医療ライター今村美都ブログ
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

産むも産まぬも。

熊本で大地震。
実家はほとんど熊本と言っていい県境の福岡、かつ熊本にも家もあれば、親戚筋も知人友人もたくさん。
テレビ等の情報にほとんど接していないため、その事実を知ったのは翌日、
しかも「九州で大地震なんてないでしょ」という根拠なき思い込みのために、その重大さに気付いたのは、友人たちのFBの投稿で、もっとあと。
ともあれ、みな無事でしたが、まだまだ続く余震&雨予報。被災された方々の身の安全とこれ以上の被害が出ませんようにと祈りつつ。

地震を知らずに、のんきにFBに投稿していた「3人ママ素敵説」へのコメントの返事なんぞを書いていたわけですが、そのやりとりで、「日本の少子化の波を少しでも緩やかにすべく、「3人ママ素敵説」を定着させて、世の女性陣に子どもを産んでもらおうという姑息な考えです」と自分で書いておきながら、あとでもやもや~っとしてきたよ、なんでかなー?というお話を少しばかり。

ただ単に、周囲の子どもが3人いるお母さんに素敵な人が本当に多いので、子ども3人産むとよい塩梅に手が抜けるようになり、よい塩梅に子どもと接触できるようになり、結果素敵な女性になるんじゃないかと思っている、というだけの話なのですが。

そもそもね、私たちはべつに国のために子ども産むんじゃないんだよねー。という。

確かに日本の人口減少は今後ハンパない。でもぶっちゃけこころのどこかで「そもそもこのせまーい国土にいまほどの人口いらないんじゃ・・・?」という疑惑もぬぐえなかったりします。とはいえとはいえ、じじばばばーっかりで赤ちゃん子どもの姿がなーいという世界もなんだかなぁと思うわけです。普段の生活の中に、じいちゃんもばあちゃんもあかちゃんもこどもも少年も少女もおじさんもおばさんもみーんないたほうがいいじゃない?と。

かといって、子どもは産むべきとも思わ~な~い~。大体、赤ちゃんって、もう何重もの奇跡と奇跡が折り重なって、やーっと生まれてくる。母も赤ちゃんもいのちがけなのよー、っていう。あたりまえのようにいまここにいるそこのあなただって、奇跡の結果っつって言い。

たまたま奇跡が折り重なって2人の子どもが私のところにやってきてくれたわけですが、2人の子どもがいてもなお、自分が「子どものいる人生」を歩んでいることがいまだに不思議に思える瞬間多々。仕事大好き人間の私、仕事ばーっかりしている人生でもちーっともおかしくなかった。

子どものいる人生は確かに私にたくさんの豊かさを運んでくれているけれど、たぶん、いやゼッタイ、子どものいない人生も同じように、いやまた違うかたちで、豊かだったと思う。

産むも産まぬも、子どものいる人生もいない人生もどっちだっていい。ただ、女性の「産む力」には残念ながら限りがあって、最適なタイミングってやつがあるのは紛れもない事実。その事実を知識としてきちんと持っておいて、女性としての自分のからだを大切にするという習慣はもっともっと当たり前にあってほしい。

そして、産む力が最大限に生かされる時期に、心身健やかに子どもが産めて、わくわくしながら子育てできる社会であるということは、豊かな社会につながるんじゃないのかしら?なーんて思うわけです。

なんだかライターのくせにぐだぐだな文章だな、笑。
息子、あと数日で2歳ですって。あー、びっくりー。

『つむぐもの』~映画館で映画なんて観たのいつぶりだ?~

東京出張のついでに観てきました『つむぐもの』@有楽町スバル座

介護の方面からばかり事前情報を得ていたので、すーっかり介護がテーマの映画という認識で見始めましたが、それはもうそうなのですが、ざっくり言えば、“きょうだいげんかしてる”韓国と日本を、ひとりの人間と、ひとりの人間からつむごうとする物語、こちらがメインテーマか?


親も呆れる落ちこぼれ、半ば日本に追い出された韓国人のヨナは、‘THE職人’の頑固な和紙職人・剛生の‛介護ヘルパー’として、一緒に生活を始めます。

‘介護とはなんであるか’の先入観がないだけに、介護の世界でまかり通っている「やってはいけない」も「こうやるもの」も軽やかに飛び越えるヨナの‘介護’は痛快。

そりゃあ、真面目に‘介護’やっている‘専門職’からすれば、「理想ばっかりではやっていけない」って、嫉妬もしたくなるよねぇ。

でもさぁ、「管理と支配」に追い込むからこそ、介護はもっと重苦しく、介護する側も受ける側もアンハッピーになってしまう。「介護の世界の常識」を、皆でハッピーになるにはどうしたらいい?って、もう一度問い直してみたら?

