私はある程度幸せ者で、どの部分が幸せかといえば本当に“孤独”というものになった事がないところ。

人間関係というもので手放しで「不満がない」と言える人はいないと思っている。だからこそ、私は恵まれ続けている。でもそこで止まるつもりはないので、痛くて、苦しくて、つらい。なんて言ってしまうのだろうと思う。

 

自分自身、占いというものには長く携わってきた。けれどその多くは俗にいうコールドリーディングであったり、予測、推測、自分の中にある膨大な情報からの照らし合わせ。けれど、手品師ではない。なのでその場にあったカードを出すことはできないのに、どのカードを使ってもその場にあったものが出た。

でも、それだって所詮はこじつけて、何となくぽい事をいているだけのような気がして、その超常現象を信じることなどできない……。

だからお金を払って占いをして貰ったり、他人に占ってもらうのは馬鹿らしい気がして、他人に占ってもらったことは2回だけ。

 

1度目に占ってもらったのは恩師だった。

恩師とは私に文章を書くということを教えてくれ、フランス語を教えてくれ、亡くなったあとも何かと助けてくれていると感じさせてくれているあの恩師であり、奇妙なことに恩師も占いをできる人だったのだ。

と言っても、ジャンルは違って手相占いであり、噂を聞きつけた学友が「クレトちゃんも見てもらいなよ」と半強制的に見てもらった。

 

結果――というには一言しか記憶に残っておらず、その1度のあとには占いという言葉があがったこともない。あと、恩師はどっかの出版社の詩の選考委員で、国語教師の癖にどういう感情でその言葉を選んだという発言があまりにも多く、学生の頃の私からすると計り知れないほど大人ではない大人だったのかもしれない。

 

そんな恩師からの言葉は「時計さんってとても優柔不断な人だったんですか?!」という驚愕。それだけ。

 

周りの友人は私が優柔不断なことを知っていたので「先生知らなかったのー」と笑っていた。自分の優柔不断さは自分が一番よくわかっているし、スパッと決めたように見られることも長時間熟考したのちの回答であり、行動。

どちらかといえば、かなり昔に設定しておいたプログラムにしたがって答えを出しているレベルに優柔不断である。なので、占いにカウントできないレベルだと思う。

 

2度目はネカフェで暮らしていたとき、占い館に行ってお金を払って占ってもらった。

 

これもどちらかといえば、その後に私が占いというもので金を稼ぐ為の偵察に近く、プロというものがどういうことをどうやっているのかを見るために行ったというのが本音だ。

 

内容は“仕事について”を占ってもらった。名前は訊かれなかったが、誕生日は訊かれたので生まれ年も月日も全部スラスラうそぶいたが何もなく進んで、やはりそのレベルなんだってのが感想だった。

守護天使がどうのこうのと書いてある先生だったが、終始、可もなく不可もなく。

 

そして時間が余ったので私は気になっていた人間関係について訊ねてみた。

正直、私はその関係性の先というものにきっと変わらない自信があった。私の短い人生で一番愛し、愛され、実を結ばなかった最愛で最低の友人。

 

『何度かプロポーズをしてフラれた友人が、他の相手と結婚してからも執着してきて、縁を絶とうと努力してるのですがどうなりますか??』

 

このときは実際に電話にも一切出ることはなく、メールの返事もしなかった。ネカフェを出たあとも約4年間一度も会わなかったし、住所も知らせなかった。3年間は生きていることだけメールで伝えたレベル。でも、カレは色々な意味で何も変わっていない。

 

「そうですね……。その執着は自然と薄れ、特に何もしなくても自然と縁は切れますよ」

 

と言った返答だったと思う。親よりも、誰よりも本気で私を定期的に探したのはカレだった。執着が、縁が消えることはまったくなくて、もしも、私が正しい生年月日を伝えていたら違ったのかとも考えたが、たぶん何も変わらなかったと思う。私が愛したのはそういう人だから。

 

占いの最後に占いの館らしく、自分で数字を1枚引いてお土産におみくじのような紙をくれた。

そこには大きな文字で《幸運》と書かれていて、自分の人生のどこに幸運があるのかと笑ってしまい、占い師に『私、かなり不幸体質なんですけどね』と投げやり気味に言い放った記憶がある。

すると占い師は少し不思議そうに「かなり運は良いほうだと思いますよ??」と返答された。

 

――――運というものが何なのか。そうした議論をし始めるとキリがないので今はしない。でも、ろくでもない人生と言いながら、常に最低最悪だったのか。何もかもが悪い人生だったのか。そんな問いかけをすればそういう事はない。

 

まず第一の幸運というのならば、病院との繋がり、カウンセラーが20年以上変わっていないというのはかなりな幸運だろう。

この点の普通はわからないが、同じ病院に通院を続けて、同じ人と関り続けている。それが主治医ではなく、カウンセラーであるというのは稀な気がする。

 

有能か有能ではないかという話になれば、そこは少し難しいところだが、まあ、家庭事情に一々首を突っ込んでいたらもうカウンセラーなんてやってられないだろう。

 

