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たかあきらのブログ

郷ひろみ、ロック、小説、熟女が大好き

                ブリザード・オブ・オズ / オジー・オズボーン

 

私は、オジー・オズボーンが在籍していた70年代のブラック・サバスのアルバムは1枚も持ってない。 記憶が定かではないが、友達に聴かせてもらった事はあるのかもしれないけど、

当時の私が、歌の下手なオジーのサバスを好きにはなっても夢中になるとは思えない。

 

それで今回のオジー・オズボーンのソロ1stアルバムだが、アルバムが発売される前からギタリストは、あのクワイエット・ライオットのランディ・ローズだと知っていたから、78年のクワイエット・ライオットを聴いていた私は、オジーではなくて、あのルックスはいいけど大してギターも上手くないし、しょーもない曲しか書けないランディの方に、むしろ興味があってと云うか期待せずに1stを聴いてみた。

 

まぁビックリした、ブッ飛んだ、驚いた。

「クレイジー・トレイン」の印象的でカッコいいリフとヘヴィ・メタルのお手本のようなソロ。

「ミスター・クロウリー」のメロディーライン、フレーズの組み立てが劇的で感動的なソロ。

「グッバイ・トゥ・ロマンス」の切なく美しい曲にメロディアスなフレーズのソロ。

「レヴェレーション/マザーアース」の静から動へのコントラスト、そして、圧倒的なソロ。

その他の曲もランディの素晴らしいプレイが満載だ。

 

ランディってこんなにギターが上手かったっけ、こんなカッコいいリフ思いつくんだ、こんな劇的で素晴らしいソロが弾けるんだと、あのショボイ、クワイエット・ライオット時代のランディ

とは、まったく別人のような気がした。 オジーの歌が相変わらず下手なだけに、余計にランディのヘヴィなリフ、メロディアスなソロが引き立って素晴らしいアルバムに仕上がっていた。

 

もし、ランディが事故で亡くなってなかったら、もっと私達にどんな音楽、どんなプレイを聴かせてくれていたのだろうか。 天才、永遠のギターヒーロー、ランディ・ローズへの思いは尽きない。

 

 

             田原俊彦

 

80年代になってティーンの女の子達には、新御三家は大人過ぎて物足りない感じがしていたのだろう。 そんな所に金八先生人気の影響もあり80年の6月に「哀愁でいと」で鮮烈にデビューした田原俊彦。 郷ひろみが、かつて在籍していたジャニーズ事務所の後輩で、イメージ的にもデビュー当時の郷ひろみのような可愛い男の子という感じで、最初に見た時にスター性がバツグンなのはすぐ分かった。

 

そんな田原俊彦だが、ジャニーさんの指示なのか、本人の意思なのか、とにかく郷ひろみの事なんか眼中にないという感じで、先輩の郷ひろみの事は一切触れないし語らないし、目も合わせようとしてない感じだった。 田原俊彦は、沢田研二さんをリスペクトしていると言っていたが、そんな郷ひろみを無視している感じが、逆に郷ひろみの事を強く意識しているように何となく伝わってきて、田原俊彦の「僕がジャニーさんの最高傑作」という発言も郷ひろみを意識しての言葉だろう。 とにかく郷ひろみには負けないという姿勢で、郷ひろみがキレのあるターンを1回転するなら、田原俊彦は3回転ターンでキメるという意地の張り方だった。

 

総合力なら郷ひろみの圧勝なのは言うまでもないが、ダンスの上手さ、センスでは田原俊彦の方が群を抜いていた。 そして、田原俊彦のスターとしての美学、哲学みたいなのも特にファンではなかった私にも伝わってきたし、ジャニーズ事務所退所後も俳優とかに逃げる事なく一貫して歌手として地道に頑張ってきた根性もある人だと思う。 数年前に、五木ひろしさんがMCの「人生、歌がある」で28年ぶりだかに郷ひろみと共演したのは嬉しかった。

できれば郷ひろみと田原俊彦で、強力なダンサブルでキャッチーなコラボシングルでもリリースしてくれないかな。

              沢田研二

 

日本の音楽シーンに数々の名曲、ヒット曲、そして、強烈なインパクトを残した不世出の歌手、沢田研二さん。 郷ひろみは、若い頃からずっと沢田さんをリスペクトしてきてるし、沢田さんの背中を追い続けているとも言っていた。 沢田研二さんは、常に郷ひろみが目指すべき目標であり大きな存在だったのだろう。

 

そして、70年代から80年代の初め頃の全盛期の沢田さんは、郷ひろみと同じように、

``見(魅)せる、聴かせる、楽しませる``という部分で、かなり共通している所があったと思う。 派手さでは郷ひろみは、沢田さんに肉薄する事はあっても、歌唱力、表現力ではまだまだ及ばなかった。 当時の郷ひろみが、沢田さんより明らかに勝っている所はダンスしかなかったかもしれない。

 

