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たかあきらのブログ

郷ひろみ、ロック、小説、熟女が大好き

                暴動に明日はない / クワイエット・ライオット

 

クワイエット・ライオットの1stと同じく日本だけで発売された2ndアルバム。

LAを中心に活動していたバンドで、音楽雑誌にもエンジェルの弟分的扱いで載っていて、

ルックスもいいから気になってはいたのだけど、1stのジャケットが、ちょっとアイドルし過ぎ

ていてなかなか手が出せないでいた。

 

それでも意を決して当時この2ndを買って聴いてみたが、ハードロックとポップスを融合させたような、それでいてハードポップのようなカッコ良さや、キャッチーなメロディーがあるわけでもなく、早い話がいい曲がほとんどなくて、唯一耳に残ったのが後の新生クワイエット・ライオットの「メタル・ヘルス」にも入っていた「スリック・ブラック・キャデラック」くらいだった。

 

そして、普通ならロックバンドの花形であるはずのギターのランディ・ローズのプレイにも、

特に華も目を見張るテクもなく、リフもソロもパッとしないというものだった。 更にヴォーカルのケヴィン・ダブロウの特徴的だが変な声に、これじゃルックスが良くても売れないし、アメリカでメジャーデビューなんて覚束ないなと思った。

 

そして、このアルバムのジャケットには写っているが、レコーディング後に加入して実際にはプレイはしてないベースのルディ・サーゾは、後のホワイトスネイクでの、その圧倒的であまりにもカッコいいパフォーマンスでキャリアの頂点を極めるが、ルディの28歳当時のお姿が拝めるのが、このアルバムの唯一嬉しい所か。 考えてみればルディ・サーゾが、オジー・オズボーンのバンドにランディから誘われてメタルゴッドなヘッドバンキングで有名になったのが、この4年後くらいだから割と遅咲きだったんだな。 しかし、いつもルディってベースプレイじゃなくて、ライブでのパフォーマンス、アクションで評価されているベーシストだな。

 

              マイレディー

 

1979年9月発売  売り上げ34.9万枚  オリコン最高8位

 

リリースするシングルが以前ほど売れなくなった78年後半から79年半ば過ぎにかけて、

ザ・ベストテンのランキング状況を見ても、郷ひろみもいよいよ落ちてきたかなと世間の人達も

感じていたのかもしれない。 私も非常に悔しい思いをしていた時期だ。

そんな中で70年代を締めくくる79年の最後に、この「マイレディー」がヒットしてくれて本当に良かった。 このヒットがなかったら79年の郷ひろみは、ちょっと寂しい年になっていただろう。

 

そもそも曲がヒットするというのは、コアなファンは極端に言えば郷ひろみが民謡や浪曲をリリースしても買うだろうけど、そこそこ郷ひろみが好きとか、特にファンというわけではないという人達が大勢レコードを買ってくれるからヒットに繫がるのだ。 酒井プロデューサーを筆頭に、郷ひろみのブレイン達は、この1年もっと戦略的に、もっと貪欲にヒットを狙って曲をリリースしてほしかった。 歌手としての成長云々も大事だけど、人気歌手はヒット曲を出してナンボのもんだからだ。 事実、現在のキング・オブ・Jポップという地位は、30代のバラード三部作のヒット、40代の「ゴールドフィンガー99」のヒットがあったからというのは間違いない事だと思う。 あれらのヒットがなかったら郷ひろみは、70年代のトップアイドル、新御三家の一人というだけで、新御三家の他の2人とさほど変わらないポジションだっただろう。

 

そして、70年代最後の夜のヒットスタジオの大トリを、79年に大活躍した西城秀樹ではなくて郷ひろみの「マイレディー」が飾ったのを、元々フジテレビに推されてるからというのもあるけど素直にホッとして嬉しかった。 「マイレディー」のヒットがなかったら、この夜ヒットの大トリもなかったかもしれない。 その郷ひろみが歌う姿を後ろで余裕の笑顔で見つめる秀樹が憎らしいぜ。  

 

 

              いつも心に太陽を

 

1979年6月発売  売り上げ11.3万枚  オリコン最高12位

 

この「いつも心に太陽を」は、フォーク調の明るい曲調でメロディーもいいが、何より悲しみに沈む人を応援する歌詞が素敵だ。 あの東日本大震災の時も、大切な人、大切なモノを失くした被災者が大きな悲しみに沈む中、それでも復興のために懸命に頑張って生きていこうとする多くの人達に郷ひろみが贈った歌だった。

郷ひろみほどの、あらゆる世代に知名度の高いアーティストだからこそ、国全体が災害などで

人々の心が沈んだ時は、その力を発揮してみんなを勇気づけて励ましてほしい。

 

