侍ホリタンの続続100名城訪問記 -3ページ目

侍ホリタンの続続100名城訪問記

惜しくも日本の100名城や続100名城に入らなかった隠れた名城が日本にはまだまだあります。
侍ホリタンが独断と偏見で選んだ続続100名城を紹介していきます。

訪問日:2023/11/23

【場所】福井県敦賀市

【築城年】1583年

【築城者・改修者】蜂屋頼隆、大谷吉継

【城郭様式】平城

【主な城主】蜂屋頼隆、大谷吉継

【見所】①案内碑②礎石③移築現存門

【廃城年】1516年

【御城印の有無・販売場所】

キトテノワ(カフェ)

【アクセス】

JR敦賀駅

【駐車場情報】


【周辺観光施設】

金ヶ崎城、気比神宮、気比の松原、

みなとつるが山車会館、市立博物館


羽柴秀吉公の家臣であった鉢屋頼隆公によって三層の天守を持つ城が築城されましたが、頼隆公は九州平定中に病死、代わりに大谷吉継公が城主となりました。吉継公は敦賀城を水城として大改修しましたが、1600年の関ヶ原の戦いに敗れ自刃、その後所領は没収され代官が派遣されました。その後に発令された一国一城令によって廃城となっています。


敦賀市立西小学校正門横の敦賀城案内碑


来迎寺に移築されている城門


真願寺境内に残されている敦賀城の礎石



八幡神社には敦賀城の礎石、大谷吉継公の肖像画を見ることができます。




常宮神社境内には吉継公が朝鮮の役で持ち帰った鐘が吉継公の手によって奉納されています。




永賞寺は吉継公が再興した寺院で境内には供養塔が建てられています。



みなとつるが山車会館、

山車、吉継公の武者人形等の展示や吉継公に関するグッズも購入できます。

ただし私が訪問した日は休館日でした(>_<)


御城印は山車会館の近くにあるカフェキトテノワさんで購入できます。

2枚セットでの販売となっています。


周辺観光施設


気比神宮、永賞寺の近くにあります。



常宮神社の紅葉


以上の敦賀城、吉継公ゆかりの地は車でまわりましたが、常宮神社以外はJR敦賀駅から歩いて回れる距離です。ただし半日ぐらいはかかりそうですので、時間に余裕のない方はレンタルサイクルを利用するのが良いと思います。常宮神社は敦賀市から車で20分程かかりました。


お城訪問のご褒美


山車会館の近くにあるヨーロッパ軒


ソースカツ丼をいただきました。



訪問日:2023/11/23

【場所】福井県敦賀市疋田

【築城年】1469年ー1487年

【築城者・改修者】疋壇対馬守久保

【城郭様式】山城

【主な城主】疋壇氏

【見所】①石垣②曲輪③空堀

【廃城年】1573年

【御城印の有無・販売場所】

なし

【アクセス】

北陸本線新疋田駅より徒歩10分、

北陸自動車道敦賀ICより滋賀方面へ10分

【駐車場情報】

南の郭(学校跡地)の広場

【周辺観光施設】

玄蕃尾城


玄蕃尾城訪問後、敦賀市内に戻る途中にある疋田城です。玄蕃尾城からの距離7キロ、車で8分程です。見学時間は10分程ですので玄蕃尾城とセットでの訪問がおすすめです。


疋田城は越前国の最南端における防御拠点として、朝倉氏の配下である疋壇対馬守久保公によって築かれました。1570年織田信長公の越前攻めによって、金ヶ崎城・天筒山城と共に一旦は落城しますが、修復されたのち朝倉氏の配下である栂野景仍公が布陣します。しかしながら1573年、信長公の再度の越前攻めによって落城し廃城となりました。


「疋田城跡」の標柱


ゴミステーション前のスペースに車を停めて階段を登って行きます。駐車場は階段を登った所にある小学校跡地にも停める事ができます。


階段を登った所が本丸の南側にあたる所ですが、小学校が建てられていたため当時の遺構は残っていません。前方が本丸跡です。



案内板


「疋田城跡」の標柱


天主台登り口


天主台



天守台の様子


天主台に建てられている標柱


天主台から本丸北側の眺め、現在は畑として利用されています。


天守台から本丸南側の眺め



本丸北側から見た天主台


本丸北側の石垣


本丸東側の空堀


本丸東側の石垣



訪問日:2023/11/23


福井県と滋賀県の境にある玄蕃尾城は、柴田勝家公が賤ヶ岳の戦における本陣とした城ですが、勝家公は戦わずして撤退した為、土塁等が良好な形で残っています。


県道140号線、柳ヶ瀬トンネル手前の玄蕃尾城への案内板と信号、この信号は日本一長く待たされる信号(6分30秒)として知られています。元々は北陸本線の単線線路が通っていた為、車一台通過がやっとの幅しかありません。うっかりしていると見落としてしまい1352mある狭いトンネルを抜ける羽目になってしまいます。侍ホリタンも長い信号待ちの後に急に案内板が現れたので曲がる事ができませんでした😭


