こちらのブログではおひさしのクレトです。というか、趣味の文章を書くの自体が久々になります。

 

毎年、それなりに忘れてはいるのですが6月12日という日は私が千年の恋をしている相手の誕生日だったり致します。

あくまでも好意はあるものの、結婚したいとか、一線を越えた関係になりたいというわけではなくて、一番大好きで、一番大切な人――どんなに嫌いになろうと思ってもなれない。心から消せない。そんな人だから、私は千年の恋をしている相手という表現を使っていたりします。

 

ただ、これは結局は今の距離感があるから成立しているというのは確かです。

 

そして私にはもう一人、もう恋してるとは言えないけれど今でも好きな人がいる。

こちらに関してはちょっと若くないときの出会いだったらどうなっていたのか、あるいはスマホが存在しなかった未来での関係が気になります。

若い頃に思い描いていた理想を押し固めたような人。ただ、恋人になることも叶わず、少しずつ歯車が噛み合わなくなった。それでも、私の目を覚ましてくれる事なく消えた人。

 

男性の方にこの後者の男の話をすれば、彼の言動などをとても理解できると思うし、私はただただ馬鹿で愚かな存在だと感じるでしょう。

 

日々、ニュースでは少子化の話がされ、ネット上でも恋愛観においても様々な言葉が生み出されていると感じるこの頃ですが、私が結婚という話ではなく、恋というものに明け暮れていた時代は男性は女性を3種類に分けているなんて事がよく言われていたもので、今からするとまだ余裕があった時代なのだなとしみじみ感じます。

 

女性を3種類に分類してるって現代のネットで公言したら、即炎上しそうですよね。

ちなみに、その頃に家庭環境から心が壊れた女友達は「女性は同時に複数の人を愛せるから」等といって男性関係もさることながら、彼女まで作っているという中々に怖いことになっていました。

 

しかしながら、多様化などと言いながらも男女関係のもつれがという単語を聞くと世界はまだまだ一夫一妻制が理想として存在していて、浮気など許さない、一人の人間が愛を注ぐのは一人でなければならないという夢の中にいるのでしょうね。

 

他人事のように言っている私も、彼氏や旦那という名称が付けられたお相手ができたとして他の女性と仲良くしていたら足の先からスライスしていく自信しかありませんけどね!!

それでも、男女間という距離感も随分変化したなと感じているわけで、オールドタイプの私などはネット上であれば男女が仲良く遊んでいたり、配信で関わっているという状況を問題と感じないのは見習わなければならない変化なのだろうと感じています。

 

そうしたネットに利用制限をかけたりすると、十中八九モラハラとかDVと言われるというのも時代の変化ですよね。

 

私は乙女的な文章を作る事はないのですが、摂取することは多いわけで、特にドラマCDが好きで、結構古い作品から近年のものまで聴いているわけなんですよ。

モラハラやDV、パワハラなんかのニュースを見たあとに聴いているとモヤっと感じる発言だったりする作品もあって、フィクション・ノンフィクション問わず叩く人はこういうところを使うのだろうなとモノ作りの苦労を改めて噛みしめたりすることがあります。

 

まあ、こういう話は曲の歌詞のほうが多いのかなと考えたりもするわけで、丁度今もチューリップのアルバムを聴きながらこの文章を書いているのですが《虹とスニーカーの頃》という曲の歌詞が「わがままは男の罪。それを許せないのは女の罪」って始まりで、フラれた男が昔の事を思い出しながら、個人的には『確かに自分にも悪いところがあったけどあんな別れ方しなくてもいいじゃないか。というか、このくらい許してくれよ。それができないのは君の悪いところだよ』って思えると感じながら聴いてる好きな一曲なんですけど……なんかこういうやりとりのライン画面めっちゃ見ますよね。

 

時代の流れってなんなんでしょう。

 

ところで、ちょっと面白い事に例の二人の男はどちらも同い年なんですよ。

我々の生まれ年は年齢計算するのに便利でして、昨日、年齢を記入するときに自分の年齢がわからなくなってその計算法で年齢を書いて書類を渡してきたんですね。ただ、私、まだ誕生日迎えてないので数ヶ月早く歳を取ってしまったことに、千年の恋をしている相手に誕生日おめでとうメール送ったときに気が付いて絶望しました。

 

そして、間違えたことを書いたので早朝からバチバチに年齢のことを罵り合ってます。

 

不思議なもので、自分の妄想なのではないかと思うほど完璧な相手より、結局は馬鹿馬鹿しいことから時には本気で喧嘩できる相手のほうが自分の中の一番として君臨し続けるとは思いませんでした。しかも、ほぼほぼ全てが理想と真逆の相手。

 

いつになればこの夢は覚めるのか。覚める必要はあるのか――。

 

本当はちょっと甘い話をしたかったのに、やはり恋バナは自分には向いてませんね。

夢の中とはいえ、理想の相手に再会できたと言うのに。けれどやはりまだ夢の中なのかもしれない。来年もまだカレとこんな風にやりとりができる関係だと良いなと思ふ。