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たかあきらのブログ

郷ひろみ、ロック、小説、熟女が大好き

              愛のエンプティーページ

 

1985年3月発売  売り上げ2.2万枚  オリコン最高34位

 

「愛のエンプティーペイジ」は、切なくて素敵でいい曲なのだが、この頃は郷ひろみが出演できる歌番組も少なくなってきてたし、以前のような曲のプロモーションにもそれほど力を入れてないようで、郷ひろみファン以外には知らない人も多い曲なのが残念だ。

 

そして、この曲の大きなポイントは、バックコーラスに松田聖子が参加している事だろう。

この曲の作詞作曲は郷ひろみ自身なのだが、アレンジを大村雅朗さんが担当し、大村さんは元々

松田聖子の楽曲のアレンジャーで、郷ひろみも松田聖子もCBSソニーだし、その関係での参加

だと思う。

 

この曲が発売されたのが85年の3月だから、レコーディングは84年末に行われたのか、破局後の85年に入ってからなのか分からないが、バックコーラスを入れるだけだから2人でいっしょにレコーディングスタジオに入るわけでもないから、前からの大村さんとの約束という事で実現したのだろう。 しかし、2人が破局した後に松田聖子が参加しているとは発表できなかった

のかな。 それならバックコーラスを他の人に差し替えても良かったのに。 歌詞の内容も時期的に意味深過ぎるし郷ひろみ自身も嫌じゃなかったのかな。

               現象 / UFO

 

UFOというバンドの長い歴史を見たら、フィル・モグとピート・ウェイのバンドというイメージが強いが、この74年のアルバム「現象」では、当時まだ10代のマイケル・シェンカーの

素晴らしいプレイに注目が集まるだろう。

 

この70年代当時は、アルバムの中に1曲か2曲強力なナンバーが入っていれば、それでもOKで売れた時代で、このアルバムもUFOやマイケル・シェンカーの長年ライブでの重要なナンバーとなっている「ドクタードクター」と「ロックボトム」の2曲があればそれで良かった。 

他の曲は、この2曲と比べたらかなり印象が薄い。

 

それにしても「ロックボトム」でのマイケル・シェンカーの3分近い圧巻のギターソロが凄い。

この長いソロを、メロディアスで起承転結の展開があって、また後半の盛り上がりが素晴らしく、これだけ長いソロなのにまったく聴いていて飽きさせず、若きマイケル・シェンカーの類稀な才能が炸裂している。

 

マイケル・シェンカーは、この74年の「現象」から78年の「宇宙征服」「UFOライブ」までバンドに在籍していたが、その間にバンドはアメリカで、そこそこの成功を収める事ができたのはマイケル・シェンカーの功績が大きいだろう。 その後も紆余曲折ありながらもUFOは長く活動を続けるが、マイケル・シェンカーの78年の脱退と共にUFOが再び大きく浮上する事はもうなかった。 マイケル・シェンカー、ポール・チャップマン、トミー・マックレンドン、

ローレンス・アーチャー、ヴィニー・ムーア・・・、歴代の名ギタリスト達の顔が浮かぶ。

               どこまでアバンチュール

 

1984年11月発売  売り上げ7.2万枚  オリコン最高20位

 

「どこまでアバンチュール」は、郷ひろみ作詞作曲のカッコいいロックナンバーだ。

郷ひろみは「2億4千万の瞳」と「ヤクシニー」までで、歌謡曲のド真ん中であり大衆を意識した

娯楽の真髄であるこれまでの路線を終えて、この曲からはシフトチェンジして新しい郷ひろみを

打ち出そうとしてきた。 要はこれまでの``見(魅)せる、聴かせる、楽しませる``の中でも

より音楽性を重視して聴かせるに重点を置いていく路線か。

でも、この「どこまでもアバンチュール」は、結構ハードで存分に見(魅)せてくれるし、

楽しませてくれるが、やはりこれまでの曲とは一線を画している意気込みをビンビン感じる。

 

両A面のもう1曲「ケアレス・ウイスパー」は、ワムのカバー曲で郷ひろみの作詞だが、この曲は西城秀樹が「抱きしめてジルバ」として1ヶ月先にリリースしていて、夜のヒットスタジオで

