日本へ
GWに1週間だけ帰国しました。
本当は本帰国まで帰らない予定だったのに、挫けてしまった理由は。。。
坊やがジジとSkypeしている時に、PCの画面に向かって「あっち行く=」と
大泣きしたのがきっかけ。(現代っ子だよなぁ==。私の小さい時はTV電話なんてドラえもんの世界だったのに。)
彼はまだ自分の家はどこにあるのか、よく判っていないようでした。
日本にお家があって、おとうたんのお仕事でこちらに来ている、なんて事も。
少し混乱している息子をお家に連れ帰り、一度ホッとさせてあげたかったのです。
地震の影響もあり、家族や友人に少しでも会っておきたくなったし、
1週間FIXの格安航空券をGETして帰国してしまいました!格安だけど、
大人と同額の航空券×2枚、痛いです。(おとうたんは仕事。。。)
久しぶりの日本!!成田に到着したら、噂通り、暗い。
節電をしている為なので仕方ないですね。
到着ロビーのドアは映画館の入り口みたいだし。
それに、思い出したこの感覚!タイと違って、子連れでも誰~も笑いかけてこないし
話しかけてこない。ちょっと寂しいけれど、これが当たり前の国なのよね。
笑顔はないけど、時間通りのバス、滑るように静かに走る車、
やはり故郷の日本はホッとする国です。
深夜便で帰ったので、そんなに坊やには手がかからなかったけれど、
ベビーカー持たずに来たので、片手にお土産、トランクの上に光を乗せ、ゴロゴロ。
片手にパンパンの鞄を持っていたので、筋肉痛~~~!
さて休む時間はないのです。1週間FIXだからね。
すぐに向かった我が家の庭は、春が訪れた足跡がありました。
昨年植えたケマンソウが伸び伸びと広がって、キレイ☆
実家の庭では木陰でも駄目になってしまったケマンソウ、大磯の木陰は気に入ったようで。

こちらは白

光と2人で何度も眺めて、きれいだね、かわいいね、とお花を楽しみました。
バンコクに行く前は「アレ」とか「コレ」とか話せなかったのに、
いつの間にか、話し相手になってくれていて嬉しいな~~。
ケマンソウをこの位置に植えたのはいろいろ狙いがありました。
後ろの楠の幹に向かって伸びていくように植え、幹の濃いトーンを背景に鮮やかにピンクが映えるように、と、
家の中の窓から見て、2~3月は楠と水仙、3~4月は楠とチューリップ、
その後はケマンソウがフレーミングされるように植えました。
同じ場所に植えたのではなく、一番手前にケマンソウ、その後ろに水仙、チューリップと遠くなります。
ケマンソウは綺麗な形の花なのでディティールを眺めるために、一番手前に、
水仙は道の近くで、毎日いい匂いを楽しみたい。そしてチューリップは庭のあちらこちらに。
大きな花だから遠めで見ても良いし。
これは去年の春、部屋の中からの写真。窓の外、遠くにチューリップ、手前に水仙見えるでしょうか?
花瓶に生けた水仙は全部お庭のお花。水仙の咲く季節が一番好きだなぁ。

こんなに短い期間だけど、家に帰って来られて、お花が楽しめただけでも大満足でした。
本帰国したら、リフォームやお庭の手入れなど、やるべき事が沢山あるんだろうな。
実家の庭で、ユキヤナギのシャワーを楽しむ坊や。

バンコクに帰ってきたら、もう、全部把握していました。何も教えてないのに!
飛行機に乗った時は「タイいく?。。。おとうたん。アイタイ」と言い、
バンコクのお家はアパート名で呼ぶようになり、日本の写真を見て、「ニホン」
我が家の写真を見て、「おうち」だって。1週間お喋りの姪っ子と話して学んだようです。
「日本はどこ?」と聞くと、「あっち」と自信満々に空を指差しています。
ですが、一生懸命考えて、整理したように見えました。
当たり前の事だけれど、また子供の成長にシミジミ・°・(ノД`)・°・
さて、もういろいろ言葉が解ってきたから、夫婦の会話には気をつけなくちゃ。
本当は本帰国まで帰らない予定だったのに、挫けてしまった理由は。。。
坊やがジジとSkypeしている時に、PCの画面に向かって「あっち行く=」と
大泣きしたのがきっかけ。(現代っ子だよなぁ==。私の小さい時はTV電話なんてドラえもんの世界だったのに。)
彼はまだ自分の家はどこにあるのか、よく判っていないようでした。
日本にお家があって、おとうたんのお仕事でこちらに来ている、なんて事も。
少し混乱している息子をお家に連れ帰り、一度ホッとさせてあげたかったのです。
地震の影響もあり、家族や友人に少しでも会っておきたくなったし、
1週間FIXの格安航空券をGETして帰国してしまいました!格安だけど、
大人と同額の航空券×2枚、痛いです。(おとうたんは仕事。。。)
久しぶりの日本!!成田に到着したら、噂通り、暗い。
節電をしている為なので仕方ないですね。
到着ロビーのドアは映画館の入り口みたいだし。
それに、思い出したこの感覚!タイと違って、子連れでも誰~も笑いかけてこないし
話しかけてこない。ちょっと寂しいけれど、これが当たり前の国なのよね。
笑顔はないけど、時間通りのバス、滑るように静かに走る車、
やはり故郷の日本はホッとする国です。
深夜便で帰ったので、そんなに坊やには手がかからなかったけれど、
ベビーカー持たずに来たので、片手にお土産、トランクの上に光を乗せ、ゴロゴロ。
片手にパンパンの鞄を持っていたので、筋肉痛~~~!
さて休む時間はないのです。1週間FIXだからね。
すぐに向かった我が家の庭は、春が訪れた足跡がありました。
昨年植えたケマンソウが伸び伸びと広がって、キレイ☆
実家の庭では木陰でも駄目になってしまったケマンソウ、大磯の木陰は気に入ったようで。

