いませんでした。しかも、ほぼほぼ全てが理想と真逆の相手。

 

いつになればこの夢は覚めるのか。覚める必要はあるのか――。

 

本当はちょっと甘い話をしたかったのに、やはり恋バナは自分には向いてませんね。

夢の中とはいえ、理想の相手に再会できたと言うのに。けれどやはりまだ夢の中なのかもしれない。来年もまだカレとこんな風にやりとりができる関係だと良いなと思ふ。

私はある程度幸せ者で、どの部分が幸せかといえば本当に“孤独”というものになった事がないところ。

人間関係というもので手放しで「不満がない」と言える人はいないと思っている。だからこそ、私は恵まれ続けている。でもそこで止まるつもりはないので、痛くて、苦しくて、つらい。なんて言ってしまうのだろうと思う。

 

自分自身、占いというものには長く携わってきた。けれどその多くは俗にいうコールドリーディングであったり、予測、推測、自分の中にある膨大な情報からの照らし合わせ。けれど、手品師ではない。なのでその場にあったカードを出すことはできないのに、どのカードを使ってもその場にあったものが出た。

でも、それだって所詮はこじつけて、何となくぽい事をいているだけのような気がして、その超常現象を信じることなどできない……。

だからお金を払って占いをして貰ったり、他人に占ってもらうのは馬鹿らしい気がして、他人に占ってもらったことは2回だけ。

 

1度目に占ってもらったのは恩師だった。

恩師とは私に文章を書くということを教えてくれ、フランス語を教えてくれ、亡くなったあとも何かと助けてくれていると感じさせてくれているあの恩師であり、奇妙なことに恩師も占いをできる人だったのだ。

と言っても、ジャンルは違って手相占いであり、噂を聞きつけた学友が「クレトちゃんも見てもらいなよ」と半強制的に見てもらった。

 

結果――というには一言しか記憶に残っておらず、その1度のあとには占いという言葉があがったこともない。あと、恩師はどっかの出版社の詩の選考委員で、国語教師の癖にどういう感情でその言葉を選んだという発言があまりにも多く、学生の頃の私からすると計り知れないほど大人ではない大人だったのかもしれない。

 

そんな恩師からの言葉は「時計さんってとても優柔不断な人だったんですか?!」という驚愕。それだけ。

 

周りの友人は私が優柔不断なことを知っていたので「先生知らなかったのー」と笑っていた。自分の優柔不断さは自分が一番よくわかっているし、スパッと決めたように見られることも長時間熟考したのちの回答であり、行動。

どちらかといえば、かなり昔に設定しておいたプログラムにしたがって答えを出しているレベルに優柔不断である。なので、占いにカウントできないレベルだと思う。

 

2度目はネカフェで暮らしていたとき、占い館に行ってお金を払って占ってもらった。

 

これもどちらかといえば、その後に私が占いというもので金を稼ぐ為の偵察に近く、プロというものがどういうことをどうやっているのかを見るために行ったというのが本音だ。

 

内容は“仕事について”を占ってもらった。名前は訊かれなかったが、誕生日は訊かれたので生まれ年も月日も全部スラスラうそぶいたが何もなく進んで、やはりそのレベルなんだってのが感想だった。

守護天使がどうのこうのと書いてある先生だったが、終始、可もなく不可もなく。

 

そして時間が余ったので私は気になっていた人間関係について訊ねてみた。

正直、私はその関係性の先というものにきっと変わらない自信があった。私の短い人生で一番愛し、愛され、実を結ばなかった最愛で最低の友人。

 

『何度かプロポーズをしてフラれた友人が、他の相手と結婚してからも執着してきて、縁を絶とうと努力してるのですがどうなりますか??』

 

このときは実際に電話にも一切出ることはなく、メールの返事もしなかった。ネカフェを出たあとも約4年間一度も会わなかったし、住所も知らせなかった。3年間は生きていることだけメールで伝えたレベル。でも、カレは色々な意味で何も変わっていない。

 

「そうですね……。その執着は自然と薄れ、特に何もしなくても自然と縁は切れますよ」

 

と言った返答だったと思う。親よりも、誰よりも本気で私を定期的に探したのはカレだった。執着が、縁が消えることはまったくなくて、もしも、私が正しい生年月日を伝えていたら違ったのかとも考えたが、たぶん何も変わらなかったと思う。私が愛したのはそういう人だから。

 