同曲対決が行われた。 郷ひろみの「ケアレス・ウイスパー」の歌詞が少々エグい(子供を産んでみたい)のと歌い方がリキみ過ぎで、私は秀樹の余裕勝ちのように思えたが、デビュー当時から比べたら郷ひろみの歌唱力もUPしていて着実に秀樹との距離を縮めている事に嬉しかった。

 

さて、この時期は松田聖子との破局があったが、カップルが何らかの理由で別れる事は普通にある事だし、本当の理由は、付き合っていた2人にしか分からない事だから、その辺は今さら私がとやかく言えない。 ただ、松田聖子とサン・ミュージック側が、郷ひろみとバーニング側に何の断りもなく一方的に記者会見を開き別離宣言し、数日後に神田さんと交際宣言とか、バーニングは看板スターを完全にコケにされたわけだから、ずい分とバーニングと郷ひろみもナメられたものだなと思った。 70年代のトップスターだった郷ひろみも80年代半ばでは落ち目になってきて、片や松田聖子は80年代のスーパースターで、郷ひろみよりも格が数段上という意識があったからあんな事が平気でできたのだろうか。 松田聖子側は、あの時もう少し違ったやり方があったと思う。

               ヤクシニー

 

1984年6月発売  売り上げ5.2万枚  オリコン最高21位

 

エキゾチックなジャパンときた後は、薬師如来の「ヤクシニー」と私の大大大好きな曲で、

夜のヒットスタジオで初めて見た時は、あの衣装、あの全身メイクの究極美な出で立ちに度肝を抜かれ、完全にビジュアルでは沢田研二さんを超えたと拍手喝采だった。

この曲は、もっともっと話題になって売れてほしかったし、究極のMVを作って全世界にアピールしてほしかった。

 

どちらにしても歌謡曲の「ヤクシニー」が海外で売れるとは思えないが、あの夜ヒットの「ヤクシニー」の出で立ちで、そのままイギリスの音楽番組に出たとしたら、イギリスの人達は郷ひろみを、デヴィッド・ボウイとマイケル・ジャクソンを合わせたような摩訶不思議な東洋神秘のアーティストとして大反響を呼んだだろう。 まぁ、あの「ヤクシニー」だけを見たら郷ひろみというアーティストを誤解される恐れはあるが・・・。 思えば郷ひろみが美の極致に達していたのが28歳から30歳くらいの頃だったと思う。

 

しかし、郷ひろみは、この「ヤクシニー」を最後に、歌謡曲の王道路線から一旦シフトチェンジ

していくことになる。 酒井プロデューサーも言っていた大衆を喜ばせる娯楽の真髄は、もう十分やり尽くしたとして、もっとこれからは、洋楽のようなクールで音楽性の高い郷ひろみ自身のやりたい音楽をやっていこうという事だったのだろうと思う。 でも、それは郷ひろみの長い低迷期を呼ぶ事になってしまう。

            郷ひろみ

 

どうして私が郷ひろみのシングル曲を順に追うブログを書くようになったのか、

それは私が、ここ20年以上、郷ひろみのシングル曲を追いながら、その当時の思い出話やブログ主が郷ひろみに対して思っている事を綴っているサイトやブログをずっと探していたけど、なかなか見つからなくて、それならもう自分が書くしかないかと思ったから。

 

このブログを読んでくださっている郷ひろみファンの方々は、私が郷ひろみのファンだと言いながら結構、郷ひろみの事をディスっていると思っているかもしれない。

私は郷ひろみが好きだけど、自分の好みではない曲もあるし、例えば郷ひろみのTVやライブでのパフォーマンスがイマイチな時でも、それを今日の郷ひろみは最高だとは言いたくないし、

郷ひろみ自身が常に上を目指している人だからこそ、ファンである私も正直にそう受け止めるべきだと思っているからだ。

 

さて、この郷ひろみのシングル曲を順に追うブログも「2億4千万の瞳」以降、バラード三部作、「ゴールドフィンガー99」までは、特に郷ひろみの低迷期になるので、更にブログを書く事に苦労するはずで、続けられるのか不安しかないけど、もしかしたら1行しか書けないかもしれないし、毎日のようにUPできないかもしれないし、途中で諦めるかもしれないけど、頑張って

行ける所まで行ってみようと思う。 これからもよろしくお願いします。

 

               郷ひろみ