今日は母方のおじいちゃんの命日。そして3月2日は妻であるおばあちゃんの命日。
おじいちゃんは47歳。私の母が13歳の時に亡くなっているので かれこれ、、62年経つとのこと。
私は写真でしかおじいちゃんを知らないけれど、わりとひょうきんで 趣味はビリヤードだったとか
戦争後に肺結核に罹り、母が2歳になった頃からずっと入院をして 11年闘病の末亡くなったそう。おじいちゃんも11年の入院生活。。どれだけ苦しく辛かったことだろう。
結核の治療の末どうなっていったのかはもう不明だけれど 面会はごくたまにできたとのこと。
おじいちゃんももちろん大変だったけれど、おばあちゃんは3人の2歳、7歳、10歳の娘を育てる為朝から晩まで飴屋さんで働きづめ。
戦後の混乱と夫の入院費や生活費に追われ 住む所にも困っていたので 弟一家の所で4畳の部屋を間借りさせてもらって4人で身を寄せ合って過ごしていたと。
弟は良くしてくれたけれど、弟の嫁からすると4人は厄介者でよくいじめられたとか。
近所の悪ガキも まだ小さかった私の母に『おい!宿なし!!』と悪口を行ってきて、当時まだ何を言われてるのかわからない母がおばあちゃんに 今日宿なし!って言われたんだと言ったら おばあちゃんがもの凄い剣幕でその悪ガキの家に怒鳴り込んで行ったとか。
一家の大黒柱を失って 涙に暮れている暇もなく生きる事に必死だったおばあちゃんの苦労。想像を絶する辛さだったんだろうな。
しかも、、おじいちゃんである旦那さんを失った10日後に実の母まで亡くしている。
私だったら気が狂ってもおかしくない。
おじいちゃんは1962年47歳で亡くなった。
おばあちゃんは2013年96歳で亡くなった。
夫を亡くし、51年頑張って生き抜いたんだね。
私が生まれてから今までの月日でもまだ足りない。凄いと言うのか、、おばあちゃんの辛さって 私の今抱えてる辛さの何十倍もあったんだなって今になって気づいた。
おじいちゃん。若くして亡くなって 3人娘の事と妻の事。どれだけ無念で心配だったことか
おばあちゃんが大病する事もなく長生きできたのもおじいちゃんのおかげだね。
おじいちゃんは長い入院生活中 面会に来てくれた娘達のために『喫茶店ごっこ』をしてくれたと。インスタントのコーヒーやバンホーテンのココアと入院中にもらった差し入れのお菓子なんかを用意して 『かづちゃん(母)さて、今日は何にしましょう?』とウエイターの真似をして喜ばせてくれたんだ。と私の母は語る。
母の中での父親の記憶は 田無の病院に入院してる父親の姿しか知らない。
それもおじいちゃんにしたら とても辛いことだったろうな。
コーヒー好きだったおじいちゃんに コーヒー味のシフォンケーキを作ったよ
まぁ、、最近シフォン作りにはまっててこれしか作れないだけだけど
今までコーヒーのシフォン作ってこなかったけど コーヒーシフォン☕️1番美味しい
今度皆んなにも作ってあげよう
とりあえず彼にもお供えこんなに美味しいなら生きてる時にも作って欲しかったと言われるような気がするごめんね