占いの最後に占いの館らしく、自分で数字を1枚引いてお土産におみくじのような紙をくれた。

そこには大きな文字で《幸運》と書かれていて、自分の人生のどこに幸運があるのかと笑ってしまい、占い師に『私、かなり不幸体質なんですけどね』と投げやり気味に言い放った記憶がある。

すると占い師は少し不思議そうに「かなり運は良いほうだと思いますよ??」と返答された。

 

――――運というものが何なのか。そうした議論をし始めるとキリがないので今はしない。でも、ろくでもない人生と言いながら、常に最低最悪だったのか。何もかもが悪い人生だったのか。そんな問いかけをすればそういう事はない。

 

まず第一の幸運というのならば、病院との繋がり、カウンセラーが20年以上変わっていないというのはかなりな幸運だろう。

この点の普通はわからないが、同じ病院に通院を続けて、同じ人と関り続けている。それが主治医ではなく、カウンセラーであるというのは稀な気がする。

 

有能か有能ではないかという話になれば、そこは少し難しいところだが、まあ、家庭事情に一々首を突っ込んでいたらもうカウンセラーなんてやってられないだろう。

 

次の幸運といえば、恩師との出会い。

 

これは死人だからこそ、幸運という美化ができる話なのかもしれないと考えることもある。

もしも母親が倒れた後にも恩師が生きていたら、恩師は私に何をしてくれただろうか。いや、何かをしてくれたのだろうか。そういう疑問符は浮かんでくる。

恩師は私が在学中に胃癌で入院し、ほぼほぼ教職を退いていたし、私は未成年で、亡くなる前に連絡してた当たりの発言を思い返せば「退職したら自分の人生を謳歌するんだ」と音符付きで言っていた気がする。が、たぶん、助けてはくれただろうし、流石に知恵は授けてくれただろう。気まぐれに。

 

誰だったのか正直、今でもわからないが、亡くなったという連絡が回ってきたあとに電話をくれて、短期間メッセージのやりとりをした女性。印象としては妹か担当編集という雰囲気だったが、その方とのやりとりの中では随分と学校外で私のことを話題にあげてくれていたらしい。

 

生きていた場合の世界というのはとても興味深いし、これは占い以上にオカルトな話になる。

だが、現状は恩師と出会っていなかったら起こりえなかったと思う。悠々自適な独り暮らしをするという事態も、後輩が一時的に転がりこんできた自体も、恩師あってだと私は感じている訳で、お金を払った占いよりもすさまじく未来を予測して物事を動かしてくれたと思う。

 

守護霊という存在は私はあまり理解ができない。守護天使というものも信じてはいない。

けれど、もしも守護霊なるものがいて、私を守ってくれているのなら、恩師は絶対そこに関わっていると感じている。そんな人物と出会えたというのは幸運以外のどんな言葉で表せばいいというのか。

 

そして、話は冒頭に戻り、私の人間関係は幸運といえば幸運なのだと考える。

 

特にこの数年は自分自身の価値観の変化が大きすぎて、自ら切り捨てた相手も多いし、元々人間の入れ替わりは激しい。

本音で何でもぶつけあえたり、甘える事ができたり、恋人だとか、結婚とかそういう間柄の相手もいない。誰かと話したい夜に連絡できる相手だとか、いつもダラダラ通話を繋げたり、自然と集まるとか、リア充っぽい事は一切ない!!何だったら理由がわからないまま、めちゃくちゃ仲が良いと思ってた相手がいきなり連絡先から消えてたりとか、オン飲みとかいうものが広まったご時世なのにそれができる相手すらいない!!

 

それぞれに不満な点は多々ある。両手放しに最高の友達なんて言える相手はいない。けど、それは相手も同じだと思う。『でも、友達なんだ』って言える相手がこんな現状でもいる。

 

一応は小学校からの幼馴染で、一般的に親友なんて言葉を使うのであれば彼女なのだろうって、友達がいて、結婚してからも年に何回もご飯食べに行ったり、誕生日にはプレゼント交換したり、こっちが大変なときには必ずってほどに助けてくれて、時々心臓をえぐられるようなことはあったりするけど、会うときには全力でお洒落をして会いに行くそんな友達。

 

