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引越しの思い出 ブログネタ:引越しの思い出 参加中

引越し一家だったわ、この13年間ほど。

短い場所では、半年で新天地。

長い場所でも4年間で引越し。


その度に、猫を引き連れ、電気釜(絶対に持ち歩く)と

透明の衣装ケースを車に押し込み、延々運転。

住み着く予定の町を丹念に見て回ったりはせずに

第一印象で「はい、ここ」とオットの職場に近いって条件で即決。


中年の主婦ってのは、相当図太くできているから(私だけ?)

だいたいが住めば都で、すぐに自分のテリトリーを広げて

生活を始めちゃうわねえ。


で、住所が決まれば家具とダンボールがやってくる。

ダンボールの山をどんどん開けて

決まった場所に入れて…って事の繰り返しだった。


30代のうちは、そのアンパックが全く苦痛ではなかったの。

新たな巣作りが楽しいってくらいに、1週間もあれば

大量のダンボールはすっかり片付いていた。


が!43歳の今回は辛かった!

もーホント引っ越したくない!

でも、来年か再来年には、家かコンドを買うから

アメリカでの最後の引越しが…ある…。





さて、義理ママだ。


予定より早く、おととい、義理パパが関節の手術をしたの。

で、数日間の入院後は、そのまま

2週間リハビリ施設に入る事になったのよ。


本来なら、義理パパの病院送迎係りで

私が先方に泊まりに行く予定だったの。

でも、高齢な義理パパは手術後の病院通いも大変だろうという事で

Drがリハビリ施設の短期入院を勧めて下さったのね。


そうなると、私の出番はないのだが

義理ママが一人になる。


抗がん剤治療をしてから、すっかり老人老人して

何かと悲観的に見るようになった義理ママ。

ちょっと一人にしておくのはなぁ…と思い

「ママJ、やっぱ私が泊まりに行くね。」と言ったら

「いえいえ、私がそっちに泊まりに行くってのはどうかしら?」と

言い出した。


そして、今。

義理ママは隣の部屋で、ゴーゴー寝ている。

昨日の夜、着いてからほとんど寝ている。

疲れたのねー、さすがに。




「来週から、ママJが家に泊まるからね。」と義理姉に言った時は

凄かった。

「ええええええ!なんでええええ!?アカの他人よ、あの人!」と

叫び、露骨に顔をゆがめて不貞腐れる、不貞腐れる!


ママJは、オットと義理姉にとってはステップマザー。

義理パパの再婚相手なのよね。

もう子供が独立してからの再婚だったので

彼らにとっては『お父さんの嫁』という感じで

母親としては見ていない。


気が強くて、古き良き黒人女のつつしみを持つママJの事が

義理姉は大嫌いなんだそうだ…。

まあ、義理姉って人は、誰の事も嫌いだからしょうがないね。



でも、私にとってはオットの両親になるワケで

正月やら休みのたびに、アトランタに住んでいた義理パパ宅を訪ね

私の「ママJ!ダディ~~~~~~!」と擦り寄る姿と

「新しい娘!日本人形のように(だいぶ中古で損傷が激しくとも!)

可憐なカタコトの可愛い娘!」と、

大 川 栄 作 の よ う に 鼻の下を伸ばす両親の姿を見ているうちに

オットも「あー、J?ボクもあなたを『ママ』って呼んでいい?」と

言い出し、ママJもそれを快諾。

非常に良い関係なの。




そして、義理姉がママJの滞在を反対した理由が↓これだ。

1・アカの他人だし

2・パパと自分の間に入った盗人であって

3・上品ぶった嫌味ババアだから

ガラスのハートのティーンネイジャーか、50歳にもなって…


義理ママをアカの他人と言ってしまえば、義理姉にとって

私 も ア カ の 他 人 だ 。


「おねえちゃん、じゃ私も他人だね。

しかもさ、おねえちゃんと縁を切ってるダディからも溺愛されてるし。」


おねえちゃん、グッと言葉につまりつつ

「J(義理ママの名前)が滞在中は、友達の家に行くわ。」

と言い出した。

泊まれる家があるのか!?

知らなかった!!!


「えーーーー!OK!OK!デビちゃーん!おねえちゃん

友達の家に泊まれるんだって!」

間髪入れずに叫ぶ私。


オットは、私と義理姉の言い合いを部屋の片隅で見張っていたが

踊るような足取りで出てきて

「少しなら家賃の援助するから、その友達とルームシェアしろ!」と。



おねえちゃん、やぶ蛇だ。

ピンチだ。

自分が出て行くと言えば、ママJの滞在がなくなるとでも?

なぜそう思えるんだ…

まるで私とオットが頼み込んで、同居してもらっているような

この物言い…


だが、50女の図々しさと根性。

「・・・私はホントの家族だから出る必要ないじゃん!

Jをお招きするなら、すれば?」と気高い顔で言い放った。

フ…。

それでこそ、おねえちゃんだよ…。



で、とにかく、ママJに嫌味な態度をとらないようにと

義理姉がグッタリするまで言い続けた私。


もし義理姉が飲んで酔ったなら、私は容赦なく

車に中にぶち込み、そこで夜を明かさせる事を

ハッキリ言っておいた。

いざとなったら、またジェイルに逆戻りさせると

鬼のような事も、興奮のあまり裏返った声で言い放ったね、アタシャ。


義理姉は、かってアル中時代のオットに対しての

私の態度を見ているから、それが本当に行われる事も

半信半疑ながらも承知している。


私の家族って言うなら、協力しろっちゅーんだ。


だって、義理ママの滞在はたった10日間。

今度はいつ会えるかもわからないし、病み上がりだから

少しでも快適に過ごして欲しいんだもん。



そんな殺伐とした数日間を過ごし

義理姉も「絶対にビッチにならないってば!」と

私の顔を見ると言うようになった。

よしよし…頼んだよ…



そして、昨日。

手術を無事に終えたダディに病院から見送られつつ

ヴァージニアに飛んできたママJ。


空港で迎えた義理ママは干し柿のように

縮んでいた。

さっそく「あらまあ!グランマJ!(Jお婆さん)」などと呼ぶ義理姉。

握ったコブシを見せると「ハーイ、J…お久しぶりー。」と

怪しい微笑みで一緒に迎えてくれたわ、義理姉w


元気な顔で「ヴァージニア、初めて!」と嬉しそうに言い

家に着いた途端に「小さい部屋ねえ!よくあの家具を入れたじゃないの!」と

微妙に失敬な発言をしつつ、私が作っておいた

ちらし寿司を1合ほど爆食、タクワンに醤油をたっぷりつけて

「これ。腐ってるんじゃないでしょうね?」と疑いながらも爆食。


私の部屋で過ごしてねと案内するやいなや

さっさと荷解きして

すごい勢いで泡風呂を作り、謎のガボンガボン!という音を

響かせ、カツラをどこからか調達した画鋲にひっかけて

「寝るわ・・・」と。

そうよね、疲れてるよね。



私が、ママJを好きな理由のひとつは

台所を完全に預けてくれる事。

家事に関して、一切文句を言わずに

「あら、ありがとうねー」とサラリとお礼を言うスンバラシイ姑なのよ。


そして、とにかく強い人なの。

気分にムラがない。

だいたい皮肉を言うが、それが面白い。

的を得た皮肉だ。

義理姉の言う通り、多少、気位が高いが

それに見合う人生を自分で守ってきた人だもの。



さて10日間。

親孝行できますように。

いざとなったらさ、ヴァージニアの観光がてら私とママJで

いいホテルに泊まりに行ってもいいし。