私は、去年まで自分の携帯のメールアドレスを変えなかった。それは元親友にした一方的な約束があったからだ――。

 

世界にまだスマートフォンがなかった時代は携帯のアドレスはいつでも変えられるけれど、変えたら一方的に誰もかれも、大切な人さえも、すべてのつながりを切る。そんな行為で、SNSは個人情報を交換することを禁じられていて、ほんの小さな繋がりを大切にしていた気がする。

 

他人との繋がりを禁じられていた私には、メールアドレスなんて小さな繋がりが大切で、偽りだらけのSNSが大切で、スカイプなんてもう懐かしい響きしかないものの中で青春を送って、みんな、みんな消えていった。泡よりもろく、ナイフの痛みより鋭い痛みと共に。

 

悲しいことを集め始めたらキリがない。自分の悪い癖を本能のままに実行したら、余計に後悔する。だから、私は悲しみが生まれても堪えるように、信じ続けるように唇をかみしめる。

これは誰かを責めるわけではない。自分の中身を切り替えるきっかけ探しだと思ってくれればいい。

 

意外だと言われることがあるが、私は創作物に涙を流すことが多くて、関連するものからそのエピソードから涙を流すことまである。

最近では呪術廻戦のアニメ2期第5話を思い出すと本気で泣いてしまう。べつに特定のキャラクターが好きなわけでもない。人が亡くなることに何かを感じるわけではない。壊れるしかなかった。狂うしかなかった。誰かが悪いわけではない。少しの不幸の積み重ね。そのリアルな痛みに心が悲鳴をあげたのだろう。

 

人生という中の悪いことの多くに、絶対的な悪なんて存在しなくて、私の最悪な人生も、ささやかな不幸も悪い人なんていない。

だから、そのやり場というものに苦しくなる。苦しくて、苦しくて、私は何度も命を絶とうとした。今だって同じ。命を終わらせるには丁度いい。理由もたくさんある。

 

私はアドレスを変えなかったように、私から離れて行った人のフレンドを解除していないことが多い。大人になると嫌われる理由って「あなたが悪い」なんて簡単なものはなくて、生活からの苦痛だとか、私とは関係ないところの人間関係だとか、とにもかくにも、無関係に全てを消し去る人間が増えたと思う。

そんな人達の痕跡がディスコードのなかにはあふれている。時代が変わって、安易に交換して、突然消えて、存在の抜け殻だけが亡霊のように残っているんだ……。

だけど、恐怖を残されるよりはきっといい。トラウマな思い出を作られるよりはましだと自分に言い聞かせながら、日々、リストをなぞる。

 

解らない事のほうが多くて、私は勇気がないし、大人になるほど真実なんて語らない。

『また、きっとこのリストに悲しみの痕跡が残るんだ』

そう呟きながら、一夜一夜を越えていく。

 

どちらが悪いという話にできないのだが、今日、お気に入りだったポットが壊れた。

お気に入りの理由は偶然ではあるのだが、全く違うところで同じ柄のコップと茶碗とマグカップと丼を手に入れてて、ポットも偶然手に入れたのだ。それだけそろうとそれなりに壮観で、コレクション魂が強い私には嬉しい誤算というやつだ。

我が家は狭い。だから机も小さい。ポットを床に置いたのは後輩だった。一度目に通ったときに危ないと感じたが、私としてはとても面白いと感じたことがあってそれを後輩にも共有したくて、気にとめなかった。

そして、戻ったときに足が当たって、ポットは割れた。どうやっても直しようがないほどに。

 

後輩が我が家の食器を割るのは二回目。

 

わざと食器を割るような人物を私は、自分の母親しか知らない。特に今回は要因を作ったのは後輩だが、実際割ったのは私だ。どちらも悪くない。だから、どちらも責めることができなくて、後輩もすぐに同じ商品がないか探してくれた。でも、もう、生産してなくて、同じ柄もないみたいで、これも誰も悪くない。むしろ探してくれた心遣いに感謝すべきだ。

だから泣くわけにも、暴れるわけにもいかなくて、それがまたツラくて。人生のようだと思った……。

 

大元の私の性格を述べるのならば、同じ柄の食器を全て捨ててしまいたい。

そのくらいに悲しい。

 

完璧ではないかもしれないが、それなりに頑張った。自分で選び取って、勇気を出した。それが欠けていく。私が、感じている不満にとても似てると思った。どうにもならない。どうしようもない。誰も、私すら完全に悪いわけではない。みんな悪くて、誰も悪くない。死ぬにはおつりがくるような話。

 

もしも、予定がなければ死を探し始めていただろう。でも、迷惑がかかるから、私も子供じゃないから、終わりが見えてるから、今日はやめた。

終わりが見えていないことなら、私などいなくなってもいいだろうと、そんなことを考えたかもしれない。それくらいに、私は自分の命を軽視している。

だって、私にしかできないことはないのだもの。きっと、私がいないほうが世界は平和で、綺麗に回る。そう思えてしかたない。

 

