MDSに対しては通常の急性骨髄性白血病の抗癌剤治療が効きにくいため、抗癌剤を減量した少量化学療法もいろいろと試されてきました。この図はキロサイド少量療法の効果を、輸血などの治療と比較したものです。残念ながらこの少量療法も生命予後を改善することはできません。

 

急性骨髄性白血病ではまず抗癌剤治療を行い、一般的には70%程度の方を寛解(芽球の減った良い状態)に導入することができます。寛解になると長期生存の可能性が出てきます。上の図は急性骨髄性白血病で寛解になった人達について、抗癌剤治療を継続した人達、幹細胞移植を行った人達の生存を追跡したグラフです。どちらの治療でも一定の比率の方々が長期生存しています。

移植治療が話題になることが多いですが、抗癌剤治療でもかなりの方が長期生存していることが分かります。

 

下の右図はMDSで移植を行った人達の生存を追跡したグラフです。このグラフの横軸(時間)のスケールを上図(急性骨髄性白血病)にあわせたものが下の左図です。MDSでは移植後2~3年以内で亡くなることが多く、急性骨髄性白血病とは異なった結果です。

 

急性白血病は芽球が急激に増える病気であり、発症時の検査で芽球は20%を越えている。このため検査時に芽球が20%を越えている場合、急性白血病と診断する基準が採用されています。

一方、MDSでは発症時の芽球は20%未満ですが、しばしば経過中に次第に芽球が増え20%以上となり、急性白血病の診断基準を満たすことになります。

この時点で多くの病院では「白血病になりました、白血病の治療をします。」と言われます。しかし実際にはMDSと白血病は異なる性質を持つため、先述したように白血病の抗癌剤治療は多くの場合効きません。

 

MDSウィーン会議の主唱者であるValent博士(イタリア バレンチノ家の一族)、オランダのVon de Loosedrecht博士、ハンガリーのVarkonyi博士らと共に白血化したMDSの予後を調査した論文です。

白血化したMDSの余命(生存中央値)は4ヶ月であり、急性白血病に対する治療は効果がありませんでした。

これは急性骨髄性白血病の治療の工夫についての研究結果をまとめた論文で、1998年に米国の専門雑誌に掲載されたものです。

抗癌剤治療を工夫することで多くの方が長期生存できるようになります。

1983年頃は、不治の病であった白血病の治療法の標準化が進められた時期であり、この白血病治療の黎明期に病棟医、その後病棟医長として直接多くの白血病の方の治療を行ったことも私にとって大変幸運なことでした。

今とは違って抗微生物剤の数も少なく、治療を成功させるには小さな変化を適切に読み取り、それに対処する必要がありました。この経験によって、私の白血病治療の技術は格段に高まり、多くの急性白血病患者を寛解に導き、治癒した方も多くいらっしゃいます。

一方で、骨髄異形成症候群に急性白血病の治療を行っても、よい結果は得られませんでした。

これが私が骨髄異形成症候群の研究に力を傾ける大きなきっかけになりました。

 

私が最初に経験したIHさんは、FAB分類では不応性貧血(refractory anemia,RA)と分類されました。この方は関節リウマチ(RA)も患っており、2つのRAを持っていたことになります。

当時、私はこの方は偶然2つの病気を持っているものと思っていました。

その後MDSの研究が進み、今ではMDSには頻繁に関節ウマチなどのリウマチ系統の病気や免疫異常を合併することが知られています。

私が研修医時代に病棟に入院中のhematopoietic dysplasia(HI)と診断されている方担当することになりました。MDSはかつては、HIや前白血病などの様々な名前で呼ばれていました。FAB分類が提唱され、皆が同じ基準で診断できるようになり、MDSの理解と治療法の研究が深まっていきました。

私は恩師の野村武夫教授から、FAB分類で診断をやり直すように指示されました。

野村武夫教授は顕微鏡診断の専門家で、この先生に指導を受けたことは私にとってとても幸運なことでした。

MDSの診断や治療による変化を適切に判断するには、精密な顕微鏡検査技術が必須であり、私の正確な診断と後述する際だった治療成績は、この顕微鏡診断技術が大きく貢献しています。

野村教授は大学を定年退職されるに際して、血液細胞の顕微鏡写真がふんだんに掲載されている数多くの洋書・和書を私に下さいました。私もいつか喜んでこういった本を譲れる後進に出会いたいと願っています。