次の幸運といえば、恩師との出会い。

 

これは死人だからこそ、幸運という美化ができる話なのかもしれないと考えることもある。

もしも母親が倒れた後にも恩師が生きていたら、恩師は私に何をしてくれただろうか。いや、何かをしてくれたのだろうか。そういう疑問符は浮かんでくる。

恩師は私が在学中に胃癌で入院し、ほぼほぼ教職を退いていたし、私は未成年で、亡くなる前に連絡してた当たりの発言を思い返せば「退職したら自分の人生を謳歌するんだ」と音符付きで言っていた気がする。が、たぶん、助けてはくれただろうし、流石に知恵は授けてくれただろう。気まぐれに。

 

誰だったのか正直、今でもわからないが、亡くなったという連絡が回ってきたあとに電話をくれて、短期間メッセージのやりとりをした女性。印象としては妹か担当編集という雰囲気だったが、その方とのやりとりの中では随分と学校外で私のことを話題にあげてくれていたらしい。

 

生きていた場合の世界というのはとても興味深いし、これは占い以上にオカルトな話になる。

だが、現状は恩師と出会っていなかったら起こりえなかったと思う。悠々自適な独り暮らしをするという事態も、後輩が一時的に転がりこんできた自体も、恩師あってだと私は感じている訳で、お金を払った占いよりもすさまじく未来を予測して物事を動かしてくれたと思う。

 

守護霊という存在は私はあまり理解ができない。守護天使というものも信じてはいない。

けれど、もしも守護霊なるものがいて、私を守ってくれているのなら、恩師は絶対そこに関わっていると感じている。そんな人物と出会えたというのは幸運以外のどんな言葉で表せばいいというのか。

 

そして、話は冒頭に戻り、私の人間関係は幸運といえば幸運なのだと考える。

 

特にこの数年は自分自身の価値観の変化が大きすぎて、自ら切り捨てた相手も多いし、元々人間の入れ替わりは激しい。

本音で何でもぶつけあえたり、甘える事ができたり、恋人だとか、結婚とかそういう間柄の相手もいない。誰かと話したい夜に連絡できる相手だとか、いつもダラダラ通話を繋げたり、自然と集まるとか、リア充っぽい事は一切ない!!何だったら理由がわからないまま、めちゃくちゃ仲が良いと思ってた相手がいきなり連絡先から消えてたりとか、オン飲みとかいうものが広まったご時世なのにそれができる相手すらいない!!

 

それぞれに不満な点は多々ある。両手放しに最高の友達なんて言える相手はいない。けど、それは相手も同じだと思う。『でも、友達なんだ』って言える相手がこんな現状でもいる。

 

一応は小学校からの幼馴染で、一般的に親友なんて言葉を使うのであれば彼女なのだろうって、友達がいて、結婚してからも年に何回もご飯食べに行ったり、誕生日にはプレゼント交換したり、こっちが大変なときには必ずってほどに助けてくれて、時々心臓をえぐられるようなことはあったりするけど、会うときには全力でお洒落をして会いに行くそんな友達。

 

自分勝手すぎて迷惑なことのほうが多いし、今はなんの役にも立たない。簡単に会えもしないし、二人で遊ぶとかはできない。それって友達なのかなって言ってしまいたくなることもあるけど、何度突き放して、どんな感情をぶつけても許してくれて、「生きててほしい」ってハッキリ言葉にして夢の中にまで死ぬ事を止めにきてくれる友達。でも、会えたら、生きててよかった。生きていたいって思わせてくれるそんな友達。

 

友達というには何か違う、それに正直、苛立たされることは多い。まあ、居なかったら居なかったで違う生き方をしてると思うけれど、実働という部分では感謝するしかない友達。

奴がいなければ、私はカメムシによって冬を迎えられていなかったかもしれない。簡単にいうなら、現状、人間的に生活するのに欠かせない友達。

 

友達というよりは仲間。細かいことを知ろうとは思わないし、突然理論武装でキレるのは結構こわいと思ったりもする。けど、このネズミがいなければやってない事がどれだけあっただろうか。こんな頻度で色々な創作してないし、アニメーションに手を出したり、ゲームもこんな色々とやってない。

小説を書き始めたのは恩師のおかげだが、他人が読める小説に指導してくれたのも、今の絵柄になったのもこの友達のおかげ。なんか、友達ってカテゴライズには違和感しかないが、これが友達でないのなら、友達とはなんなのかって感じにもなる友達。

 

あとは、友達と言ってしまうにはあまりにもピースが足りない。

だけど、あえて書き起こすのならば。

 

大体、1年に1度会えるのがとても楽しみだった。マメに連絡を取っていたわけでもないのに、何となく自然体でいられる気がするのが気楽で、普段はしないようなことをするのはとても楽しかった。何よりも、イケメンで紳士というところごちそうさまです!!って叫んでも「はいはい」って流してくれる感じが丁度よかった。クリスマスデート最高でした!!(デートではない)

