色とコトバでつづるスケッチ

色とコトバでつづるスケッチ

色とコトバを通して、人生をスケッチするように綴っていきます。


今日は蒸し暑い。エアコンで除湿をしています雪の結晶

 

さて、5月のマーケットは、AI関連を中心に大きく動きましたね。

来月にはスペースX、その次にはOpenAI、そしてAnthropicなど、今年は大型IPOが予定されてますね。
(もしこの3つの中でひとつだけ投資するとしたら、私はAnthropicだな)

 

 

米国株式市場は、特にメモリー半導体関連が牽引

中でもマイクロン(MU)は、高いリターンを出しながらもPERは比較的割安。

そのため、下落時に買い増しを狙う投資家も多いのでしょうが、来月IPOとかかぶるとどんな動きになっていくのでしょうかね

 

 

私は、もともと米系資産運用会社で長く勤めていたこともあり、マーケットを見ることや株式投資が好きです。

 

マーケットって、人間の欲望の平均が数値化された世界だと思っていて、なんていうんでしょうか、集合意識というか。

ただ、簡単には読めないし、人間がコントロールすることは(トランプでも!)できない領域。


なんだけども、チャートや決算から「流れ」や「空気感」を読む感覚も強く、どこかアートに近い脳のエリアを使ってる気がします。

 

 

そんな中で、最近とても印象に残ったのが、NVIDIAのジェンスン・ファン氏のこの記事。

「AI時代は、日本の“侘び寂び”こそ価値を持つ」

 

 

 

 

完璧なコンテンツが大量に生成される時代だからこそ、人間が作り出す“揺らぎ”や“エラー”を含んだ不完全な美しさが、むしろ希少性として価値を持つようになる——。

 

この考え方はとても興味深く、深く共感しました。

 

昨今、「AIによって仕事が奪われる」と言われる分野も増えています。

アートについても、「もうAIが作れるじゃないか」と語られることがありますよね。

 

 

でも私は、AIがあることで人間の創造性そのものが失われるとは、あまり思っていません。

むしろAIが進化するほど、人間特有の感覚や、偶然性、感情の揺らぎのようなものが、より際立っていく気がしています。

 

 

記事の中では、ジャーナリズムやストーリーテリング、デザイン、アートなどの分野が挙げられていて。


これらは単なる技術的正確さだけでは成立せず、その場での感性や、感情のつながり、人間的な共感力が求められる領域。

 

 

自分自身も作品制作をしながら、完璧に整ったものよりも、偶然性を含んだものや、湧き上がる感覚などを抽象的に形にしていくんですよね。

 

テクノロジーが進化する時代だからこそ、人間の不完全さや、体感のようなものは、これからさらに価値を持っていくのだろうなと思うのです。

 

 

 毎年描いてるテーマ『初夏の気配(2025)』

Netflixで配信されたKylie Minogue(カイリー・ミノーグ)のドキュメンタリー全3話を見終えた。

 

 

 

もともとミュージシャンとして好きで、音楽だけでなくファッションやステージの世界観もずっと気になっていた存在だったけれど、若い頃にあれほど批判やプレッシャーの中で、自分らしさを探して追い込まれていたとは知らなかった。

 

 

特に印象的だったのは、「Spinning Around」の時代。

 

 

 

 

 

ちょうど私はその頃ヨーロッパを旅していて、街中で彼女の曲(MV)が流れていた。
あの頃のKylieは本当に圧倒的な人気だった。
 

でも今回ドキュメンタリーを見て、その時期の彼女は、ただ“売れていた”のではなく、自分自身の表現とようやく一致した瞬間だったのだと知った。

 

まさに「これが私 (This is ME!)」

 

そんな迷いのなさが、音楽やビジュアル、ステージから溢れていた。

 

人って、自分らしさと一致した時、こんなにもパワフルになるんだと改めて感じた。

 

それは今の自分にもどこか重ねてしまう。。。

会社員としての生き方から離れ、表現することを中心に生き始めている今、ようやく“素の自分”を生き始めている感覚がある。

 