でも、これだって、私が悪いわけではない。どちらかといえば、悪いものを拾い上げているだけ。悪いものだけに目をむけているだけ。そう信じたい。

 

『あのね、お兄ちゃん。聴いて――』

『――だからね、私、まだ頑張るね。きっと、良い事あるよね。悪い事じゃないよね』

 

たとえ壊れても、大切なものを手放さないように先に進もう。

あの人の事を悪い事ばかりではなかったと言えるのなら、たとえもう、帰って来なくても、経験しないほうがよかったなんて言えないよね。

大好きだった人、仲良くなりたかった人、大切な物、消せない記憶。少しずつでいい、先に進もう。生き物は決して独りになりきるのは難しいのだから。特に私みたいに他者を求め続けてる生き物はゼロにはたどり着かないさ。

 

9月になった私へ。貴女はどんな気持ちで今を生きていますか??

今はどこにいますか??すべてを投げ出してはいませんか??

苦しくても、大切なものを手放さないで進んでいますか??新たな技術は手に入れましたか??

 

私はね、本当を言えば貴女にもっと稼いだり、他人と交流を持ってほしいって思ってます。

だけどね、少し前の私が、他人を嫌いになれたことは大きな進歩だと考えているのです。

やっと他人のことを明確に嫌いだって思えるようになったのだもの。許せないことができたのだもの。それは貴女の色が濃くなった証拠。

 

他人事のようだから言える。クレト、君はすごいんだよ。ずっとずっと努力して、色々なものを取り込んで、中々、役に立つ形にはできてないかもしれないけど、逆に衰退したりもしてるけど、すごいんだよ。クレトはクレトのままいるのが一番強いことを忘れないで。

自分を貫くことが一番成功するなんて、珍しいことだよ。だからね、クレト。どんなに悲しい結果だったとても、その悲しみも形にして前に進んで。

大切な物を手放さないで、きっと君は進める。私はそう信じている。

人生で、一番ツラかった事ってなんだろう――。

 

カウンセラーにきっとこの疑問を投げたところで「一番なんて決められないよ」って言うと思うし、実際、一番を決めることが出来るものなんて殆どない。

 

おもちゃ箱を捨てられた、あの学校を休んでいた日。

きっと母親に捨ててやるって笑いながら言われて、眠って、追いかける夢を見た朝。

家に帰れなくなった日の改札前の暑さ。

酒瓶を隠して、父親に蹴られ続けた夜。

怒ることを知らないかのように生きている友人の殺意を含んだ眼差し。

遠回しにお前のようなやつとは暮らせないと祖父に言われた車内。

くだらないことで笑い合えていた友人が何も言わずアカウントを消した事に気が付いた時。

私にとってはこの世で唯一でも、相手は違って、取り残されていく世界。

 

生き続けることよりも死ぬことのほうが、私にはアクティブで、ポジティブで、安心できること。

たぶん、口にはしないけど、こういう人のほうがより増えてると思う。

 

本棚は私の肋骨で、本はその中の臓物。

血液を循環させるように入れ替えるものもあるけれど、動かさないもののほうが多い。だって、それが私を作っているから。

 

カレは私が買う本や、私の本棚を忌み嫌っている事が多かった。

その理由は、本物の死を幾度も目の当たりにして、人が死んだ影響の中で生きて、自分の命もいつ消えてもいいような、そんな生き方をしているからだと思う。

私はといえば、身近な相手の死に姿を一別することすらさせてもらえない人生で、自分の命を消すことに何度も失敗して、自然に朽ちるのを待つことしかできない。

わざわざ自分から死に関することを臓器として取り入れなければ、肋骨の隙間に偽物の死で埋め尽くされる。その違いは、一種の健常者と障害者のようで、気持ちがいいものではないと推察をしたことはある。けど、辞められることではなかった。

 

私は、私の人生に起こるであろう奇跡を使い果たしている。

 

恩師がその回数を数回分、別けてくれていたとしても、自分の死を見届けてくれるのはハエと蛆とゴキブリと、そんな生き物達。

死ぬ場所自体がこの家でなくとも、私が死ぬとき、私が肋骨の中に収めた臓物は他者の手に渡ることはないだろう。そんな瞬間を白昼夢としてよく見る。

 

結局は死ぬことがこわい。でも、生きているのはあまりにもしんどくて、無意味で、あまりにもバランスが良さ過ぎて、どちらも選べない。

 

主治医からよく「調子が良いと感じるときほど気を付けてね」と言われる。

ゲームをしているときなどに褒められると、すぐにミスをする。

誰かと仲良くなれたかもと思ったら、突然お別れすることになる。

 