さて、この頃も新御三家のライバルの西城秀樹は、大ヒット曲「ヤングマン」からの熱も冷めやらず、夏の日本テレビ音楽祭でグランプリを獲得し、年末の各音楽賞も総ざらいしそうな勢いだった。 それを端で郷ひろみはどう感じていたのか知らないが、ファンとしては悔しかったし、

秀樹と秀樹ファンが羨ましかった。 あれが秀樹のピークだったけど、郷ひろみのピークはどこなんだろうか。 デビュー当時の爆発的人気は、新御三家の中で一番凄まじいものがあったし、

「哀愁のカサブランカ」の時、バラード三部作の時、「ゴールドフィンガー99」の時と何回かの

ピークはあるけど、ほんの一時期でも日本の音楽シーンのトップに立ったようなピークは、今の所はまだない。 考えてみたら郷ひろみは、記録より記憶に残るスーパースターで、無冠の帝王なんだな。

 

そして、月刊明星の毎年夏の恒例企画

1979年 明星オールスター人気投票 男性部門

第1位 郷ひろみ、2位 ツイスト、3位 ゴダイゴ、4位 西城秀樹、5位 水谷豊、

6位 サザンオールスターズ、7位 松山千春、8位 アリス、9位 レイジー、10位 野口五郎、

 

女性部門の第1位 山口百恵、2位 榊原郁恵、3位 石野真子

 

 

 

              ナイヨ・ナイヨ・ナイト

 

1979年3月発売  売り上げ7.1万枚  オリコン最高24位

 

正直この「ナイヨ・ナイヨ・ナイト」は、ジャケット写真は好きなんだが、言って申し訳ないが

渋谷哲平くんのようなB級アイドルが歌うような曲で、よくこんなショボイ曲出したなと当時呆れた思いがした。 考えてみたらこの「ナイヨ・ナイヨ・ナイト」も「二十歳の微熱」とタイプが似た感じの曲で、どうも私は、こういうタイプの曲は好みではないのかもしれない。

 

そして、この曲が発売された頃、新御三家のライバルの西城秀樹は、「ヤングマン」の大ヒットで自身の絶頂期を迎えていた。 郷ひろみは「ハリウット・スキャンダル」「地上の恋人」と、

売り上げ、オリコンチャートと低迷が続いており、更にこの「ナイヨ・ナイヨ・ナイト」で、

それに拍車がかかって、絶好調の西城秀樹との明暗がハッキリと別れてしまった感じがした。

新御三家では、歌えなくなり売れなくなった野口五郎が早々と脱落しており、郷ひろみもここで

脱落して新御三家は、西城秀樹の一人勝ちかとも思った。

 

70年代を席巻し、日本の歌謡界を牽引してきた郷ひろみと新御三家、70年代締めくくりの

最後の年に、郷ひろみの周りの酒井プロデューサーを筆頭にブレインの人達は、もっと吟味選曲

して曲をリリースしてほしかった。 でも、あれから40年以上経った今、この「ナイヨ・ナイヨ・ナイト」を聴いてみると、それはそれで、なかなかいい曲だったりするのだが、あの当時は

本当につまらないショボイ曲に思えた。

                 ライブ&デンジャラス / シン・リジィ

 

アイルランドの伝説的英雄のバンド、シン・リジィ。

70年代のシン・リジィは、ゲイリー・ムーアが時折助っ人として出たり入ったりしていたような気がするが、この78年発表のライブアルバムは、バンド全盛期のスコット・ゴーハムとブライアン・ロバートソンの2人のギタリストが在籍していた時代の集大成でもある。

 

やはりシン・リジィと云えば、美しいツインリードギターが一番の売りだが、それを多用しゴリ押しするわけではない。 サウンドは、ハードロックを基本に、ブルーズ、ロックンロールに、

アイリッシュさを加味しながら、バンドの中心人物であるベース&ヴォーカルのフィル・リノットの語り掛けるような歌い回しが特徴だ。 そして、フィルの書く詩は、非常に詩的で素晴らしいらしいが、私には言葉が分からないのが残念。(歌詞カード読めよ)

 

70年代後半と云えばハードロックが下火になってイギリスではパンクブームの真っただ中だったが、このシン・リジィやジューダス・プリーストらの中堅バンドが、しっかりハードロックの灯を守ってくれていた。 改めてこのライブアルバムを聴いてみて、思った以上にフィルのベースの音が2人のギターのリフの合間を縫って聴こえてくる。 フィル・リノットが若くして亡くなってしまったのは非常に惜しいが、もしフィルが生きていたら誰といっしょに、どんな音楽を我々に聴かせてくれていただろうか。