幸せって難しい。どのくらい難しいかというと、ヤシの実を割るくらい難しい。

 けれど、世の中にはそれを簡単に出来る人もいるし、毎日やってる人もいたりする。だから、幸せもたぶんそういう感じのもの。

 出来る人は当たり前にできるし、出来ない人は全然できない。

 

 自分の人生を振り返りながら、沢山の紅茶を飲んでるとソレを幸せだと思うことがある。

 

 ソレは自分の好きな濃さで飲んでいるからとか、砂糖を入れられてるとか、せかされてないとか、色々な幸せがその瞬間には混ざっている。でも、何よりも思うのは、お手洗いに自由に行けるって事。

 誰かはきっと「そんな当たり前を」というかもしれない。

 私は足は悪くない。五体は満足だ。内臓だってそれなりに普通。ただ、部屋の外に簡単に出れなくて、お手洗いに行けなかった経験があるだけ。

 

 お風呂にも当たり前には入れなくて、どうしても入りたいときは許可を貰わなきゃいけなくて、ちょっと大変だったとか。何もなかったわけじゃないけど、お腹が空いても食べ物を食べさせて貰えなかったり、逆にお腹が空いてなくても食べなきゃいけないとか、そういう生活が成人しても続いてたって事で、自由にお風呂に入れたり、お腹空いたってときに食べ物を食べれる事に幸せを感じる。

 あと、寝るときだって、周囲の気配を気にして痛みに堪える心構えをしないで眠ったり、枕元に武器を置いて眠らないでも、何事もなく目を覚ますことができるって幸せだと私は感じ、その事を忘れることは何年経ってもできない。

 

 当たり前の中の当たり前の毎日。それがまずは幸せで、でも、どんなに居場所を変えても、あの頃の恐怖が自分の中から消える事はなくて、それは不幸と呼ぶしかないと思う。

 

 友人だと思える人達と楽しくお酒が飲めることを私は一つの幸せと定義づける。

 だって、それは簡単なことではないから。

 どんなに仲が良いと思っている人でも、いつ、そんなことができなくなるかわからない。お茶をすることさえ、難しくなる。それが、ある意味では歳を取るということ。人間は始めは近いところを歩いていても、一歩進む度に遠くに離れていく。再び交わることは、今の時代、私は多くを知らない――。

 

 親孝行できるという事も一つの幸せだと考える。親が生きているのかということは大前提ながら、孝行しようと思える親であるというのは、現代的表現するならば、十二分に親ガチャの当たりだと、私のような生き物は言い切ろう。

 

 誰かと人生を共にするか。あるいは、独りで人生を過ごすか。どちらが幸せなのかは千差万別だ。

 

 近頃の私は、他人に邪魔をされたくないことがあるので、独りが良いと願うが、この先も永遠に独りと決定がくだされるのならば、二人になる道を選ぶだろう。

 ただし、その他のことを投げ出せるほどの人材でなければならない。本と創作、それ以外の全てを投げ出して良いと思えるお相手。その程度だが、きっと難しいのだろうな。

 

 残念なことに生き物は簡単にはその本質を変える事ができない。

 

 だから、私は自身の最終的な幸せの定義は『愛せる人に尽くせること。ただし、その相手は安心を与え、脅威から守り、最低限の生物的自由を与える』になるのだ。不快感のない容姿。イケメガネならば、なおよし!!

 

 けれど、この最低限の保証のような部分が結構むずかしい。というよりも、クレトトケイという生き物に恐怖心を与えずに近付くのが困難。私だってできることならば、特にあれこれ考えることなく色々な人と接触して、仲良くしていきたいと考えることもあるが、自信の性格の悪さに何度血涙を流したことか。

 いきなりフランクに接してくるだけで警戒心と不快感がMAXになってあいさつすらしたくない。「友達の友達だから友達」みたいな感覚とか無理。最低限のマナーと教養を身に着けてからどうぞ。

 ねぇ、これ、私がおかしいのですか?? 挨拶の一つも出来ない人間如きに挨拶くらいしろって多くを求めすぎなのですか?? 感覚が歳より過ぎるの?? なんかどっちつかずな世界で育ったお歳なの。許せ――。

 

 ――まあでも、だからさ、他人を頼らずに幸せになろうという努力をしているわけですよ。えぇ。

 

 お部屋を好きなもので埋めたり、創作に没頭したり、出前取ったり、たまに屋上に登って朝焼けを眺めたり…………あ、うん。そうだね、まずは外に出れるようにならないといけないね。あと、昼夜の逆転ね。

 

 でもさ、ここ一ヶ月くらいのクレトは、充実してたり、幸せをかみしめてたりしてたの!!!!

 

 後輩が居座ってた1週間で溜まったストレスを創作でぶちまけ!!8月の下旬で役所の仕事がほぼ終わった開放感でより創作に磨きがかかり!!皮膚科にも行って、うろこ状態が治り!!絵を描く時間が長くなったら、SNS見る時間が減って心のイガイガした感じが減り!!ネズミの贈り物と良い指導でさらに創作の質が爆上がり!!!!

 これからより、色々出来るようになったら、新たなお仕事にして、美味しいもの食べたり、我慢してたグッズも買って、スタバで桜まつりやってやるぜ!!Foooo!!!!みたいな気持ちでいたの!!!!