こちらは白

光と2人で何度も眺めて、きれいだね、かわいいね、とお花を楽しみました。
バンコクに行く前は「アレ」とか「コレ」とか話せなかったのに、
いつの間にか、話し相手になってくれていて嬉しいな~~。
ケマンソウをこの位置に植えたのはいろいろ狙いがありました。
後ろの楠の幹に向かって伸びていくように植え、幹の濃いトーンを背景に鮮やかにピンクが映えるように、と、
家の中の窓から見て、2~3月は楠と水仙、3~4月は楠とチューリップ、
その後はケマンソウがフレーミングされるように植えました。
同じ場所に植えたのではなく、一番手前にケマンソウ、その後ろに水仙、チューリップと遠くなります。
ケマンソウは綺麗な形の花なのでディティールを眺めるために、一番手前に、
水仙は道の近くで、毎日いい匂いを楽しみたい。そしてチューリップは庭のあちらこちらに。
大きな花だから遠めで見ても良いし。
これは去年の春、部屋の中からの写真。窓の外、遠くにチューリップ、手前に水仙見えるでしょうか?
花瓶に生けた水仙は全部お庭のお花。水仙の咲く季節が一番好きだなぁ。

こんなに短い期間だけど、家に帰って来られて、お花が楽しめただけでも大満足でした。
本帰国したら、リフォームやお庭の手入れなど、やるべき事が沢山あるんだろうな。
実家の庭で、ユキヤナギのシャワーを楽しむ坊や。

バンコクに帰ってきたら、もう、全部把握していました。何も教えてないのに!
飛行機に乗った時は「タイいく?。。。おとうたん。アイタイ」と言い、
バンコクのお家はアパート名で呼ぶようになり、日本の写真を見て、「ニホン」
我が家の写真を見て、「おうち」だって。1週間お喋りの姪っ子と話して学んだようです。
「日本はどこ?」と聞くと、「あっち」と自信満々に空を指差しています。
ですが、一生懸命考えて、整理したように見えました。
当たり前の事だけれど、また子供の成長にシミジミ・°・(ノД`)・°・
さて、もういろいろ言葉が解ってきたから、夫婦の会話には気をつけなくちゃ。
カラオケ@ベッドルーム
子供を寝かせる時間が好きです。
いつしか、歌を歌うのが定番になり、毎日いろんな歌を歌って寝かせます。
ドイツ民謡、日本民謡、昔流行った歌(フォークとか)、懐メロ、演歌(笑)
多分母が歌ってくれたのと同じ様な歌を自然に選んでしまってるみたい。(懐メロ・演歌は違うけど)
これが歌い継ぐということなのかな。若干ストレス解消も兼ねている感じだけれどね。。。
日本の歌って、隅に追いやられてる感ありますが、結構好きです。
音楽って、旋律ばかりでもないし、詩だけでもない。
時々歌いながら、ふと、日本の昔の歌の美しい日本語表現にシミジミすることもあります。
「桜」 霞か雲か にほひぞいづる ・・・ 日本酒呑みたくなってくるな。。。
北原白秋作詞の「ゆりかごの歌」 ゆりかごの夢に きいろい月がかかるよ ・・・素敵☆
「真っ赤な秋」・・・まっかなほっぺたのキミとボク 「小さい秋みつけた」はセンチメンタルな秋を
良く表現してるし。(サトウハチローと中田喜直のハーモニー☆)
近頃温暖化の影響か、短くなってる秋の歌はとても大切に思います。私の実体験を歌にしているようで。。。
「赤とんぼ」の旋律はオーケストラで演奏しても素敵だし。
どうも私は北原白秋が好きみたいで、「たきび」を作詞した巽聖歌も実は北原白秋のお弟子さん。
それにもう1人好きな詩人、サトウハチローは、実は北原白秋を慕い、仲が良かったとのこと。
そして3人は共通して宮澤賢治が好きだったということだ。
あと中田喜直さんも。佐藤愛子著の「血脈」の中にこの4人の関係が記されていた時には正直びっくりしました。
それにそれに、北原白秋と私は誕生日が同じ!!
何か誕生日が同じ人って通じるものでもあるのかな。
サトウハチローといえば、「りんごの歌」~赤い林檎にくちびるよせて~の作詞をした人。
この4人の歌と詩に対する熱い思いが、佐藤愛子の「血脈」の中にたびたび出てくる。
本に書いてあったように、彼らこそ、戦後を歌と詩で明るい方向に導いた人達だと私は思っている。
子供を寝かせる時っていろいろな事を考える。子供の未来の事とか、今悩んでる事とか、今日あった事とか。
歌を歌いながら昔を思ったり、今と昔を行ったり来たりしながらいろんな事を考えると、
時々自分の考えとか、道筋がまとまる時があるんだよなぁ。
異国のバンコクにいて、大好きな日本の事を一番思い出すひとときです。