母とのことで奔走しているときに色々な人に何度も言われた。

「この世界に絶対的な悪なんてないんだよ。誰かだけが悪いことなんてない」

だから、何一つ恨めなくて、私は私を傷付けることしかできなくて、肉が裂けていく感覚に傷跡にすがることしかできない。

あの頃より、誰もにとって希薄になった私は、そうやって、ツラいことを呑み込むしかできないんだ。

それでも言われてしまう、「何でも自分のせいにしてればいいと思うなよ」。だから他人に同じ言葉を突き返して、悪人の気持ちを味わう。

 

――――私の手の中には、今、数種類の幸せが存在してる。増やそうと思えば、増やすことも出来る。

何故なら、私は創作者だから。ただの消費者ではないから。好奇心だって、他人より旺盛で、正直、ただの人間よりはできることが多い。やりたいことも多くて、ほんの小さな感情の揺らぎから大きなものが生み出せる、小さな視線から大きな感情を受け取れる。なのに――――「だから、潰れるんだよ。潰されるんだよ」。

 

身体が、心が、何かがついてこない。私の中身のはずなのに、なにもついてこない。

部屋が綺麗になったわけではないけど、寝床が少し変わって、睡眠不足が解消されたって、『私ね、少しね、起きていられる時間が増えたんだよ!!使い方が上手くなったんだよ!!』そう思えた瞬間だったのに!!!!

 

自分のやりたいこと1つすらできないんだ。小さなことのはずなのに、それすらできない。

でも、きっと叫んだところで、この痛みの悲鳴をあげたところで「よくあることだよ」で終わってしまう。こんな世界が、自分が、本当に、嫌いだ。

2019年8月9日金曜日。

 11時まで居れるネカフェを通勤時間帯に出たことに少しもったいなさを感じ、1ヶ月近く過ごした活動拠点の鍵を手放すことに寂しさを覚えた。

 そこで私は時計という本名ではなく、ずっと偽名で過ごし、そこのスタッフはきっとなんの興味もなかっただろうが、私は心地よさと少しの楽しさを感じていたことを知る人はいない。

 家に帰宅できたのは一度きりだったが、1ヶ月も同じ場所で過ごせば荷物は増えるもので、肩に食い込むカバンの重みとうだる暑さのなか駅のホームに残る世界大戦の傷跡を眺め感傷に浸っていたのは中二臭いと今でも思う。あの日とは違い、空には雲が立ち込め、雨が降るわけではないけれど、曇天というような曇りの始まりだった。

 

 新居という名の拠点。そう言うしかない、いや、未だに拠点という言葉が出てくる時点で、私の心は実家から持ち出すことができなかったのだろう。覚悟が決まっていない愚か者。他人には色々な高説を垂れながらも、自分をどうにもできないそれが本性の生き物。それが“私”。

 

 ネカフェに居る間に少しは生活に必要な物を買ってはいたものの、寝具はなかったので、空っぽの部屋の空っぽのクローゼットで眠りについたのをよく覚えている。掛け布団もなかったので、Yシャツをかけて眠った。家に帰れなくなってから、ある意味では一番酷い寝床だったかもしれない。

 それでも、誰のことも、なにも気にせずに風呂入れたのは4年ぶり、いや、人生で初めてに近い経験だったと言えたので、幸せと同時に不安を感じた。完全な自由とはあの瞬間だったのかもしれないと、今なら、そんなことを考えてしまう。

 

2019年8月10日土曜日。

 窓は南と西向きといっても、真夏の日差しはさえぎるものがないとあまりに眩しく、クローゼットの中にいても目を覚ますには十分すぎた。なによりも、広く空っぽの部屋は逆に圧迫感があり、砂漠の真ん中に投げ出されたような不安でろくに眠ることなどできなかった。

 全てが始まった頃から聴き始めていた歌手のアルバムをその日もループさせて流していたが、落ち着けるわけもなく、とくに幻覚だと信じたい先住民の気配は厄介で、何度目を覚ましたかわからない。

 

 私には何も見えない。見えないことにしている。肯定も否定もしない。けれど、最近は否定の傾向が強くなっている。理由は、関わりたくないから。これ以上不安要素を増やしてほしくない。いると認めてしまえば、私の精神が持たない。この話は長くなるので、今はこれ以上語らないことにする。何のことかって……それは、この世ならざる者達のことだよ。

 

 土曜の午前中、10時から11時半に母親が家にいることはめったにない。それは何十年と変わらないサイクル。だから、その日を提案した。

 初めは全て自分でやるつもりだったのだが、親友と呼べる存在が色々な気をまわしてくれ、決して私の運転技術に疑問を持っていたわけではないと思うけれど、実家から少量の荷物を運び出す計画を元からしていて、最終的には親友の御父上が車まで出してくれるという展開に。

 

