作品紹介
東京大空襲(ドラマ)
最高だった。現実味あふれる、という意味ではなく、作品として優れている、という意味で特に最高だった。
と、いうのも、もちろんスタッフさんたちは、綿密な下調べと取材のもとに、できるだけ史実に基づきこのドラマを作成したわけで(私自身東京大空襲に明るいわけではないけど、数冊の資料本とドキュメンタリー番組を観た程度の知識の私から観て)史実的な湾曲や違和感は当然なかったのと思うのだけど、妙にドラマチックで都合主義で、そのまま受けとるならば白けてしまうと思う。多くの登場人物の間で描かれているドラマのほんどは、やっぱり恋愛感情で、結ばれた矢先もしくは無念のまま戦争によって引き裂かれ散っていくさまを通し、戦争の無残さを伝えようという狙いなのだろうけど、その引き裂かれ方が、戦火に飲まれた後、ようやく恋人と再開を果たした直後に、直下に焼夷弾が降ってくるとかいった、わざとらしさ、ご都合主義的な展開。ある意味予定調和で、これでやっと幸せになれる、や、人の強い意志の表れ、が、死亡フラグだった。一気に突き上げて一気に落とすというこの構図の繰り返し。分かりやすいといえば分かりやすいけど、登場人物の多さと尺の長さ(四時間あまり)から、観ていて慣れてしまうというか疲れるというか。
でも、これだけ書けばこのドラマを否定的に見ていると思われるかもしれないけど、そうじゃない。むしろそれがこのドラマの良さなのだろうと思った。
展開はご都合主義でわざとらしいけど、それが故に分かりやすい。それに、ドラマにある登場人物の意志や想いというものは、当時の人の中に間違いなくあったもので、その意志や想いには嘘がない。やや記号的ではあるけど(だからこそか?)、共感することができる。
観る前、キャストを確認して、このイマドキのキャストで創られているドラマだから、とても信用ならなかったけど、(キャストそのものが、というよりも、このドラマがこのキャストで創られているということが)とても人間味あふれる演技をしてくれた。役者の力を甘くみていた。泥まみれ血まみれになりながらも、実寸大な、人の醜い部分まで思いっきり演技してくれていた。このドラマで、イマドキの役者に対する考え方が少し変わったし、そのイマドキの役者をつかい、しかもそこに恋愛要素を入れることで、若い人達にも観てもらえるものになったと思う。
このドラマの一番の目的が、戦争の悲惨さを世に伝えるため、であるなら、中でも一番伝えるべき相手は、一番戦争に疎い現代の若者だろうし、この役者の配慮と、前記の正確さと分かりやすさから、その目的が達成しうる最善の創り方をしているように思えた。本当に、このドラマには感服した。
でも欠点を上げるなら、主人公二人の関係に説得力がなさすぎる。お互いに好き合っている感がまったくしない。説得力がない。
↓↓↓以下若干のネタバレ↓↓↓
と、いうのも、二人の出会いの印象が希薄すぎる。二人の出会いは、主人公の春子の父親が瓦礫の下敷きになり、それを助けるために駆け寄ろうとする春子を見て、もう一人の男側の主人公、博人が二次災害を恐れて止める。結局父親はその感に爆発に飲まれて完全に死に、なぜ止めたのかと春子が博人に怒鳴り立てる。しかし博人はほとんど何も言わずにその場から立ち去る。数年後、看護婦になっていた春子の病院に、博人が心臓病で運ばれてきて、春子ははじめ、当時のことに関して、幸せに育ったあなたには分からないでしょうね、と切り捨てるが、その後、博人の母親はすでに死に、父親は軍人で博人のことも母のことも眼中にない人であるという、自分と似た過去をもっていると知ると、そこから急速に仲良くなる、というもの。
つまり、同情からはじまった恋であり、正直、気づいたら二人は恋仲になっていた。二人が恋仲になった理由が、それ意外にはなく、まったくもって説得力がない。それに、前記に、人の想いや意志には嘘がない、とあるが、戦時中、道路に人の死体が山のように積み重なる時代の中、数年間も、二次災害を恐れて自分を止めてくれた博人の気持ちを理解出来ないのは不自然だった。あまりにも子どもすぎるし、まさに物語のために恋仲にならなければいけなかったという、メタ的な理由が見え隠れするほどに不自然だった。せめて、はじめから過去をともにしてきた恋人もしくは友人だったとかにしたほうがマシだった気がする。この場合は、戦時中での出会いも描いていることになるけど、だからといってそれがドラマの中で生かされている感じはしなかったし。それが唯一で最大に残念だった。尺の問題もあるのだろうけど。
しかし、総じて評価はかなり高いです。人がバタバタと死んで、その死体の上で出産するお母さんのシーンとかもなかなか印象的でした。人が山のように死んでも、そんな人間側の都合なんか関係なく、生まれてくる命は生まれてくるのだという、人間の根底にある、絶対に逃げられない”生物”としての都合。どれだけ文化的で絶対的でも、所詮(言葉の印象は否定的ですが、必ずしもそうでもない)生物なのだということ。良かったと思います。
プロローグと同じで、現代にフィードバックするエピローグ。未来に繋がる肯定的な終わり方も素晴らしかったです。もちろん、否定的な終わり方をするはずはありませんが。涙で画面が見えませんでした笑