いつしか、歌を歌うのが定番になり、毎日いろんな歌を歌って寝かせます。
ドイツ民謡、日本民謡、昔流行った歌(フォークとか)、懐メロ、演歌(笑)
多分母が歌ってくれたのと同じ様な歌を自然に選んでしまってるみたい。(懐メロ・演歌は違うけど)
これが歌い継ぐということなのかな。若干ストレス解消も兼ねている感じだけれどね。。。
日本の歌って、隅に追いやられてる感ありますが、結構好きです。
音楽って、旋律ばかりでもないし、詩だけでもない。
時々歌いながら、ふと、日本の昔の歌の美しい日本語表現にシミジミすることもあります。
「桜」 霞か雲か にほひぞいづる ・・・ 日本酒呑みたくなってくるな。。。
北原白秋作詞の「ゆりかごの歌」 ゆりかごの夢に きいろい月がかかるよ ・・・素敵☆
「真っ赤な秋」・・・まっかなほっぺたのキミとボク 「小さい秋みつけた」はセンチメンタルな秋を
良く表現してるし。(サトウハチローと中田喜直のハーモニー☆)
近頃温暖化の影響か、短くなってる秋の歌はとても大切に思います。私の実体験を歌にしているようで。。。
「赤とんぼ」の旋律はオーケストラで演奏しても素敵だし。
どうも私は北原白秋が好きみたいで、「たきび」を作詞した巽聖歌も実は北原白秋のお弟子さん。
それにもう1人好きな詩人、サトウハチローは、実は北原白秋を慕い、仲が良かったとのこと。
そして3人は共通して宮澤賢治が好きだったということだ。
あと中田喜直さんも。佐藤愛子著の「血脈」の中にこの4人の関係が記されていた時には正直びっくりしました。
それにそれに、北原白秋と私は誕生日が同じ!!
何か誕生日が同じ人って通じるものでもあるのかな。
サトウハチローといえば、「りんごの歌」~赤い林檎にくちびるよせて~の作詞をした人。
この4人の歌と詩に対する熱い思いが、佐藤愛子の「血脈」の中にたびたび出てくる。
本に書いてあったように、彼らこそ、戦後を歌と詩で明るい方向に導いた人達だと私は思っている。
子供を寝かせる時っていろいろな事を考える。子供の未来の事とか、今悩んでる事とか、今日あった事とか。
歌を歌いながら昔を思ったり、今と昔を行ったり来たりしながらいろんな事を考えると、
時々自分の考えとか、道筋がまとまる時があるんだよなぁ。
異国のバンコクにいて、大好きな日本の事を一番思い出すひとときです。

コップンカー
先日息子が2歳の誕生日を迎えた日、突然玄関のベルが鳴り、
サービスアパートのスタッフが7、8人わさわさと入ってきました。
プレゼントと風船、お花にフルーツ、大きなチョコレートケーキを持って。
実はこの日、苺のババロアを作ってあげようと思って、苺や生クリームを買って帰ったばかり。
家族でお祝いする前に、随分大きなケーキを頂いてしまったので、
私のババロアはチョコレートケーキが食べ終わってから作ることに。。。
日本の事ばかり気になって、何だか気分が晴れませんでしたが、
みんなの笑顔と歌で、私まで元気を貰いました。
スタッフ達は決してサービスを強いられている訳ではなく、
ポケットマネーでプレゼントやケーキを買ったようでした。
いつも猫のように可愛がってくれているだけで十分なのに、本当に本当にありがとう!!!
それから暫く部屋の中にいて、私が銀行に行っている間、息子の面倒を見てくれました。
どこからこんなに優しい心が出てくるのかな。何度も言うようだけれど、タイの人は温かい。
一方、息子はみんなが笑顔で遊んでくれるから、いつも違和感なく打ち解けて、楽しんでいる様子。
きちんと言葉が理解できるようになったら、感謝するという事を教えてあげなくちゃ。
ヒカルは手を合わせてコップンカー(ありがとう)と、勝手に覚えて出来るようになったけれど、
果たしてそこにどれだけ心がこもっているのかどうか。。。
それにしても笑顔は連鎖しますね。タイから日本に微笑みを持ち帰ろうっと。

