遠慮。 | 日々

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とくになし

もし、過去の自分に会えるなら何歳のときに会う? ブログネタ:もし、過去の自分に会えるなら何歳のときに会う? 参加中

5歳か6歳。

小学校に入学した年齢だな。


そしたら、チビだった私を抱きかかえて

K先生に「この子、ホントは先生が大好きなんです!

でもヒネくれた性格なんで態度に出せないんです!」と

先生の胸に押し付けて受け止めてもらったのに。



小学1年生。

担任になった先生は、髪の毛も薄く、お腹もポッコリの

色黒な中年独身男性だったの。

K先生。


うるさい生徒達の言葉をノンビリとした物腰で聞いてくれて

クラスメイトのほとんどが休み時間になると

K先生のタヌキ腹によじ登って
「せんせー せんせー!」って独占しようと騒いでたっけね。



1歳で父が亡くなり、親戚の家に預かってもらった時期も

あったりした私は、大人に対して極端に遠慮する子供だった。


親戚の家で邪魔者扱いなどされた事はないのに

『私は他所の子だから邪魔にならないように』と

勝手に遠慮していた。

子供って、すごく大人の「気」に勘が利くのよ。

叔母達が自分の子供に接するのと微妙に違う

私への「気遣い」に気がついて

大人が居ると、どこでも何となくそーっとしていた。


特に大人の男性に対しては馴れなかった。

そばに来られるだけでジッと息をひそめる程。


だいたいの親戚の伯父さんたちは可愛がってくれていたし

家に出入りする業者のお兄さんや銀行のオジさん達も

チビの私に優しかった。


でも懐かない可愛くない子供だったのよねえ。


いつも緊張して、うつむいてオドオド。

「マミちゃん、おいで」などと優しく呼びかけられると

『自分に注意が向いている!』と

困ってしまい、ヒヨヒヨ泣いて怯える。



今なら「マミちゃん、おいで」などと言われる前に

目の前に仁王立ちだし、歴代の恋人達からは

「うっるさい!」とヘタしたら引っ叩かれた程に

「ねえねえねえ!見て!ねーーーー!見-----てえええ!」と

注意をひこうと絶叫しまくるビッチぶりなのに・・・。



そんな『捻くれ内気』な子供だったので、K先生は

細心の注意をはらって私に接していた。

母が、K先生に色々と御相談していたから。


急に話しかけたりせずに、大勢の生徒にまぎれるように

頭を撫ぜてくれたり、食の細い私の給食の残りを

そーっと自分の机に持っていって食べてくれたり。

(他の生徒にも同様の気遣いをされる先生だった)



当時、若い未亡人の母は結構目立つ存在だった。

元・横浜っ子のオシャレ好きで

クリーニング屋兼洋品店のオーナーだったから

顔も広く、お見合い話しも多かったが

どの御縁談もお断りしていた。


私は、チビながらも母に

「再婚、すればいいじゃない。」と言っていたのだが

「うーん…」と、母はとまどっている様だったのよね。

当時は、なぜ母がどの話も断っているのかわからなかったの。




入学して半年ほど経った頃だったかな?