 この親友と呼べる友人の存在は本当に支えになってくれ、しかし、付き合いが長いからこその周囲とのズレで、この半日でどれほど彼女の顔に傷を作ったことか。

 やり直せるのなら良いのにと未だに後悔というよりも恐怖が蘇る。特に親友の伴侶には5年経った今でもどのような謝罪をすれば許されるのか、想像することもできない。きっとこれは、私自身に罪の意識がなかったので、反省がむずかしいのだろう。しかし、この分析がより謝罪の想像を薄めるのだと思う。

 

 それでも、何もなかった部屋にカーテンがかかり、机が置かれ、パソコンと新品の布団一式。いつか憧れていた独り暮らしの始まりには自然と心が躍った。だから、自分しか見えてなかった。感謝をしているつもりでも配慮が足りなかった。全ての人に。

 けれど、やっと明日明後日を気に掛ける必要がない、新たなスタート。許してほしいと、今でも願うから、私は責められるのだろう。「反省していない」と。

 

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閑話・その1

 これを書いている今は2023年だ。年号で書くと令和5年。

 歳を取ると時間の流れが曖昧になるというけれど、この数年はより、感覚が狂うことが多くて、私はあの日から5年経っている事が理解できていない。現に、ずっと4年前と言い続けていた。

 

2019年7月・1年目。

2020年7月・2年目。

2021年7月・3年目。

2022年7月・4年目。

2023年7月・5年目。

 

 表にしてみても、いまいちピンとこない。だからこれを書くことにした。2019年から5年経っているなら、2015年からは何年たったというのか。私自身、今、何歳になったのか、本当に良く分からないのだ。

 多くの事をした気がする。でも、何もしてない気もするし、いくつのものを失ったのか。失ったものを数えることはよくないというものの、忘れてしまいたい。だから記録する。

 

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2015年4月15日09時30分。

 全てが始まった。同時に終わったとも言える。中二臭い言い回しは直るものではないが、少し抵抗しようとしているのが私なのだと思う――。

 

 いつもと変わらないように、行きたくもない宗教の活動に参加するため母親に叩き起こされた。暑くも寒くもない日で、いつもと変わらない1日になるのだろうと思っていた。

 その日の宗教の活動をするための集合場所は家から歩いて10分程度のところだと母は言い、私は苦痛でしかなかったので集合場所のメモなど取っているはずもなく、家をあとにする。

 

 この年は、桜が少し遅咲きで15日になってもまだ花を残していたのをよく覚えている。いや、特別だったから覚えている。緑の葉と白い花びらが入り混じる公園で、母は突然、額を押え座り込んだ。

 

 宗教の活動は十二分に目立っていたが、それでも小グループに別けられていて、その場にいたのは私達が所属していたグループではなかった。しかし、それは些細な問題で他のメンバーが「こないだもお母さん、場所間違えてたのよ」と、今までほとんどミスを犯す事のなかった母のミスを微笑ましいと笑ってい、今考えれば辻褄を合わせるための台詞のようだと感じる。

 それでも母が苦しみだしたのはそんな話の途中で、ほぼ遅刻で集まった人が駆け寄ってきている最中、その人の後ろで公園の入り口の自転車の侵入を阻害するポールに座り込む姿が今でも鮮やかに焼き付いて、消えない。

 

 季節は十分に春で寒さも感じなかったと記憶している。でも、その冬のことは覚えている。

元々自分勝手で、家事など一切しなかった母がその冬はより何もしなかった。宗教の活動をして帰ってくると、そのまま倒れ込み、食事の用意も何もせず、疲れたと言ってはコーラとポテチを貪っていた。

 某レンタルチェーンがポスト投函で貸し借りが出来るネットレンタルを始めた事で、何かとDVDを借りて、それを見ながら食事がない日々が続いていたのだ。

 

 買い物自体しなかったわけではないが、私自身うんざりしていたというのが一番だろう。とことん就職の邪魔をされ、やっと仮採用された内職の仕事さえ辞める流れにさせられ、家事を押し付けられ、母が良いと思った宗教の活動以外は外出どころか、家の中でも母がいる間は自由な行動を認めてもらうこともできない生活。

 そんななかで自ら家事を増やしたくなかったし、日に日に堕落していく姿に情など存在しなかった。

 

 だから……苦しむ母を見ても近づかなかった。周りの人にあまりにもおかしいと言われ、見に行けと促されるまで、いや、促されてもこれだけ体調が悪いのならば宗教の活動が休めると、家に帰れると、そんなことしか考えていなくて、今でもあのまま連れて帰って死んでくれていたらと考えずにはいられない。それだけで、私の今はどれほど違っただろう。確実に現在の家にはいなかった。今持つ多くのもの、多くの経験はしなかった。唯一はKと過ごした日々がないことだが、違う人生があるのならばそれさえ失っても惜しくないと考える私が、今、ここに居る。