サービスアパートのスタッフが7、8人わさわさと入ってきました。
プレゼントと風船、お花にフルーツ、大きなチョコレートケーキを持って。
実はこの日、苺のババロアを作ってあげようと思って、苺や生クリームを買って帰ったばかり。
家族でお祝いする前に、随分大きなケーキを頂いてしまったので、
私のババロアはチョコレートケーキが食べ終わってから作ることに。。。
日本の事ばかり気になって、何だか気分が晴れませんでしたが、
みんなの笑顔と歌で、私まで元気を貰いました。
スタッフ達は決してサービスを強いられている訳ではなく、
ポケットマネーでプレゼントやケーキを買ったようでした。
いつも猫のように可愛がってくれているだけで十分なのに、本当に本当にありがとう!!!
それから暫く部屋の中にいて、私が銀行に行っている間、息子の面倒を見てくれました。
どこからこんなに優しい心が出てくるのかな。何度も言うようだけれど、タイの人は温かい。
一方、息子はみんなが笑顔で遊んでくれるから、いつも違和感なく打ち解けて、楽しんでいる様子。
きちんと言葉が理解できるようになったら、感謝するという事を教えてあげなくちゃ。
ヒカルは手を合わせてコップンカー(ありがとう)と、勝手に覚えて出来るようになったけれど、
果たしてそこにどれだけ心がこもっているのかどうか。。。
それにしても笑顔は連鎖しますね。タイから日本に微笑みを持ち帰ろうっと。