自分勝手すぎて迷惑なことのほうが多いし、今はなんの役にも立たない。簡単に会えもしないし、二人で遊ぶとかはできない。それって友達なのかなって言ってしまいたくなることもあるけど、何度突き放して、どんな感情をぶつけても許してくれて、「生きててほしい」ってハッキリ言葉にして夢の中にまで死ぬ事を止めにきてくれる友達。でも、会えたら、生きててよかった。生きていたいって思わせてくれるそんな友達。

 

友達というには何か違う、それに正直、苛立たされることは多い。まあ、居なかったら居なかったで違う生き方をしてると思うけれど、実働という部分では感謝するしかない友達。

奴がいなければ、私はカメムシによって冬を迎えられていなかったかもしれない。簡単にいうなら、現状、人間的に生活するのに欠かせない友達。

 

友達というよりは仲間。細かいことを知ろうとは思わないし、突然理論武装でキレるのは結構こわいと思ったりもする。けど、このネズミがいなければやってない事がどれだけあっただろうか。こんな頻度で色々な創作してないし、アニメーションに手を出したり、ゲームもこんな色々とやってない。

小説を書き始めたのは恩師のおかげだが、他人が読める小説に指導してくれたのも、今の絵柄になったのもこの友達のおかげ。なんか、友達ってカテゴライズには違和感しかないが、これが友達でないのなら、友達とはなんなのかって感じにもなる友達。

 

あとは、友達と言ってしまうにはあまりにもピースが足りない。

だけど、あえて書き起こすのならば。

 

大体、1年に1度会えるのがとても楽しみだった。マメに連絡を取っていたわけでもないのに、何となく自然体でいられる気がするのが気楽で、普段はしないようなことをするのはとても楽しかった。何よりも、イケメンで紳士というところごちそうさまです!!って叫んでも「はいはい」って流してくれる感じが丁度よかった。クリスマスデート最高でした!!(デートではない)

一緒にネトゲして寄生虫してたのが懐かしくて、コロナとゲームのバージョンが変わって本気で関わりなくなってそれでも、時々だけする呟きにコメントしたら返事してくれるのが嬉しい。

もしもまた会って、一緒にどこかに行くとかいうことができたら歳取ってるのだろうな。また会いたいな。とか思う人がいる。

 

始まりは恩師だった。でも、彼がいなければもっと違う心で私は立ち止まっていた。ネカフェ難民なんてまだ幸せなものじゃなくて、山の中でテント生活を経験するなんてことになっていたかもしれない。自分の中にもっと沢山のもどかしさを抱えていたかもしれない。

相手からしたら一つのコメントだったかもしれないけれど、私は明確に2度救われた。

最近の私はポンコツになり過ぎてしまったけど、宗教であったり、私が楽しいと感じて語る分野で議論をできるのは彼しかいない。気にしたら負けなのだろうが、年齢については信じられてないことを告白しておく。私の頭の回転がこうなる前にできればもっと語ってみたかったそんな人がいる。

 

初めて交流したときって未成年で、気が付いたら社会人になって、数年前に作業イプしたり、麻雀教えて貰ったりしたの楽しかった。そんな途中で他の女の子から連絡来て、茶化していたけどかなり嫉妬してたのはここだけの話。

質問したことに丁寧に答えてくれるところだったり、真面目なところ可愛いなっていつも思ってた。唐突な雑談が楽しかったり、正直、彼としかしてないというか、出来る気がしない話題があって、でももうする事もないんだろうな、これから自分の人生を歩んで行ったらもっと関わることなんてないのだろうなって思うとかなり寂しい。近い場所だったら一度くらいはさしで飲みたかった。そんな人がいる。

 

もしもまた復帰して、どんなに違うって言われても、あんなの私が原因としか思えないって文句言いたいやつがいる。ガチで焼肉屋で食べたいだけ飲み食いさせてくれないと許さない。

どこまでが本当でどこからが嘘だったとしても、一緒に飲んだ酒は美味かった。そんな奴がいる。

 

どこか人種が違うんだなって思う。なんか常識が違い過ぎる。でももうちょっと優しくしてくれてもって思うこともあるけど、今くらい粗さがきっと丁度いいというか、今更優しくされてもこわい。それに、なんだかんだ気にかけてくれてる人の良さとか真面目さが見え隠れしてるのが、トークの才能以上に惹き付けられる。一緒に映画を見るのは本当に楽しくて、幸せだなって思う時間の1つ。