一緒にネトゲして寄生虫してたのが懐かしくて、コロナとゲームのバージョンが変わって本気で関わりなくなってそれでも、時々だけする呟きにコメントしたら返事してくれるのが嬉しい。

もしもまた会って、一緒にどこかに行くとかいうことができたら歳取ってるのだろうな。また会いたいな。とか思う人がいる。

 

始まりは恩師だった。でも、彼がいなければもっと違う心で私は立ち止まっていた。ネカフェ難民なんてまだ幸せなものじゃなくて、山の中でテント生活を経験するなんてことになっていたかもしれない。自分の中にもっと沢山のもどかしさを抱えていたかもしれない。

相手からしたら一つのコメントだったかもしれないけれど、私は明確に2度救われた。

最近の私はポンコツになり過ぎてしまったけど、宗教であったり、私が楽しいと感じて語る分野で議論をできるのは彼しかいない。気にしたら負けなのだろうが、年齢については信じられてないことを告白しておく。私の頭の回転がこうなる前にできればもっと語ってみたかったそんな人がいる。

 

初めて交流したときって未成年で、気が付いたら社会人になって、数年前に作業イプしたり、麻雀教えて貰ったりしたの楽しかった。そんな途中で他の女の子から連絡来て、茶化していたけどかなり嫉妬してたのはここだけの話。

質問したことに丁寧に答えてくれるところだったり、真面目なところ可愛いなっていつも思ってた。唐突な雑談が楽しかったり、正直、彼としかしてないというか、出来る気がしない話題があって、でももうする事もないんだろうな、これから自分の人生を歩んで行ったらもっと関わることなんてないのだろうなって思うとかなり寂しい。近い場所だったら一度くらいはさしで飲みたかった。そんな人がいる。

 

もしもまた復帰して、どんなに違うって言われても、あんなの私が原因としか思えないって文句言いたいやつがいる。ガチで焼肉屋で食べたいだけ飲み食いさせてくれないと許さない。

どこまでが本当でどこからが嘘だったとしても、一緒に飲んだ酒は美味かった。そんな奴がいる。

 

どこか人種が違うんだなって思う。なんか常識が違い過ぎる。でももうちょっと優しくしてくれてもって思うこともあるけど、今くらい粗さがきっと丁度いいというか、今更優しくされてもこわい。それに、なんだかんだ気にかけてくれてる人の良さとか真面目さが見え隠れしてるのが、トークの才能以上に惹き付けられる。一緒に映画を見るのは本当に楽しくて、幸せだなって思う時間の1つ。

暇になることはないのだろうけれど、一度くらいはちゃんと人間になるのでゆっくりとオン飲みしてみたい。ただ、昔ガチ酔いしてるときに言われた「お前って知ったかばっかだよな」って言われたそれが証明されるので、やっぱり飲みたくないかもしれない。パリピこわい。そんな人がいる。

 

いつの間にか日常に紛れ込んでいて、それはさながら日本工業規格適合認定マークのよう。結構小まめにコメントくれたり、色んな場所の配信に紛れ込んでいるのになんか嫌な感じはしない。新作のエナドリが出る度にその話題をふるの楽しい。ゾーンにピーチ味はないんだ。最近では現代的な距離感というのにも慣れてきて、誰か消えてもこうして新たなかかわりができてるのありがたいなって噛みしめてる。とりま、箱のクッション材に何入れてやろうか検討中。そんな人がいる。

 

会いたいとかいうわけじゃないけど、地域的にご近所なので『さっきの雨ヤバかったよねー』とか言えるのがそこそこ楽しい。罰ゲームハッシュタグに巻き込まれるのは嫌いじゃなかったよ。しんどい声しててもウサギ走らさせてくれるの優しい。とりあえず、神様、今回のメイド服欲しいです。物欲退散。こちらも時代という感じだけど、こんな年寄りとも普通に絡んでくれるのは純粋に嬉しい。そんな人がいる。

 

あとは……結局、焼肉行けなかったね。って人とか、至らない点ばかりでお力になれず申し訳ありませんでした。って人とか、本年は本当にお世話になりまして、とてもあなたに発言に救われたのですが、時間が合わず配信に顔を出せなかったので年末ってことでお礼のメッセージだけでも送りたいって人とか、貴方は今どこで何をしていますか??また転勤をしていますか??今でも私の心を傷付けたモノ、失ったいまでも傷を作る。こんなにも私を苦しめていこと、こんな私を知って貴方は笑うのでしょう。って人とか。

 

人生を遡ればさらにキリがない。何故、唐突にこんな話をしたかといえば、たぶん、年末だからでしょ。

 

何人かもう絶対的に会うことのない人もいるし、お礼を書いたわけでもない。今更ながら年賀状的に書けばよかった後悔もあるけれど、来年も仲良くしてもらえたらな、っていうか、より仲良くなれたらなーみたいな願望がこもっているのがとても気持ち悪いなって思う。

でも、私という生き物の社高度はこの辺りなのだ。

 

だから、今回の締めはこの言葉で終わっておこう。

『皆様、良いお年を――。』