色とコトバでつづるスケッチ

色とコトバでつづるスケッチ

色とコトバを通して、人生をスケッチするように綴っていきます。


最近、Threadsをみていると、「戦争反対」というメッセージとともに、自分の作品写真を添えて投稿している人を見かける。

それを見ていて、どうしても拭えない違和感がある。



というのも、添えられている作品は、いわゆる抽象画で、そこから戦争反対や平和への願いといったメッセージが、ほとんど読み取れないことが多いからだ。



もちろん、表現は自由だし、作品に明確な意味を持たせる必要もない。でも、強めの言葉と、ほとんど結びついていないビジュアルが並んだとき、どうしても「これはインプレッション稼ぎなのでは?」と感じてしまう瞬間がある。


そういう投稿を見ると、その人のスタンスのようなものが、意図せず透けて見えてしまう気がする。そして同時に、作品そのものの軸も、少しぶれてしまっているように”私は”感じるのだ。



表現は誰にでも開かれているし、何をどう発信するかは完全に自由だ。それでも、「何を言うか」と「何を見せるか」が乖離していると、受け手としては戸惑ってしまうんだなと感じ、記しておきたくなった。



昔はよく「ブレイクスルーしたい」って言ってた。

 

なんかこう、自分の中に突破口みたいなのがあって、
そこを抜けたら一気に変われる気がしていた。

 

もっと軽く動ける自分とか、
本来の自分で何でもできる状態とか、
そういう“向こう側”がある気がしてた。

 

で、その「どこ?」っていうのをずっと探してた気がする。

 

今思うと、それって外にある壁を壊すっていうより、
自分の“見方”の話だったのかもなって思う。

もっというと「体感」なのではないかなと思ってる。

 

 

 

たとえば、他人と比べること。

これって、自分を知るうえでは必要なんだけど
ずっとそれで見てると、全部が相対的になるんだよね。

 

あの人より上とか下とか、
できてるとかできてないとか。

気づくと、なんか全部が重くなる。

 

判断するときも、
どっかに基準を探しにいっちゃう感じ。

 

たぶん自分が「突破したい」って思ってたのは、
この状態から抜けることだったのかもしれない。

 

 

誰かとの比較じゃなくて、自分の中にある感覚で動ける状態。

背骨みたいな軸が一本通る感じ。

 

それに気づいたとき、
「あ、これかも」ってちょっと思った。

 

何かを壊したわけでもないし、
どこかに行ったわけでもないんだけど、

ずっと頑張って抜けようとしてたけど、
そもそもそんなに閉じ込められてなかったんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

超久しぶりの投稿。

今、私はアーティストとして活動している。

 

ここにきて、自分の人生をちゃんと残しておける「日記みたいな場所」が必要だなって思った。


作品のショーケースにしているインスタでもなく、主流のnoteでもなくて、もっと素の自分を置いておける場所。そう考えたときに、「やっぱりアメブロかな」って。

 

 

2021年3月3日、乳がんの手術。
その後、放射線治療、そしてホルモン療法を5年。

最初は「10年かも」と言われていたけど、早期発見だったことと予後が良好だったおかげで、ついにホルモン療法が終了した。

 

 

この5年、本当にいろんなことがあった。

実はその間、「筋腫分娩」という症状で、卵巣と子宮の摘出手術を勧められたこともあった。
(正直、今振り返ると“オペをしたいだけのヤブ医者だったな…”と思う。乳がんで通っていた大学病院とは別のところ。)

でも、そこから素晴らしい婦人科の先生に出会えて、転院。
結果的に手術をすることなく治療してもらえた。本当によかったと思っている。

 

 

 

 

 

当時ブログを書いていた頃を思うと、今の私はずいぶん生きやすくなった。軽くなったし、呼吸も深くなった気がする。

そして何より、創作という表現を通して、迷いながらも「満たされる場所」ができたこと。
これはただただ、ありがたいなと思う。

 

これからは、アートのことだけじゃなくて、日常で考えていることや、等身大の自分を、スケッチするみたいにここに残していきたい。

ブログタイトルは―― 「色とコトバでつづるスケッチ」にしようかな。

COMPLEXの日本一心

東京ドームへ2日間行って来ましたラブ

 