反対側の様子、間違えて通り抜けても近くにUターンできるスペースがあるので気を取り直して戻れば大丈夫です。


曲がった後は林道を進むことになりますが、玄蕃尾城は標高460mの内中尾山頂上付近にあるので、狭い林道を何度も曲がりながら駐車場まで登って行かなければなりません😓



林道入口から10分程で駐車場に到着します。

奥にトイレとポスト内にパンフレットが置いてあります。

ここから玄蕃尾城までは徒歩20分程です。


登城道入口


登城道



案内板に沿って玄蕃尾城を目指します。


頂上付近までやって来ました。あと少しです。


案内板


玄蕃尾城の様子







訪問日:2023/11/18


全国山城サミットに合わせて

11月17日から19日の3日間、特別ライトアップが実施されていました。

18日のみバスは無料でした。


中腹駐車場に到着、

ここから料金所までは暗闇の道が続くので懐中電灯等の灯りは必要です。


登城道の様子、左手の木々の間からライトアップされた石垣が見えます。


ようやく石垣全体が見えて来ました。


中腹駐車場から約20分で大手虎口に到着です。


大手虎口から本丸方面の眺め


三の丸跡から本丸(天守台)方面の眺め


ニの丸跡から本丸(天守台)方面の眺め


本丸の様子



天守台から竹田城城下の眺め


天守台から二の丸方面の眺め


夜間は南千畳方面へ立ち入る事ができませんでしたので、同日早朝の画像をアップしておきます。

天守台から南千畳方面の眺め


南千畳から本丸方面の眺め


天守台前に天守のCG復元図が飾られていました。




訪問日:2023/11/18

天気曇り一時雨


本日、第30回全国山城サミットが第1回開催地である兵庫県朝来市出開催されました。

朝来市と言えば、「天空の城竹田城」が有名です。

本日の目玉は城郭考古学研究家の千田嘉博先生と俳優の高橋英樹さんの記念対談です。サミットの観覧は先着680名、事前申し込み制でした。


山城サミットが行われた和田山ジュピターホール



全国山城サミット朝来大会のポスター


入口前では御城印等の戦国グッズを扱うお店が数店あり大盛況でした。


オープニングセレモニーの様子、

書道家華沈さんと虎臥陣太鼓のパフォーマンス


千田先生と高橋英樹さんの記念対談の様子、

対談では両氏のお城好きになったエピソードの紹介や、竹田城の魅力等についての興味深いお話しがありました。




パネルディスカッションの様子、

左端は千田先生、

パネルディスカッションでは、

最新技術を使用したお城の情報発信方法や、

保全活動の紹介等の興味深いお話がありました。


最後の閉会式に先立って来年の31回大会は、

島根県の益田市で開催される事が発表されました。


山城サミット2日は山城の郷および竹田まちなか周辺にて戦国フェスが行われます。

訪問日:2023/11/12

天候曇り一時雨
フルマラソン出走者1万4679人
完走者1万3627人
完走率92.8%

スタート前の侍ホリタン、

後方はゴール地点の

「シティライトスタジアム」、

余裕で写真に収まってますが、

スタートブロック整列時間を過ぎているので

周りにランナーはいません(>_<)


最後方からのスタートです(>_<)


ランナー多すぎて中々前に進めません。


陸橋を駆け上がるランナーの皆さん。


30キロ過ぎ、旭川に出ました。

フルマラソン「30キロの壁」、

ここからが正念場です(^_^;)


ゴールまであと4キロほど、

岡山城天守が出迎えてくれました。


ゴールまであと少しです(^_^;)


ゴール地点の様子


なんとか無事に完走する事ができました(^_^*)

沿道の沢山の温かい声援励みになりました。

ありがとうございました。


マラソン完走のご褒美、

観音山フルーツパーラーOKAYAMAさんで

フルーツパフェを頂きました。


完走記念メダル

訪問日:2023/11/11


明日、11月12日8時45分より岡山マラソンが開催されます。

エントリー数1万6400人、侍ホリタンもフルマラソンにエントリー、制限時間6時間を使って楽しみながら完走目指します!


レース後半では旭川沿いに岡山城天守郭を

見る事ができます。

以下、

前日入りした侍ホリタンと岡山城との記念撮影です。


廊下門前にて撮影


不明門(あかずのもん)と侍ホリタン


岡山城天守と侍ホリタン



天守の柱を支えた礎石前に立つ侍ホリタン、

空襲で焼け落ちた天守を再建する際に、天守の柱を支えた礎石群は、天守の南側に移築されています。礎石の位置関係はほぼ元通りらしいです。


築城当時の石垣を指差す侍ホリタン、

宇喜田秀家公が岡山城を築いた当時の石垣で、江戸時代初めの拡張工事で埋められていた石垣が発掘調査によって発見され展示されています。


月見櫓と侍ホリタン、

1620年代に池田忠雄公によって築かれた当時のもので、国の重要文化財に指定されています。


<天守閣内の様子>

金鯱瓦と侍ホリタン


甲冑と侍ホリタン


馬上の侍ホリタン


籠に乗った侍ホリタン

訪問日:2023/11/11


明日、11月12日8時45分より岡山マラソンが開催されます。

エントリー数1万6400人、侍ホリタンもフルマラソンにエントリー、制限時間6時間を使って楽しみながら完走目指します!