元気を
この震災で、私の周りにも、何人か被災された方、また避難された方がいました。
私はバンコクに住んでいるからと言って、募金をして、何もしないなんてわけには行かない。
少しでも何か役に立ちたいと思い、震災後から※Googleのperson finderのボランティアを始めました。
行方不明になっていた友人や友人のご家族を探すのをIT上で手伝っている時に、Googleの
person finderは使い勝手が良く、これをUpdateしていったら、少し被災者の役に立つと思いました。
これは手書きの行方不明者や避難者リスト、避難所の伝言メモをデータ化し、検索エンジンに載せて行く作業です。
膨大な量の手書きリストのdataがありますが、IT上で沢山のボランティアが参加していて、
凄い速さで処理されていきます。ルールがありますが、24H、誰でも参加できてとても良い!
私は昼間「目パッチリ坊や」が昼寝をしないので、夜、坊やが寝た20時頃から作業を始めます。
日本は22時、ちょうど作業に疲れてきた人とバトンタッチ出来ます。20時から25時頃までやっていますが、
日本のボランティアの方達も、同じ時間やっている人がいて驚きました。
もっと驚いたのが、私が「子供が起きたのでちょっと休憩します」とコメントを投稿すると、
すぐに誰かが「後手伝います」など、投稿してきて、助け合うことが出来るのです。
そんなやり取りの中で、本当に日本人に産まれて良かったということと、こういう人達は皆仲間、
助け合って、被災者の方達を明るい未来に導いてあげないといけないんだ、と強く思いました。
一方で入ってくる原発のニュース。買い溜めをしたかと思ったら放射能を恐れて買い控えをする人もいる。
TVを見ていても、説明役は沢山いるのに、TOPが登場しない、リーダーのいない日本。
被災者を助けなければいけないのに、こんなではいけないとも思う事も沢山ありました。
ここバンコクのスーパーの「無農薬日本野菜」という売り場にはいつも品薄の日本野菜が山盛りのまま。
スーパーの人に聞いたら、「放射能を恐れて売れなくなっている」とのこと。
私はその野菜を毎日食べていた。もちろん、「日本野菜」がタイのチェンライ産である事を知っていた上で。
日本の種をチェンライで育てているということだ。何の影響もない。
それも知らないし、調べもせずに「怖い」というのは、如何なものかな。
神経質で早とちりの日本人は海外でも変わらない。そういうところは、直していかなければならない。
またそういう人を見かけたら、知らん振りせず教えてあげる勇気も、私達日本人に足りないところ。
日本でもきっと、買い溜めをする人がいても、注意する事が出来る人はいないだろう。
自分は日本にいたら、どういう風に動き、どう生きるべきか、こんなに考えた日々はありません。
私も、この震災を機にやるべき事を真剣に考えます。
そして、少しでも被災した方々の心に添って、祈り、元気を与えなければなりません。
※Googleのperson finderのボランティアはこちらから参加出来ます。
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_volunteer.html#datainfo
私はバンコクに住んでいるからと言って、募金をして、何もしないなんてわけには行かない。
少しでも何か役に立ちたいと思い、震災後から※Googleのperson finderのボランティアを始めました。
行方不明になっていた友人や友人のご家族を探すのをIT上で手伝っている時に、Googleの
person finderは使い勝手が良く、これをUpdateしていったら、少し被災者の役に立つと思いました。
これは手書きの行方不明者や避難者リスト、避難所の伝言メモをデータ化し、検索エンジンに載せて行く作業です。
膨大な量の手書きリストのdataがありますが、IT上で沢山のボランティアが参加していて、
凄い速さで処理されていきます。ルールがありますが、24H、誰でも参加できてとても良い!
私は昼間「目パッチリ坊や」が昼寝をしないので、夜、坊やが寝た20時頃から作業を始めます。
日本は22時、ちょうど作業に疲れてきた人とバトンタッチ出来ます。20時から25時頃までやっていますが、
日本のボランティアの方達も、同じ時間やっている人がいて驚きました。
もっと驚いたのが、私が「子供が起きたのでちょっと休憩します」とコメントを投稿すると、
すぐに誰かが「後手伝います」など、投稿してきて、助け合うことが出来るのです。
そんなやり取りの中で、本当に日本人に産まれて良かったということと、こういう人達は皆仲間、
助け合って、被災者の方達を明るい未来に導いてあげないといけないんだ、と強く思いました。
一方で入ってくる原発のニュース。買い溜めをしたかと思ったら放射能を恐れて買い控えをする人もいる。
TVを見ていても、説明役は沢山いるのに、TOPが登場しない、リーダーのいない日本。
被災者を助けなければいけないのに、こんなではいけないとも思う事も沢山ありました。
ここバンコクのスーパーの「無農薬日本野菜」という売り場にはいつも品薄の日本野菜が山盛りのまま。
スーパーの人に聞いたら、「放射能を恐れて売れなくなっている」とのこと。
私はその野菜を毎日食べていた。もちろん、「日本野菜」がタイのチェンライ産である事を知っていた上で。
日本の種をチェンライで育てているということだ。何の影響もない。
それも知らないし、調べもせずに「怖い」というのは、如何なものかな。
神経質で早とちりの日本人は海外でも変わらない。そういうところは、直していかなければならない。
またそういう人を見かけたら、知らん振りせず教えてあげる勇気も、私達日本人に足りないところ。
日本でもきっと、買い溜めをする人がいても、注意する事が出来る人はいないだろう。
自分は日本にいたら、どういう風に動き、どう生きるべきか、こんなに考えた日々はありません。
私も、この震災を機にやるべき事を真剣に考えます。
そして、少しでも被災した方々の心に添って、祈り、元気を与えなければなりません。
※Googleのperson finderのボランティアはこちらから参加出来ます。
http://www.google.co.jp/intl/ja/crisisresponse/japanquake2011_volunteer.html#datainfo
明日の日本に向かって
東北関東大震災から、もう1週間も経ってしまいました。
寒い中お亡くなりになった方々に、心より御冥福をお祈り申し上げます。
未だに行方不明の方、連絡の取れない方がいらっしゃいます。
被災地にはまだまだ物資が足りないという声を聞いているのに、
ほとんどの自治体、ボランティア団体も個人からの物資を受け付けていないのが現状です。
(このブログを書いている途中に関東地方では東京都が始めましたが。)
混乱するから、というのが理由。こんな時くらい少々面倒なことをやってもいいじゃないかと思う。
数が揃わなくたって、ないよりいいじゃないかと思う。瓦礫の下に人がいるんだよ!!
とうとう避難所で亡くなる方も出てきてしまった。
お金は確かに必要。でも、お金にはスピード感がない、今回の地震で本当にそう思った。
災害の時こそ、政治家でも著名人でもない自分は無力だと感じる。だからこそ、政府には
指令塔になって、過去の経験や法律に拘らず、俊敏に動いて欲しいものだ。
私達に出来ることは何なのか、よく考えて、これから長期的に
精神面、経済面で、国民一人一人が被災地の方々を支えていかなければならない。
今回の地震で私は目が覚めるような思いをした。文明の利器に頼って、
便利な生活の中に溺れて過ごしていた気がする。身を引き締めて、生きて生きたい。
今までは誰かがやってくれると思っていた事を自ら行動出来るようにしていきたい。
未だに支援物資の絶対数が足りないらしい。バンコクからは通常1週間かかるが、
明日こちらから送れるものを東京都宛てに送ることにした。
海外からの食品はチェックが厳しくなりそうなので、紙類を。
意味のない事とは思わない。どれだけの家が無くなってしまったのか、
どれだけの方が亡くなったのか、どれだけの人が助けを求めているか、
仮に個人の総資産額が2000万円だったとする。普通に考える寄付額でも到底足りない。
早く、物資が届きますように!そして1人でも多くの人が助かりますように!
今日息子が2歳の誕生日を迎えた。2年前、息子はリーマンショック後の
未曾有の大不況と言われた時期に産まれた。そんな時代にも、
明るく未来を照らす、光のようになって欲しいと願いを込めて「光」と名づけた。
今となっては、あの時の不景気なんて何とも思わない。
普通に育ってくれればいいと思っていたけれど、今は息子には溢れんばかりの希望を持ち、
明るい未来を築く為に、頑張ってもらいたい。もちろん、私も 一緒に。
それが日本人としての責務だと思う。
寒い中お亡くなりになった方々に、心より御冥福をお祈り申し上げます。
未だに行方不明の方、連絡の取れない方がいらっしゃいます。
被災地にはまだまだ物資が足りないという声を聞いているのに、
ほとんどの自治体、ボランティア団体も個人からの物資を受け付けていないのが現状です。
(このブログを書いている途中に関東地方では東京都が始めましたが。)
混乱するから、というのが理由。こんな時くらい少々面倒なことをやってもいいじゃないかと思う。
数が揃わなくたって、ないよりいいじゃないかと思う。瓦礫の下に人がいるんだよ!!
とうとう避難所で亡くなる方も出てきてしまった。
お金は確かに必要。でも、お金にはスピード感がない、今回の地震で本当にそう思った。
災害の時こそ、政治家でも著名人でもない自分は無力だと感じる。だからこそ、政府には
指令塔になって、過去の経験や法律に拘らず、俊敏に動いて欲しいものだ。
私達に出来ることは何なのか、よく考えて、これから長期的に
精神面、経済面で、国民一人一人が被災地の方々を支えていかなければならない。
今回の地震で私は目が覚めるような思いをした。文明の利器に頼って、
便利な生活の中に溺れて過ごしていた気がする。身を引き締めて、生きて生きたい。
今までは誰かがやってくれると思っていた事を自ら行動出来るようにしていきたい。
未だに支援物資の絶対数が足りないらしい。バンコクからは通常1週間かかるが、
明日こちらから送れるものを東京都宛てに送ることにした。
海外からの食品はチェックが厳しくなりそうなので、紙類を。
意味のない事とは思わない。どれだけの家が無くなってしまったのか、
どれだけの方が亡くなったのか、どれだけの人が助けを求めているか、
仮に個人の総資産額が2000万円だったとする。普通に考える寄付額でも到底足りない。
早く、物資が届きますように!そして1人でも多くの人が助かりますように!
今日息子が2歳の誕生日を迎えた。2年前、息子はリーマンショック後の
未曾有の大不況と言われた時期に産まれた。そんな時代にも、
明るく未来を照らす、光のようになって欲しいと願いを込めて「光」と名づけた。
今となっては、あの時の不景気なんて何とも思わない。
普通に育ってくれればいいと思っていたけれど、今は息子には溢れんばかりの希望を持ち、
明るい未来を築く為に、頑張ってもらいたい。もちろん、私も 一緒に。
それが日本人としての責務だと思う。
故郷日本
私の故郷日本が大変なことになりました。自然災害というのは何と恐ろしいものなのでしょう。
大好きな日本が悲鳴を上げています。
今回の被災地の中に福島県があります。その中の相馬市は、もう10年以上前の事ですが、
私がいわき市に住んでいた時、よく近所のお婆ちゃんとお爺ちゃん(遠い親戚)を乗せて、車を走らせたところです。
私の初めての就職先はいわき市にある家具屋さんでした。尊敬するデザイナーである恩師の家具を
作っていたところで、若さで飛び込んでいった訳です。家具業界の大変さを思い知ったのもこの頃。
福島は私のもう1つの故郷のようなところ。今回の相馬の被害は、人事ではありませんでした。
相馬市はいわき市からはとても遠く、仙台から行った方が近いようなところですが、お爺ちゃんが
住んでいたこともあり、何度か車で訪れました。地図で見ると宮城県境のすぐ下に位置します。
いわき市からだと、ひたすら車を走らせて、まだかまだかと思いながら、もう引き返そうと思い始めた頃
到着するような、遠いところです。
初めての就職先が飛び切り田舎だったので、想像も出来なかった寂しさで、毎晩泣いて枕を濡らしていた私。
若者が全然いなくて友達も出来ず、休日ともなればすぐに近所のお爺ちゃんとお婆ちゃんの家に行っては、
お茶を飲み飲み、「満州から船に乗って爆弾の落ちる中、日本に帰ってきた話」を何度も聞いたり、
2人を乗せて6号線を走り、美しい海を見ながらお喋りをしてよくドライブしました。
そんな思い出が沢山詰まった福島は、私の原点。時々訪れて、我武者羅な若い頃を思い出して
自分を奮い立たせる場所です。
初めて相馬を訪れた時はお爺ちゃんの実家に行った時のこと。どこまでも続く青々とした田んぼが最も
印象深かった事を思い出します。今では、地盤沈下を起こして、海と化している田んぼ。
そして鮭が産卵をしに上ってくる美しい川もありました。干物を買った海沿いにあるお魚屋さん、
すっかり津波にのみこまれてしまいました。お喋りなお魚屋さん、無事だったのかなぁ?
旦那さんはまさか、あの荒波に向かって走っていく船に乗っていないよね?
いわきの久ノ浜はで毎週温泉に入ったし、北部の海ではよく波乗りをしました。
長閑過ぎて、津波なんて考えられないし、今でも信じられません。
福島のだいたいの知人とは連絡が取れて無事を確認出来ましたが、自分が今何も出来ないのに
電話を掛け捲った事で、本当に電話を必要としている方の邪魔をしてはいけないと思い、
安否確認出来た人をまとめて母に報告し、親戚中に連絡してもらいました。
この地震と津波の影響で、日本の美しい風景が無くなってしまった事、ヤリキレヌ思いです。
私はここバンコクで朝から晩まで震災のTVを見ています。次々にUPされていく
映像を見ながら、悲しくて泣いています。
どうか、1人でも多くの方が助かりますように!これ以上被害が広がりませんように!
まず祈る事、そして被災地の方を励ましたいと思います。
来タイ前に訪れたいわき ~三崎公園から小名浜港を望む~