そんな郷ひろみは、週刊誌で打倒 沢田研二の最右翼と云われていたが、確か郷ひろみが27歳位の時に、沢田さんは34歳位だったと思うが、郷ひろみは、自分が今の沢田さんの年齢になった時には、沢田さんより上のポジションにいたいと言っていたけど、郷ひろみが34歳になった時には、もう2人共そんなに売れなくなっていた。 その後、郷ひろみは30代後半、40代と

ヒット曲を出して歌手としてのグレードを更に上げたが、沢田さんは、作られた偶像を捨てて自然体の沢田研二の道を選んだ。 郷ひろみと沢田さんの共演は、今はそんなに興味がないけど、

今の沢田さんとの対談があれば是非聞いてみたいと思う。

                西城秀樹

 

去年の暮れの紅白に、郷ひろみがいて、野口五郎がいて、でも、そこに西城秀樹がもういないなんてやっぱり凄く寂しかった。 日本の音楽シーン屈指の偉大なヴォーカリスト。

秀樹ほどの凄いヴォーカリストが同期ですぐ近くにいてくれたから、郷ひろみも頑張って上を目指そう、少しでも秀樹に近づけるように実力を身に付けようと思えたんじゃないだろうか。

あの夜のヒットスタジオでの「抱きしめてジルバ」と「ケアレス・ウイスパー」の対決も、

そんな郷ひろみの思いの表れだったのかもしれない。

 

ただ、秀樹の様に、あそこまで凄い才能を若くして最初から持っていると、郷ひろみほどの貪欲な向上心は湧いてこないのかな。 私には、いつも郷ひろみに対しても余裕の西城秀樹というふうに見えていた。 

 

それから「ヤングマン」の80万枚の大ヒットは凄いし素晴らしい事だと思うけど、秀樹の全盛期をリアルタイムで知らない人達が、秀樹と云えば「ヤングマン」の人というイメージで見てるのを、私は秀樹の本質はそこじゃない、秀樹の「情熱の嵐」「激しい恋」「傷だらけのローラ」

「ジャガー」「ブーメラン・ストリート」「ボタンを外せ」を聴いてくれと言いたくなってしまうが、秀樹ファンからしたら私の意見も秀樹の本質を見てないのかもしれない。

 

そんなに私は秀樹の事を知っているわけではないが、秀樹の誰にでも気さくで優しくて男らしい人柄が好きだった。 近いうちに野口五郎主催の西城秀樹トリビュート・コンサートを開いてくれないかな。 出演は五郎の他に郷ひろみ、アグネス・チャン、岩崎宏美、ピンクレディー(ケイちゃんが・・・)、そして秀樹をリスペクトする後輩アーティスト達、それに、山口百恵さん、河合奈保子さんのビデオメッセージ(顔出しが無理なら声だけでも)を流してくれたら嬉しいな。

 

最後に秀樹、郷ひろみと同じ時代にいてくれてありがとう。 秀樹の素晴らしい足跡は消えはしないし、ずっといつまでもカッコいい秀樹の熱い歌声を忘れない。

               野口五郎

 

このブログで70年代の郷ひろみがリリースしたシングルの紹介も終わり、シングル紹介は少しだけお休みして郷ひろみのライバルだった人達を見ていきたいと思う。 

まず第1回は新御三家の一人、野口五郎だ。

 

堀越で郷ひろみと同級生だった16,17歳頃の野口五郎の歌唱力は本当に凄かった。

実は、私が新御三家の中で最初に生で見たライブが、丁度「オレンジの雨」を歌っている頃の

野口五郎だった。 父と姉と3人で長島スパーランドへ遊びにいったら、たまたま隣の長島温泉で野口五郎ショーをやっていて、そこで初めて野口五郎を見たけれど、その圧倒的な歌唱力で、

かなり動きながら歌うし、ショーの最後に着ていたランニングを客席に投げ入れるパワフルな

ステージ、そしてファンの女の子達の熱気と物凄いものがあった。

 

でも、そんな凄かった歌唱力が、70年代の中頃からか声を張らなくなりビブラートで誤魔化すような歌い方になってきた。 何か喉にトラブルがあったのか、五郎ファンの人達は理由をよく知っているのかもしれないが、歌唱力の低下と共にリリースする曲が売れなくなってきたのはとても残念だった。

 

でも、野口五郎は本当にいい曲が多くて、「甘い生活」「私鉄沿線」の代表曲の他にも、

「青いリンゴ」「めぐり逢う青春」「オレンジの雨」「針葉樹」「むさし野詩人」「風の駅」

「真夏の夜の夢」「コーラスライン」、それから比較的近年では「でも好きだよ」とかも私の

大好きな曲だ。 私は、郷ひろみファンだが、新御三家の野口五郎や西城秀樹も決して嫌いではなくて2人のレコードは何枚も持っているし、あの時代に郷ひろみと共にいてくれた同士として

野口五郎にも特別な思いがある。 だから、昔も今も五郎は五郎のままでいいと思うし、五郎のやりたい事をマイペースでやっていってほしい。 そして、これからもずっと元気で歌い続けて

いってほしいし、また郷ひろみとも共演するのも是非見たいと思う。