もちろん、自分らしさなんて簡単に完成するものではなくて、一生問い続けるものなのかもしれない。

でも、それでも、自分の感覚を信じて生きる瞬間には、確かに強いエネルギーが宿るのだと思う。

 

 

 

そして、Kylieが乳がんを公表したニュースを聞いた時、とても心配していた。

けれど、今みたいにSNSとかから情報が多く入ってくる時代ではなく、彼女がどんな状況だったのか深く知る機会はなかった。

 

 

今回ドキュメンタリーを見て、その裏側にあった苦悩や不安、生きることへの向き合い方を知り、胸がいっぱいになった。

 

そしてコロナの頃に、まさかの私自身も乳がんが見つかり、治療していた頃を思い出した。

当時、人生とは、病気を患った意味とは、を考えていたように思う。

だから今も、闘病中に書いていたブログの記事は消さずに残しておこうとこのドキュメンタリーみて思ったな。

だって自分の人生の一部だから。

 

 

そして、闘病によって出演キャンセルとなっていたグラストンベリーのステージに、後年ようやく立った場面。あそこは本当に感動した。

 

 

 

 

まるで映画『Bohemian Rhapsody』を見ているようなストーリー展開の高揚感があった。

人生の伏線が、時間をかけて回収されていくような感覚。

 

 

さらに、おまけのように語られた「がんの再発」。

それでも彼女は、人生は全て思い通りにはならない、というようなことを穏やかに語っていた(と思う)。

 

でも、その言葉から感じたのは“諦め”ではなく、良い・悪いという単純な二極でもなく、
限りある人生の中で、自分らしく生きる瞬間そのものが、とても尊いものなのだということを言わんとしているのかな。

ほんと、どんな人も「自分らしさ」を生を通して触れようとしているんだな。

 

 

すごく「命を燃やしたい」って震えが起きる、そんなドキュメンタリーだったのでブログに記しておこう!

 

5月に入り、大好きな初夏が到来。
心地よさに浸る間もなく、昨日に続いて今日もかなりの強風。

だけどそのぶん、夕方の空は息をのむほど美しかった。




刻々と表情が変わるピンクオレンジの躍動感ある見事な夕焼け。

 

 

さて。
話題のNetflix『地獄に堕ちるわよ』

私は戸田恵梨香が、スカーレットの頃からずっと好きで、今回もかなり前から注目していた。
結果、初日にほぼオールで一気見メラメラ

 

 

今の時代、女性の生き方って本当に多様だから、“新しさ”というよりは、どこか懐かしさを感じたな。

価値観って、やっぱり時代背景に強く影響される。
当時はテレビでなんとなく見ていた出来事も、こうして改めて描かれると「こんなことがあったんだ」と輪郭を持って迫ってくる。

 

 

全体的には、主演やキャストの安定感があるから、ストーリーにしっかり没入できたな。

 

そしてラストの、あの薄気味悪い笑い。

完全に“乗り移って”いたと思う。
鳥肌が立つ、あの感じ。

 

 

さて、もうひとつ。

今回話題になっている中島歩恋の矢

 

私にとっては、伊勢谷友介が白洲次郎を演じたときの衝撃に近いものがあった。

 

英語が上手いとか、見た目がいいとか、もちろんそれもあるけど、

英語のシーンって“話せるかどうか”以上に、音を通した表現だと思う。
だからこそ、あれは完全に演技力。

 

 

どこか太宰治や三島由紀夫を彷彿とさせる空気をまとっていて
(国木田独歩の子孫らしいですね)あの時代の人物を、今の年齢のうちにもっと演じてほしいと思わせる役者だった。

今後注目だな!!

 

 

さて、GW後半。初夏の陽気を味わおう飛び出すハート

人って、自分の存在が少し不確かに感じられると、強い刺激を求めたくなりますよね。

 

食生活を例にするとわかりやすいと思うけど、私の場合、スイーツや激辛メニュー、コーヒー、ポテチ、乳製品とりすぎなどかな。

それって、刺激を受けることで、「あ、自分はいまここにいる」って実感できるから。
それ自体は、とても自然なことだと思うんです。

 

 

藤井風くん、素晴らしいアーティストですよね飛び出すハート
直近でリリースされたMV「It’s all right」については、いろんな意見があるみたいだけど、今日はそこはあえて触れません!