今は、完全にロスで、前回の復興ライブを見ながら、まだまだイイ感じに興奮している~




前回は、気負った空気感が少しあったように思うけど


今回は、リラックスしたエネルギーが流れていたように感じたな。

 

この13年の間に、私達は、災害やコロナ、争いなど、様々な出来事に直面してきている境地が、あの場に反映されていたのかなーと



晃司さんが、サンドイッチマンの番組で言ってたこと

 

「やろうかなと思った時に、やった方がいいんですよ。やっぱり我々もこれくらいの年になると、志半ばで倒れる仲間やライバルなんかも出てきちゃったりするから。思うよね。思った時に“お前、走れよ”って自分にね」

 

 

今回の復興支援ライブで、私が感じたメッセージなんだけども

 

自分が望むなら、そう思った時に、自分に経験させてあげること

 

あと、外傷性白内障や心臓病などの病気で、身体の衰えは出てくるけども、

 

経験と智慧で、むしろ進化したパフォーマンスができるんだということを目の当たりにしたなー

 


ひとりひとりが照らす光が輝いてて感動した(アンコール待ち)

 

にしても、改めて、COMPLEXはドームがほんと似合う

 

二日間で10万人という聴衆を前に、何かを隠すことなどできず、隅々まで、ありのままでみんなを魅了するってほんとすごいなーと思った。

 



興行収益は、被災地の復旧、復興のために全額寄付されるとのことで


「ちゃんと使っていただけるところをしっかりと確かめて、我々が自分たちで届けに行きますので安心してください」と晃司さん





ありがとう、そして、新曲楽しみにしてる飛び出すハート



昨年の昨日は、乳がんが見つかり手術をした日。

 

 

ガン細胞を取り除いたので、

 

私にとっては、ひな祭りが第二の誕生日のような、、、メモリアルな日となりつつあります。。

 

 

 

 

 

腋の痛みはなくなり、若干、局部の痛みは残るものの、とても元気に過ごしていて、

 

 

早期発見してくれた先生や大学病院、

 

そして、ずっと支えてくれている家族や友人の存在に、改めて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

 

 

一年経って、ようやく深いところで、、

 

自分を大切にしていなかったなーと、認められたように思います。

 

 

どちらかというと、心を優先し、身体の声に耳を傾けることは、おろそかだったなと。

 

 

image

昨日は、昨年、祈願に訪れた神社へ

 

 

 

生き方の間違いが癌となって表出したのだー

癌が見つかったオマエは負けなんだードクロドクロドクロ

 

 

 

という私の中の声(ジャッジ)があったんですよね。

こうした声が自分の中で沸き上がっているのを、なかなか認めたくなかった!

 

 

だから、ハードだった仕事など、何かや誰かのせいで、この現実が起こったんだと思い込みたかった!

 

 

原因探しではなく、自分がこの現実をどう捉え意味づけるか~

 

 

無理矢理、自分を肯定するがために、私の人生は誤ってない!!とするのではなく

 

 

自分を大事にしていなかったな・・・

 

 

と気づけた時に、なんか、深いところで、ようやく、そんな自分を許すことができたように感じています。

 

 

加えて、

 

ひとつしか選べない!と思っていたなーと。

 

例えば、

 

身体の声を聞いて自分を優先したら、仕事の方は、おろそかになるもの~

 

と、どちらかを選ばなければならない、と思ってたんですよね。

 

 

(カラダが強制終了してしまうような状態ではないということが前提)

 

 

仕事をとことん頑張りたいなら、それも大事にすればいい。

自分のカラダも大事にしながら。

 

 

両方(または複数のこと)を選べばいい。

 

 

そう思えたら、自分が納得するように、やり方を変えてバランスがとれていくものだなーと。

 

 

どっちか選ばないとー--と思う時は、私の場合、焦っていることが多いです。

 

早く到達しなければならない~と生き急いでいるんですよね。

 

 

 

この一年、ゆっくりした動作を心掛けていたのだけども、

 

速く効率的に走っていた時には、見えていなかったものに気づくことが本当に増えたと思う。

 

その新鮮な感覚に、涙することもよくあるな。

 

 

今年、いよいよ50歳になるのだけども、

 

人生の後半戦とするなら、

 

封印していたww クリエイティビティを楽しむ人生にしていきます!!