その頃、K先生は、頻繁に家に来るようになっていたの。

夕食も家で一緒。

私に「ひらがな練習」をしてくれたり、一緒にTVを観たり。

いつもの調子でノンビリとしつつ、そーっと接してくれていたのに

私は他の生徒のように甘えず、ずっと下を向いていたのよね。


大好きだったのに、K先生の事。


『学校じゃないんだから膝に乗ったりしたら申し訳ないよな』

『先生、私に気を遣っているんだろうな。悪いから一人で早く寝よう。』

大好きだから、K先生に邪魔に思われたくなくて

家の中でも避けるようにしていた。


同級生が何の屈託もなく

「Kせんせー!」と、まとわりついているのを

いつも羨ましくて羨ましくて仕方なかったのに

家で独占できるタイミングを逃してしまったのね。



今ならハッキリわかるのだけれど

人柄の良い真面目なK先生に、色々と相談しているうちに

母とK先生は恋愛関係になっていたの。

人知れずヒーーーッソリと。

また、そういう生臭い事は御法度みたいな時代でもあったし。


子供の私は、何かおかしいと思いつつも

先生は先生以外の何者でもなかったんだなぁ。




で、突然、先生は家に来なくなったの。

学校ではいつもと変わらず優しくノンビリ。

「先生、また家に来てよ。」などとは、当時の私に言えるはずもなく。


その後、私と母は、母の姉を頼って横須賀に引っ越す事に。


身内でやっていた店は、結構うまく商売していたけれど

何だか色々な事に疲れた様子の母は

(身内の事やら色々あったのだ)

その店をたたんで、当時『僻地』と呼ばれていた横須賀の

野原ばっかりで大きな養豚場のある町に引っ越した。


引っ越した先の横須賀が、私にはとても合う場所だったようで

私はどんどん子供らしいガキんちょになったが

やっぱり他所の「お父さん」てのは苦手な子供時代だった。



それから…10年以上経って、母がポツリと

「あ、K先生、結婚されたんだって、去年。」と言い出し

すっかりその存在が遠くなっていた私は

「えーまだ独身だったんだ!私、K先生大好きだったんだよなあ。」と

母に言った所「え?!アンタ苦手だったんじゃないの?!

ママ…アンタがどうしても懐かないから、ご縁がない人だなと思って…」

と、すっかり大人の男性を舐めきった年齢の私に

打ち明けてきた。

互いに深々としたため息をついたわね…。



ランドセルを背負えない程に細くて小さかった5歳の私が

もっとK先生に甘えられる性格だったら。


妙な遠慮ばかりせずに「K先生、大好きー!」と

飛びついていたら。

多分、母はK先生のプロポーズをきちんと受けていただろう。

そして私は「ホントお父さんて四角四面!」などと

遠慮もクソもない娘のように

大好きな先生を『おとうさん』と呼んでいたかもしれない。


ま、今となっては『たられば』だけれど。

限りなく現実に近かった『たられば』だったわよね。


私のせいだな、と、今でも後悔している。

母に対しては申し訳ない事ばかりしていた、本当に。




それからね…もうひとつ。

最近、太りお腹が突き出て、ハゲてきたオットの横顔を

ふと見てハッとしたの。

今のオットと、私の記憶の中のK先生、驚くほどよく似た容姿。


あの当時は羨ましく遠くから見ていた事も、結婚後は無意識に

よくやっていたのにも気がついた。

『ヒザに乗る』(江戸時代の石抱きの刑罰のよう)

『抱っこ!と飛びつく』(オット、腰を負傷)

『出っ腹に意味なくパンチの連打』(黒人なので痣が見えず良かった)

などを拷問のようにオットに浴びせ、満足している。


オットは毎回、悲痛に「なぜ!?」と叫んでいるが

「失われた子供時代の分なのよ…」と謎っぽく言い訳しつつ

手は弛めない。



もしかしたら父となってくれたかもしれない人を無意識に感じていたのかしらね。

そうだとしたら、私は立派な(世に言う)ファザコンてやつだ。

上等上等。




あ、全然関係ないけど、ビッグダディはどこまで

さ す ら う の だろうね。


偶然、動画で最新の姿を拝見したが

相変わらず「ラーメン道」とか、ぶっとく筆文字でバックに書かれているような

お姿であった。


ダメな女が放っておかないのか、女をダメにするダディなのかは

わからないけれどさ…

もう2人くらいは、子供が出来そうな気がするわ、あの人。


とにかく、ビッグダディは、WWEの今は亡き偉大なレスラー

エディ・ゲレロ氏に顔がそっくりだ。

ちなみにエディ・ゲレロ氏のキャッチコピーは

「ウソついて、盗んで、ズルすりゃいーじゃん!」で

会場のお姉ちゃんを見ると「ママシータ!」と叫ぶ女好きであった。

本当に惜しいレスラーばかりがいなくなっちゃうのよねえ…。


武藤(ムタ)とジョン シナにゃ長生きしてもらいたいよ。