暇になることはないのだろうけれど、一度くらいはちゃんと人間になるのでゆっくりとオン飲みしてみたい。ただ、昔ガチ酔いしてるときに言われた「お前って知ったかばっかだよな」って言われたそれが証明されるので、やっぱり飲みたくないかもしれない。パリピこわい。そんな人がいる。

 

いつの間にか日常に紛れ込んでいて、それはさながら日本工業規格適合認定マークのよう。結構小まめにコメントくれたり、色んな場所の配信に紛れ込んでいるのになんか嫌な感じはしない。新作のエナドリが出る度にその話題をふるの楽しい。ゾーンにピーチ味はないんだ。最近では現代的な距離感というのにも慣れてきて、誰か消えてもこうして新たなかかわりができてるのありがたいなって噛みしめてる。とりま、箱のクッション材に何入れてやろうか検討中。そんな人がいる。

 

会いたいとかいうわけじゃないけど、地域的にご近所なので『さっきの雨ヤバかったよねー』とか言えるのがそこそこ楽しい。罰ゲームハッシュタグに巻き込まれるのは嫌いじゃなかったよ。しんどい声しててもウサギ走らさせてくれるの優しい。とりあえず、神様、今回のメイド服欲しいです。物欲退散。こちらも時代という感じだけど、こんな年寄りとも普通に絡んでくれるのは純粋に嬉しい。そんな人がいる。

 

あとは……結局、焼肉行けなかったね。って人とか、至らない点ばかりでお力になれず申し訳ありませんでした。って人とか、本年は本当にお世話になりまして、とてもあなたに発言に救われたのですが、時間が合わず配信に顔を出せなかったので年末ってことでお礼のメッセージだけでも送りたいって人とか、貴方は今どこで何をしていますか??また転勤をしていますか??今でも私の心を傷付けたモノ、失ったいまでも傷を作る。こんなにも私を苦しめていこと、こんな私を知って貴方は笑うのでしょう。って人とか。

 

人生を遡ればさらにキリがない。何故、唐突にこんな話をしたかといえば、たぶん、年末だからでしょ。

 

何人かもう絶対的に会うことのない人もいるし、お礼を書いたわけでもない。今更ながら年賀状的に書けばよかった後悔もあるけれど、来年も仲良くしてもらえたらな、っていうか、より仲良くなれたらなーみたいな願望がこもっているのがとても気持ち悪いなって思う。

でも、私という生き物の社高度はこの辺りなのだ。

 

だから、今回の締めはこの言葉で終わっておこう。

『皆様、良いお年を――。』

 幸せって難しい。どのくらい難しいかというと、ヤシの実を割るくらい難しい。

 けれど、世の中にはそれを簡単に出来る人もいるし、毎日やってる人もいたりする。だから、幸せもたぶんそういう感じのもの。

 出来る人は当たり前にできるし、出来ない人は全然できない。

 

 自分の人生を振り返りながら、沢山の紅茶を飲んでるとソレを幸せだと思うことがある。

 

 ソレは自分の好きな濃さで飲んでいるからとか、砂糖を入れられてるとか、せかされてないとか、色々な幸せがその瞬間には混ざっている。でも、何よりも思うのは、お手洗いに自由に行けるって事。

 誰かはきっと「そんな当たり前を」というかもしれない。

 私は足は悪くない。五体は満足だ。内臓だってそれなりに普通。ただ、部屋の外に簡単に出れなくて、お手洗いに行けなかった経験があるだけ。

 

 お風呂にも当たり前には入れなくて、どうしても入りたいときは許可を貰わなきゃいけなくて、ちょっと大変だったとか。何もなかったわけじゃないけど、お腹が空いても食べ物を食べさせて貰えなかったり、逆にお腹が空いてなくても食べなきゃいけないとか、そういう生活が成人しても続いてたって事で、自由にお風呂に入れたり、お腹空いたってときに食べ物を食べれる事に幸せを感じる。

 あと、寝るときだって、周囲の気配を気にして痛みに堪える心構えをしないで眠ったり、枕元に武器を置いて眠らないでも、何事もなく目を覚ますことができるって幸せだと私は感じ、その事を忘れることは何年経ってもできない。

 

 当たり前の中の当たり前の毎日。それがまずは幸せで、でも、どんなに居場所を変えても、あの頃の恐怖が自分の中から消える事はなくて、それは不幸と呼ぶしかないと思う。

 