廊下門付近からの岡山城天守と侍ホリタン


月見櫓と侍ホリタン


月見橋からの岡山城天守と侍ホリタン


1000枚限定のリニューアル1周年記念御城印


訪問日:2023/9/30

【場所】兵庫県宍粟市山崎町

(長水山山頂付近)

【築城年】1352年

【築城者・改修者】赤松則祐

【城郭様式】山城

【主な城主】広瀬氏、宇野氏

【見所】①石垣②曲輪③堀切

【廃城年】1580年

【御城印の有無・販売場所】

伊沢の里、道の駅「ちくさ」

【アクセス】

中国道山崎ICより国道29号線北上約20分

【駐車場情報】

林道終了地点に無料駐車場有り

【周辺観光施設】

最上公園、篠の丸城、波賀城


長水城は標高585mの長水山山頂に築かれた山城で、広瀬城とも呼ばれ西播磨の山城11(イレブン)のひとつです。赤松円心公の三男則祐公により築城され則祐公のあとは、則祐公の四男広瀬師頼公が城を受け継ぎ広瀬氏4代の居城となりました。1441年の嘉吉の乱により一旦は落城、その後宇野氏の居城となり城を拡張していきました。宇野氏の支配は5代まで続きますが、羽柴秀吉公の軍勢により攻められ落城しています。


林道終了地点の無料駐車場


登山道入口


登山道を進んで行きます。

整備されていて歩きやすいです


途中、「標準コース」と「健脚コース」

の分岐点があります。


「標準コース」を進んで行きます。



登山口から約1時間、

本丸の石垣が眼前に現れます。



長水城址の案内板


本丸への入口


本丸石垣、宇野氏によって築かれたものです。


<本丸跡の様子>

本丸に建てられている信徳寺

宇野氏の追悼碑

長水山山頂を示す標柱


二ノ郭方面の眺め


二ノ郭の様子



二ノ郭から篠の丸城方面の眺め(赤丸付近)


水場、現在も水を湛えています。


訪問日:2023/9/30

【場所】兵庫県宍粟市上野、

(城山山頂、波賀城史蹟公園内)

【築城年】1261年

【築城者・改修者】芳賀七郎、中村氏

【城郭様式】山城

【主な城主】芳賀七郎、中村氏

【見所】①二層櫓②石垣③冠木門④土塀

【廃城年】不明(戦国末期?)

【御城印の有無・販売場所】

道の駅「はが」、道の駅「みなみ波賀」

【アクセス】

中国道山崎ICより国道29号線北上約35分

【駐車場情報】

林道終了地点に無料駐車場有り

【周辺観光施設】

最上公園、長水城、篠の丸城


波賀城は標高458mの城山山頂に築かれた山城で、芳賀七郎公が築城したのが始まりで、その後鎌倉幕府の御家人であった武蔵国出身の中村氏が城主となり、以後廃城となるまで中村氏20代の居城でした。現在、山頂付近には発掘調査後に復元された二層櫓、石垣等が整備されており夜にはライトアップされています。


道の駅「はが」からの

城山と復元された二層櫓の眺め


麓から遊歩道が整備されていて徒歩でも登城可能、林道終点にも15台ほど駐車可能な無料駐車場有ります。



駐車場に建てられた案内板


案内板に沿って遊歩道を歩いて行くと5分程で

二層櫓と城址碑が見えてきます。


城趾碑と冠木門


冠木門横に設けられている説明板


冠木門をくぐって主郭部へと進んで行きます。



数分で頂上付近、二層櫓が眼前に現れます。


さらに進んで行きます。


頂上付近から見た波賀町の町並み、

絶景です。




復元された土塀


二層櫓裏手からの様子


二層櫓裏手にある城山山頂を示す標柱


隣に祠が建てられています。


二層櫓1階の様子、波賀城の歴史を紹介した資料が展示されています。


最後にこの地に伝わる

馬隠しの伝説についてです。

名馬の伝説が伝えられている「馬隠し」、

駐車場付近にて撮影、

芳賀七郎と言う武士が名馬を飼っていて、その噂が都まで届いた為、都より名馬を献上する命が下りましたが、芳賀七郎は命に従わず合戦となりました。合戦時に芳賀七郎は名馬を「馬隠しの穴」に隠して戦ったと言われています。