大好きな日本が悲鳴を上げています。
今回の被災地の中に福島県があります。その中の相馬市は、もう10年以上前の事ですが、
私がいわき市に住んでいた時、よく近所のお婆ちゃんとお爺ちゃん(遠い親戚)を乗せて、車を走らせたところです。
私の初めての就職先はいわき市にある家具屋さんでした。尊敬するデザイナーである恩師の家具を
作っていたところで、若さで飛び込んでいった訳です。家具業界の大変さを思い知ったのもこの頃。
福島は私のもう1つの故郷のようなところ。今回の相馬の被害は、人事ではありませんでした。
相馬市はいわき市からはとても遠く、仙台から行った方が近いようなところですが、お爺ちゃんが
住んでいたこともあり、何度か車で訪れました。地図で見ると宮城県境のすぐ下に位置します。
いわき市からだと、ひたすら車を走らせて、まだかまだかと思いながら、もう引き返そうと思い始めた頃
到着するような、遠いところです。
初めての就職先が飛び切り田舎だったので、想像も出来なかった寂しさで、毎晩泣いて枕を濡らしていた私。
若者が全然いなくて友達も出来ず、休日ともなればすぐに近所のお爺ちゃんとお婆ちゃんの家に行っては、
お茶を飲み飲み、「満州から船に乗って爆弾の落ちる中、日本に帰ってきた話」を何度も聞いたり、
2人を乗せて6号線を走り、美しい海を見ながらお喋りをしてよくドライブしました。
そんな思い出が沢山詰まった福島は、私の原点。時々訪れて、我武者羅な若い頃を思い出して
自分を奮い立たせる場所です。
初めて相馬を訪れた時はお爺ちゃんの実家に行った時のこと。どこまでも続く青々とした田んぼが最も
印象深かった事を思い出します。今では、地盤沈下を起こして、海と化している田んぼ。
そして鮭が産卵をしに上ってくる美しい川もありました。干物を買った海沿いにあるお魚屋さん、
すっかり津波にのみこまれてしまいました。お喋りなお魚屋さん、無事だったのかなぁ?
旦那さんはまさか、あの荒波に向かって走っていく船に乗っていないよね?
いわきの久ノ浜はで毎週温泉に入ったし、北部の海ではよく波乗りをしました。
長閑過ぎて、津波なんて考えられないし、今でも信じられません。
福島のだいたいの知人とは連絡が取れて無事を確認出来ましたが、自分が今何も出来ないのに
電話を掛け捲った事で、本当に電話を必要としている方の邪魔をしてはいけないと思い、
安否確認出来た人をまとめて母に報告し、親戚中に連絡してもらいました。
この地震と津波の影響で、日本の美しい風景が無くなってしまった事、ヤリキレヌ思いです。
私はここバンコクで朝から晩まで震災のTVを見ています。次々にUPされていく
映像を見ながら、悲しくて泣いています。
どうか、1人でも多くの方が助かりますように!これ以上被害が広がりませんように!
まず祈る事、そして被災地の方を励ましたいと思います。
来タイ前に訪れたいわき ~三崎公園から小名浜港を望む~