 

彼はヴィーガン寄りの食生活でも知られていますよね。
これは私の感じ方なんだけど、研ぎ澄まされたクリアな意識と体感覚で在りたい

そんな価値観のようなものを感じるんですよね。

 

 

これ、アーティスト活動をしている自分にとっても、とても大切にしたい視点で。
自分の“コア”は、ちゃんと感じていたいから。

 

食べ物だけじゃなくて、いまの時代で一番影響が大きいのは「情報」ですよね。
SNSや動画、音楽、マーケット、政治……

気づかないうちに、ただ“流れ”でそれらに触れ続けてしまうことってありますよね。

 


できるだけ私は、無意識に流されるような関わり方はしないようにしています。

もちろん、社会から離れて仙人みたいに暮らしたいわけじゃないんですよ


ただ、今って本当に驚くほど多くの情報を、毎日浴びていますよね。
(ここでいう「情報」は、ニュースだけじゃなくて、もっと広い意味でのすべての刺激のことです)

 

 

 

自分のコアから少しずつ離れていくと、人は外側に依存しやすくなる。
これは、生き方そのものに影響してくると思うんです。

 

 

「もっと特別でいなきゃ」
「こういう生活をして、こう見られなきゃ」

 

 

そんなふうに、今の自分に足りない何かを外側で埋めようとしてしまう。

じんわりとでも焦りや不安のような心の重さがあれば、多分、外側に意識が向かいすぎているんでしょうね。。

 

 

質素な生活が正しいとか、欲望を否定したいわけではありません。
ただ今の時代、ほんとーーーーに大事だと感じるのは、どれだけ“自分の素”で生きているか。

自分に嘘をつかず、本質のコアとちゃんと一致しているか。

何もしない、望まないんじゃなくって、どれだけ自分のコアで選択しているか。


つまり「自らに由る」と書いて“自由”に生きているかどうか。

 

 

それこそが、この時代の最大の幸福なんじゃないかなって思います。

 

私は、昔から朝型だ。

夜はだいたい10時頃にベッドに入り、朝は5時頃に自然と目が覚める。

無理に早起きをしているわけではなく、体のリズムで静かに目覚める感覚がある。この“自然に起きる”という感覚が、何よりも心地いい。

 

 

特に、日が長くなるいわゆる夏時間の季節は、この生活スタイルの良さをより深く感じる。

まだ街が完全には動き出していない静かな時間。

ゆっくりと一日を始めるひとときは、とても贅沢だ。そして、朝が自然とワクワクする。

 

 

白湯で起きたての身体をやさしく潤す。

内側にじんわりと温かさが広がっていくのを感じながら、呼吸を深めていく。

そこから軽くヨガをはじめる。背骨のしなやかさを確かめるように動き、胸をひらくポーズで呼吸を通す。

太陽礼拝は、太陽の方向へ身体を向けて行うことで、ただの動きではなく、どこか自然との対話のように感じられる。

 

 

 

ひと通り身体を整えたあとは、バルコニーへ出る。淹れたてのコーヒーを手に取り、立ちのぼる湯気と香りをゆっくりと味わう。その香りが体の奥へと染み渡っていくような感覚が、なんとも言えず心地いい。

 

遠くの空を眺めながら、ゆっくりと頸椎をまわす。

小さな動きの中で、身体の内側に響く音や感覚に耳を澄ませる。

今日は左側にわずかな硬さがある。まだ消化しきれていないような重さも、どこかに残っている。

そうした微細な感覚を否定せず、そのまま受け取る。深呼吸を重ねながら、胃や腸といった内臓も含めて、脊柱にやわらかな風を通していくイメージを描く。すると、少しずつ内側がほどけていくのがわかる。

 

 

極上の朝。

今日もまた、豊かな時間を感じながら、一日が静かに始まっていく。