 友人だと思える人達と楽しくお酒が飲めることを私は一つの幸せと定義づける。

 だって、それは簡単なことではないから。

 どんなに仲が良いと思っている人でも、いつ、そんなことができなくなるかわからない。お茶をすることさえ、難しくなる。それが、ある意味では歳を取るということ。人間は始めは近いところを歩いていても、一歩進む度に遠くに離れていく。再び交わることは、今の時代、私は多くを知らない――。

 

 親孝行できるという事も一つの幸せだと考える。親が生きているのかということは大前提ながら、孝行しようと思える親であるというのは、現代的表現するならば、十二分に親ガチャの当たりだと、私のような生き物は言い切ろう。

 

 誰かと人生を共にするか。あるいは、独りで人生を過ごすか。どちらが幸せなのかは千差万別だ。

 

 近頃の私は、他人に邪魔をされたくないことがあるので、独りが良いと願うが、この先も永遠に独りと決定がくだされるのならば、二人になる道を選ぶだろう。

 ただし、その他のことを投げ出せるほどの人材でなければならない。本と創作、それ以外の全てを投げ出して良いと思えるお相手。その程度だが、きっと難しいのだろうな。

 

 残念なことに生き物は簡単にはその本質を変える事ができない。

 

 だから、私は自身の最終的な幸せの定義は『愛せる人に尽くせること。ただし、その相手は安心を与え、脅威から守り、最低限の生物的自由を与える』になるのだ。不快感のない容姿。イケメガネならば、なおよし!!

 

 けれど、この最低限の保証のような部分が結構むずかしい。というよりも、クレトトケイという生き物に恐怖心を与えずに近付くのが困難。私だってできることならば、特にあれこれ考えることなく色々な人と接触して、仲良くしていきたいと考えることもあるが、自信の性格の悪さに何度血涙を流したことか。

 いきなりフランクに接してくるだけで警戒心と不快感がMAXになってあいさつすらしたくない。「友達の友達だから友達」みたいな感覚とか無理。最低限のマナーと教養を身に着けてからどうぞ。

 ねぇ、これ、私がおかしいのですか?? 挨拶の一つも出来ない人間如きに挨拶くらいしろって多くを求めすぎなのですか?? 感覚が歳より過ぎるの?? なんかどっちつかずな世界で育ったお歳なの。許せ――。

 

 ――まあでも、だからさ、他人を頼らずに幸せになろうという努力をしているわけですよ。えぇ。

 

 お部屋を好きなもので埋めたり、創作に没頭したり、出前取ったり、たまに屋上に登って朝焼けを眺めたり…………あ、うん。そうだね、まずは外に出れるようにならないといけないね。あと、昼夜の逆転ね。

 

 でもさ、ここ一ヶ月くらいのクレトは、充実してたり、幸せをかみしめてたりしてたの!!!!

 

 後輩が居座ってた1週間で溜まったストレスを創作でぶちまけ!!8月の下旬で役所の仕事がほぼ終わった開放感でより創作に磨きがかかり!!皮膚科にも行って、うろこ状態が治り!!絵を描く時間が長くなったら、SNS見る時間が減って心のイガイガした感じが減り!!ネズミの贈り物と良い指導でさらに創作の質が爆上がり!!!!

 これからより、色々出来るようになったら、新たなお仕事にして、美味しいもの食べたり、我慢してたグッズも買って、スタバで桜まつりやってやるぜ!!Foooo!!!!みたいな気持ちでいたの!!!!

 

 昨日までの数日は後輩来てたから、創作は一旦お休みだったけど、綺麗に区切りついてたから、そこから再スタートすればとかいう感じだったし、幼馴染に荷物送るついでにアイス買って来ようとか、バイクに乗って独りでリバイバル上映されてる好きな映画観に行こうかなとか!!こないだ久々にちょっとだけど街に出れたから、街にでてみようかなとか!!色々考えてたの!!久々に色々と悪かった調子が良くなってきてるな、良い流れきてるなって!!

 こういうパターン悪いこと起きる事が多いけど、どうせポットが割れたりとかそういうことかなって、今度はマグカップでも割れるのかなくらいに考えてたの!!!!