ほほえみの国
タイ人の最初の印象は、み~んな子供が好きだということ。
何か子供見ると、まるで犬の赤ちゃんを抱きたがるように、
キャアキャア言いながら近寄ってきます。
ご飯を食べていてちょっと子供がグズった時、
病院で子供が退屈した時、誰かしら子供に話しかけたり抱っこしてくれる人がいる。
そうすると、ソンは途端に泣き止み、いつしかタイ人の腕の中に。
気づくとどこかへ連れ去られてしまったりもする。
日本だったら、間違いなく白い目で見られ、泣き止まなかったりすると
さらに悪循環でもっとグズったりした事を思い出すと、
タイで子育て出来て本当に良かったと思う。出来れば20歳になるくらいまで
ここで育てたいなぁ==(無理だろうけど。。。)
もともと日本人の遠慮からくる「基本シカト」みたいなのは好きではなかったので
タイ人の温かさは本当にジンとくる。
本来子供はこうやって社会全体で温かく育てられるべきなんじゃないかと思う。
どこの誰だろうが、初対面でも笑顔で子供と向き合うタイの人。
子供には他人との境界がないって事も教えてくれた気がする。
それと子供が退屈しないってことはとても大事な事だと気付かされた。
当たり前の事だけど、育児でいっぱいいっぱいの時ってちょっと
抜けてしまう時があるので、その隙間をとても良い時間にしてくれたのがタイ人でした。
たまたまこの国に来られた私もヒカルも本当に幸せだと思う。