 

 昨日までの数日は後輩来てたから、創作は一旦お休みだったけど、綺麗に区切りついてたから、そこから再スタートすればとかいう感じだったし、幼馴染に荷物送るついでにアイス買って来ようとか、バイクに乗って独りでリバイバル上映されてる好きな映画観に行こうかなとか!!こないだ久々にちょっとだけど街に出れたから、街にでてみようかなとか!!色々考えてたの!!久々に色々と悪かった調子が良くなってきてるな、良い流れきてるなって!!

 こういうパターン悪いこと起きる事が多いけど、どうせポットが割れたりとかそういうことかなって、今度はマグカップでも割れるのかなくらいに考えてたの!!!!

 

 そしたら、なんなんだよ!!普段はしてた、病院行く前にライン確認するって作業を1つ忘れただけなのにさ……この良い流れのこういう日に限って、ハトコから内容のわからないラインが届いて、後輩が来る直前に気が付いて、精神状態が荒れたら困ると判断したらしい後輩は「開かないで」みたいな対応で、一回はポジティブに考えたけど、やっぱり無理で、創作活動しようと思ってもできなくって、それがあまりにも腹立たしかったから、ラインは最後の連絡手段に残してたけど、全員ブロックした。

 

 こんなことで調子良くKawiiを生み出す化身になれそうだったのを邪魔されて、今までは何があっても我慢し続けてたけど、血縁全員と宗教関係の人、ブロックした。我慢できなかった。

 小説だったら、自分の心の闇もネタにできたけど、Kawiiの中に狂気はあっても、心の闇はいらない。

 

 ブロックする前にハトコからのメッセージは読んで、返事もしておいたけど、ただただムカつくと恐怖で、関わったらろくなことにならないだった。

 血縁にとって私は本当にもうこの世にいないものでいい。婆さんの家に多少は気になる本があったけど、それさえもういい。私は天涯孤独でいい。全員、自分の犯した業を背負ってこれからの人生苦しんでくれ。正直、ハトコはどの面を下げてとしか言えない内容しかなくて、今後どんな不幸にあっても巻き込まないで欲しい。自分自身の可哀想に甘えないで頂きたい。

 

 たしかに彼女の人生は不幸な始まりだったけど、それでも最悪な状態は回避してもらった始まりだったし、選択肢という点で不幸を選び取ったのは自分だ。刺されたのだって、判決があの結果だったのは彼女自身にも非があると法廷が認めたから。

 そんな余波を受けたのは私だ。彼女が前を向いて進もうとするなか、身内から刃物を突き付けられたのは全て私だ。窮地に陥ったときに追い詰められたのも、自分が作った結果。これは今からの自分に返ってくる言葉になるが、それでも、あのときの自分は違った。

 居ない不幸を彼女は嘆き続けた、そこに執着したが、それは居る不幸を知らないから。結果を知っている私からすると、彼女は居なかったことに感謝すべきなのだ。それこそ、そこが幸なのか不幸なのかは私が決めることではない。ないけれど、借金まみれの人生を幸せと果たして言えるだろうか??

 

 私はきっとこれからより孤立していく。孤独になっていく。よくあるエッセイのように「自分を理解してくれる相手に出合え、今では」なんて台詞は出てこないだろう。いつまでも、いつまでも呪いの中で生きていく。他者を呪い、呪われて、自分の中の呪いに生涯蝕まれて生きていくだろう。

 でも、できうる限り私のやりたいを邪魔して欲しくない。私にはしたいことが沢山あるんだ。一秒だって無駄にしたくない。それこそ、洗濯を回した幻想を見ていたレベルで熱中したいことがあるんだ。

 これは私が一番に望む幸せではない。けれど、これだって私が望む希望の形。だから、二度と邪魔をするな。

 

 

1,私はちゃんと死なそうとした。それを止めたのは私でなく父と宗教の人達だ。

2,私は二人でも生活できるラインを探し、提案し、実行できるように協力した。拒絶し、反省もしなかったのはそちらだ。

3,私は多くの事をした。努力した。何度も自殺未遂するまで黙って、尽くした。その事実を拒絶し、私との関りを疎んだのはそちらだ。

4,私は貴方を信用できる人物と見込み、真実を伝え、助けを求めた。それを一度は受け入れたものの、現実を目の前にして、手酷く突き放したのはそちらだ。

5,私は貴女のことを想い、多くの真実は告げなかった。けれど、少量の真実からも目をそむけ、自分に都合の良いことしか見ず、自分の理想を押し付けてきたのはそちら。自業自得である。自らで自らを呪い続けてください。

6,私は気持ちの悪い子供だったでしょう。出来の悪い子供だったでしょう。何故当たり前ができぬのか、苛立ったことでしょう。けれど、子供の私に何ができたというのでしょうか。産まれながらに真っ当でなかった私を誰が育てたというのでしょう。悪いのは私だけだと言い続けるのは卑怯ではないでしょうか。初めに手放したのはそちらです。

7,色々ありはしたものの、私は今は大して恨んではいません。けれど、信用もしていません。だからもう関わらないで終えましょう。もしもソチラがこちらに何か思ってもすべてお門違いです。私と同じように自分の発した言葉で呪われて死んでいってください。

 

それでは、皆々様。さようなら。それぞれで、現世も来世も再来世も未来永劫、二度とお会いすることなく生涯を終えることをお祈りしております。