 

 そしたら、なんなんだよ!!普段はしてた、病院行く前にライン確認するって作業を1つ忘れただけなのにさ……この良い流れのこういう日に限って、ハトコから内容のわからないラインが届いて、後輩が来る直前に気が付いて、精神状態が荒れたら困ると判断したらしい後輩は「開かないで」みたいな対応で、一回はポジティブに考えたけど、やっぱり無理で、創作活動しようと思ってもできなくって、それがあまりにも腹立たしかったから、ラインは最後の連絡手段に残してたけど、全員ブロックした。

 

 こんなことで調子良くKawiiを生み出す化身になれそうだったのを邪魔されて、今までは何があっても我慢し続けてたけど、血縁全員と宗教関係の人、ブロックした。我慢できなかった。

 小説だったら、自分の心の闇もネタにできたけど、Kawiiの中に狂気はあっても、心の闇はいらない。

 

 ブロックする前にハトコからのメッセージは読んで、返事もしておいたけど、ただただムカつくと恐怖で、関わったらろくなことにならないだった。

 血縁にとって私は本当にもうこの世にいないものでいい。婆さんの家に多少は気になる本があったけど、それさえもういい。私は天涯孤独でいい。全員、自分の犯した業を背負ってこれからの人生苦しんでくれ。正直、ハトコはどの面を下げてとしか言えない内容しかなくて、今後どんな不幸にあっても巻き込まないで欲しい。自分自身の可哀想に甘えないで頂きたい。

 

 たしかに彼女の人生は不幸な始まりだったけど、それでも最悪な状態は回避してもらった始まりだったし、選択肢という点で不幸を選び取ったのは自分だ。刺されたのだって、判決があの結果だったのは彼女自身にも非があると法廷が認めたから。

 そんな余波を受けたのは私だ。彼女が前を向いて進もうとするなか、身内から刃物を突き付けられたのは全て私だ。窮地に陥ったときに追い詰められたのも、自分が作った結果。これは今からの自分に返ってくる言葉になるが、それでも、あのときの自分は違った。

 居ない不幸を彼女は嘆き続けた、そこに執着したが、それは居る不幸を知らないから。結果を知っている私からすると、彼女は居なかったことに感謝すべきなのだ。それこそ、そこが幸なのか不幸なのかは私が決めることではない。ないけれど、借金まみれの人生を幸せと果たして言えるだろうか??

 

 私はきっとこれからより孤立していく。孤独になっていく。よくあるエッセイのように「自分を理解してくれる相手に出合え、今では」なんて台詞は出てこないだろう。いつまでも、いつまでも呪いの中で生きていく。他者を呪い、呪われて、自分の中の呪いに生涯蝕まれて生きていくだろう。

 でも、できうる限り私のやりたいを邪魔して欲しくない。私にはしたいことが沢山あるんだ。一秒だって無駄にしたくない。それこそ、洗濯を回した幻想を見ていたレベルで熱中したいことがあるんだ。

 これは私が一番に望む幸せではない。けれど、これだって私が望む希望の形。だから、二度と邪魔をするな。

 

 

1,私はちゃんと死なそうとした。それを止めたのは私でなく父と宗教の人達だ。

2,私は二人でも生活できるラインを探し、提案し、実行できるように協力した。拒絶し、反省もしなかったのはそちらだ。

3,私は多くの事をした。努力した。何度も自殺未遂するまで黙って、尽くした。その事実を拒絶し、私との関りを疎んだのはそちらだ。

4,私は貴方を信用できる人物と見込み、真実を伝え、助けを求めた。それを一度は受け入れたものの、現実を目の前にして、手酷く突き放したのはそちらだ。

5,私は貴女のことを想い、多くの真実は告げなかった。けれど、少量の真実からも目をそむけ、自分に都合の良いことしか見ず、自分の理想を押し付けてきたのはそちら。自業自得である。自らで自らを呪い続けてください。

6,私は気持ちの悪い子供だったでしょう。出来の悪い子供だったでしょう。何故当たり前ができぬのか、苛立ったことでしょう。けれど、子供の私に何ができたというのでしょうか。産まれながらに真っ当でなかった私を誰が育てたというのでしょう。悪いのは私だけだと言い続けるのは卑怯ではないでしょうか。初めに手放したのはそちらです。

7,色々ありはしたものの、私は今は大して恨んではいません。けれど、信用もしていません。だからもう関わらないで終えましょう。もしもソチラがこちらに何か思ってもすべてお門違いです。私と同じように自分の発した言葉で呪われて死んでいってください。

 

それでは、皆々様。さようなら。それぞれで、現世も来世も再来世も未来永劫、二度とお会いすることなく生涯を終えることをお祈りしております。