やっぱり、ほほえみの国なんだなぁ===
いつも笑顔をありがとう!(*^o^*)
何か子供見ると、まるで犬の赤ちゃんを抱きたがるように、
キャアキャア言いながら近寄ってきます。
ご飯を食べていてちょっと子供がグズった時、
病院で子供が退屈した時、誰かしら子供に話しかけたり抱っこしてくれる人がいる。
そうすると、ソンは途端に泣き止み、いつしかタイ人の腕の中に。
気づくとどこかへ連れ去られてしまったりもする。
日本だったら、間違いなく白い目で見られ、泣き止まなかったりすると
さらに悪循環でもっとグズったりした事を思い出すと、
タイで子育て出来て本当に良かったと思う。出来れば20歳になるくらいまで
ここで育てたいなぁ==(無理だろうけど。。。)
もともと日本人の遠慮からくる「基本シカト」みたいなのは好きではなかったので
タイ人の温かさは本当にジンとくる。
本来子供はこうやって社会全体で温かく育てられるべきなんじゃないかと思う。
どこの誰だろうが、初対面でも笑顔で子供と向き合うタイの人。
子供には他人との境界がないって事も教えてくれた気がする。
それと子供が退屈しないってことはとても大事な事だと気付かされた。
当たり前の事だけど、育児でいっぱいいっぱいの時ってちょっと
抜けてしまう時があるので、その隙間をとても良い時間にしてくれたのがタイ人でした。
たまたまこの国に来られた私もヒカルも本当に幸せだと思う。







やっぱり、ほほえみの国なんだなぁ===
いつも笑顔をありがとう!(*^o^*)
退院しました!!
やっと退院の日を迎えました。
1週間、家事もせず、上げ膳据え膳で
楽ちんだったはずの私ですが、、、。
すごい寝不足で、相当疲れてしまいました。
旦那さんは仕事で忙しくて休めなかったから
十分な準備もしないまま一週間のステイ。
家に帰ったら、本当にのんびりしよっと。
さて、入院したバルムンラード病院は本当に
良い病院でした。日本語通訳つきっきりの
サミティベート病院も違う意味で良いですが、
ホテルの様な充実したサービスは、
時折病院だということを忘れるくらい。

看護婦やスタッフは勿論、先生も
英語が堪能で優秀な方ばかり。
私の英語の勉強になりました!ありがとう!
そしてこれはタイ人の気質でもあるかもしれないけど、
ホスピタリティーあふれる病院でした。
お家みたいな環境でほっと出来るというのは
とても大事なんだなあと改めて実感。
病人にとって必要なものがすべて揃っていて満足でした。

ちょっと使いにくいかったけど大きなベビーベッド。

大画面TV(見なかったけど)に無線LAN
これのお陰でバァバとスカイプできました。

お洒落なアメニティー揃ったバスルーム。

入院病棟にも大きなプレイスペースがあるけれど
小児科にもやりすぎのプレイスペースあります。
病人同士だからいいんじゃないの?という感じで
みんなヨタヨタしながら楽しく過ごしてました。
光は右手インド人、左手中国人と
手をつないで仲良く遊んでました。

色とりどりのドアが並んで、
ディズニーランドみたいな小児科。
このドアの向こうに先生がいます。

もう、出産以外、入院はゴメンだけど。
少しでも息子のストレスが軽減されたはず。
いろいろ勉強になった一週間でした。
これから年末旅行のために、大人しく暮らさなくちゃ=
退院へ
さて、熱も下がって点滴もあと少しで終わり。
少し動き回る余裕が出てきたようです。
良かった・°・(ノД`)・°・
点滴をしている間はいつ線を抜いてしまうか心配で
全然眠れなかった。

食欲はまだあまりありません。
点滴してるとお腹が空かないみたいで。
しかし、、少しでも楽しみを、と思って買った
いちごポッキーを「ダサイ、ダサイ」(下さい、下さい)
と言ってパクパク食べてる!
今回だけはご飯食べなくても許してあげた。
いちごポッキーの威力はすごいな。。。
ちなみにタイグリコのいちごポッキーは15B(45円)で
味は日本のとほぼ変わらずです。
先生がやってきて、明日には退院できますよ。だって
やった=「光おうちに帰れるよ!」というと
「オウチ、ブーブー、ね=」だって。
どんだけ車好きなのかしら?