と、ヨナのまーっすぐに人と向き合おうとする姿勢は、否応なく私に問いかけてくるのでした。



「私は剛生の介護が楽しいよ」

すべての介護する人が、ヨナにみたいに、当たり前のようにこの言葉を口にする日が、(できるだけはやく)やってきますように。

そのためにはなにをしたらよいかしら?なにができるかしら?と考えつつ、帰りの高速バスで、1月に行った「熊本の地域の縁がわ」の取材記事が掲載されたアンフィニ最新号を読んでいたら、「つむぐもの」のインタビュー記事が!!

すっかりヨナを演じていたキム・コッピのファンになっていたのですが、犬童監督が「撮影の都合でシーンが前後して、そのつど日本語のレベルも剛生との距離も変わるわけですが、それをみごとに演じちゃう。天才ですね、ほんとに」と評価していて、ますますファンに。

剛生を演じていた石倉三郎さんは、犬童監督の注文が厳しくて、この役を演じるのにとっても苦労されたようですが、もともと「引き算の演技」好みの私としては、石倉さんの引き算の演技に惹き込まれることしばし。

よい映画でした。

それにしても、かつてはもうなに観てなに観てないか覚えてないくらい、あほみたいに観てたのに、映画館で映画を観るの何年ぶりだろ?

たまにはよいよね、としみじみ。こういう時間も大事よねぇ。

「いつかオムツはとれるって言うけど、そういうことじゃない」とママ友は言った。

布おむつとおまるでゆるっゆる~おむつなし育児をしてきた息子も今月で2歳を迎えます。

1歳頃にはほとんどおまるでおしっこ&うんち、2歳には完全にフツーのパンツしていた娘と比べると、のんびりね~という感じでしたが、最近は結構な頻度でおしっこ&うんちをおまるやら普通のトイレやらでしてくれるようになりました。

3月の旅行では、かなりの割合で外のトイレ&おまるにしてくれたので、外出時の紙おむつの削減に大きく貢献してくれました。よっ、エコな男は違うねっ!

といっても、おむつを外すことが目的なわけではないんだなー。
いや、もちろん、早く外れてほしいのは山々なんですが。

だって、カバーにまでべーっとりついたうんちっちを落とすべく、ゴム手袋して、便器に突っ込んでゴシゴシ、なーんて、紙おむつという文明の発達した時代になんであえてやるのか、ばっかなんじゃないのー?と正直思いますもん。ただでさえ‘平日はシングルマザー状態’の核家族よ?いや、やらねーだろ!紙おむつ使えよって、笑。

でも、やっちゃう。便器に突っ込んでゴシゴシ、でも、やっちゃう。

なんでやるのか?
同じくおむつなし育児実践中のママ友がこんなこと言ってました。

「(紙おむつでも)いつかは取れるっていうけれど、そういうことじゃないんだよなぁ。おしっこをする感覚とか気持ち悪いとかっていう感覚をなくしてほしくないというか。大切にしたい」

いいこと言った!まさにわが意を得たり。

おしっこして気持ち悪いって感覚を失ってほしくないんだな、要は。
排泄は人間の「尊厳」ってやつに関わる大事な部分なんだ、きっと。
だから、「気持ち悪い」を大切に育ててあげたら、自分の「気持ち悪い」ことに、ひいては他人に対しても「気持ち悪い」に敏感な人に育ってくれるんじゃあないかしら、なーんて思ってみたりするわけです。勝手な憶測ですが。

とはいえ、布おむつ、めんどくさいよねぇー。わざわざおまるに差し出すのめんどくさいよねぇー、ってのもわかる。というかフルタイムで働くお母さんには負担大き過ぎ!
(まぁ、やってみると実際は案外ラク。ゴミも減る。トイレトレーニングのストレスとも無縁。おしっこ&うんちの感動が味わえる。かつ、トイレコミュニケーションという子どもとの接触の機会が増える・・・と、結構いいことずくめなんだけどねぇ)

というわけで、勝手にやっていておもしろがっているだけなので、別に他人にすすめるものでもないのですが、それでも興味がある人は、お風呂に入る前だけおまるに座らせてみるくらいなら、負担にはならないかな?

ちなみに、息子の様子を見ていると、紙おむつでも吸収される前のおしっこ出た直後は「気持ち悪い」らしく、事後報告の場合、むしろ紙おむつのときのほうが早いデス。紙おむつでも何回かに1回くらいは「おしっこでたな」ってのを察知してあげて、「気持ち悪いね~」と声かけしながらすぐに替えてあげられたら、「気持ち悪い」の感覚はちゃーんと持ち続けられるんではないかなという気がします。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>