このドラマには、本当にいろんなことを考えさせられたので、是非みなさんにも観て欲しいです。堅苦しく構えなくても、人間ドラマとしても良作で観やすいです。
違うんですよ。
忘れていたたわけじゃないんですよ。面倒くさくなったわけでもないんです。
でも最近ちょっと自分の文章を書く方が忙しくて、更新する暇がなかったんです。本は読んでるんですよ。
てなわけで、読んだ本の一覧を下に。この中から、近々選んでレビューします。
・くちぶえ番長(重松清)
・舞姫通信(重松清)
・ジョゼと虎と魚たち(田辺聖子)
・哀愁的東京(重松清)
・太陽のあくび(有間カオル)
・[映]アムリタ(野崎まど)
こんな漢字です。あ、感じです。
忘れていたたわけじゃないんですよ。面倒くさくなったわけでもないんです。
でも最近ちょっと自分の文章を書く方が忙しくて、更新する暇がなかったんです。本は読んでるんですよ。
てなわけで、読んだ本の一覧を下に。この中から、近々選んでレビューします。
・くちぶえ番長(重松清)
・舞姫通信(重松清)
・ジョゼと虎と魚たち(田辺聖子)
・哀愁的東京(重松清)
・太陽のあくび(有間カオル)
・[映]アムリタ(野崎まど)
こんな漢字です。あ、感じです。
作品紹介
作者紹介
重松清
前から気になっていた重松清、その短編集のひとつです。重松さんは中年などの割合年齢の高い人を主人公に据えるのですけど、重松さんに入るにあたって、青春時代の少年たちを描いた本作を買いました。結論からいうと、これは来たな、というのが半分、これだけじゃまだ重松清が分からない、というのが半分でした。でも間違いなく、重松さんは、少なくともある一面においては、私が目指す先にいる人だと思います。あと田辺聖子とかも。
本書には七つの短編が収録されていますが、いずれも男子小中高生の直面する問題と、それによって揺れ動く彼らの心情が描かれています。それも、とても細かく。細かく、とか、もしくは、リアルに、という表現が正しいのかは分かりませんが、少なくとも記号的ではない、ということです。例えば、少年の怒りの感情を表すのに、少年に壁を殴らせてみせるとか、そういう分かりやすいことを必ずしもしていないということです。
怒りがあって、その憤りを壁にぶつける。実際に我々もそうすることがありますし、だからこそ分かりやすい、共感しやすいという一面をもっています。不自然でもありません。しかし、何かしらの怒りをもった人間が、八つ当たりの対象とするのは、壁でない場合も多いと思います。それはデスクスタンドライトのポールの部分であったり、床に転がした釣り道具の入ったプラスチックの容器かもしれません。でも、普通、というか多くの人はそれらでなく壁を殴らせます。いちいち所々の物を描写するのも骨ですし、鬱陶しく感じられる場合もありますし、この場合の目的は読者に怒りの心情を伝えることだからです。ならば普通に壁を殴らせれば済む話だからです。
でも、それは分かりやすいが故に、使い古され、記号化され、読者は悪い意味で、その情景がカチリとはまってしまいます。坂を転がるボールが、アスファルトの凹んだ部分に向かって進路変更し、結局その窪みに沿って進んでいってしまうような感覚です。その窪みは一見して平坦で、誤差の範囲内ですが、確実に本来進むべき進路をはずれ、それが何度も繰り返されると、最終的にボールがたどり着く地点は、予定とは十メートルも二〇メートルも違ってしまっているはずです。
それに、読者は、少年が怒っていることはわかっても、それ以上のことは考えようとしません。なぜなら、読者も、作者が少年の怒りを伝える目的のためにそのシーンを描いたことを分かっているからです。
そこで、床に転がした釣り道具の入ったプラスチックの容器に八つ当たりをさせるとどうでしょうか。
まず、読者は必死にその情景を思い浮かべます。釣りの道具があるということは、この少年は釣りが好きなのかもしれないと考えます。床の上の容器、ということは、当然殴るのではなく蹴飛ばすのでしょう。そして何より、頭の中で容器を蹴飛ばしているのは、間違いなくその物語の主人公(私は、登場人物、という意味で、主人公、という言葉を使います)の少年の画になると思います。
前述したように、これまで物語の中でイラついて壁を殴ってきた主人公は、五万といます。多くの読者は彼らに幾度となく出会ってきたはずです。そうすると、壁を殴っているのは、いま読んでいる主人公のはずなのに、無意識のうちに、過去に壁を殴ってきた主人公と画が混同してしまう可能性が高いのです。
つまりは、所々の物を描写するということは、その主人公としての個性が際立ち、感情移入を助けるということなのです。本当の人間というのは、部屋に入った目の前に、蹴飛ばしやすい容器があるのに、それをスルーして、いちいち部屋の中から壁を殴りやすい場所を見繕ったりしません。怒りが押えきれずに、すぐにもそれを発散したいはずです。
小説は、意識的に描写しない限り、当然描写されませんから(映画などは、ストーリーに関係なく部屋の中が映像としてすべて描写されます)、違和感を与えないことが多いですが、そこに甘えずきちんと描写することで、一層物語と読者の距離が縮まります。
しかし、逆に言えば、意識的に描写した以上、読者も当然意識的に文字を読みますから、それが鬱陶しく思われてしまう可能性もはらんでいます。どうすれば鬱陶しくならないか、ということは、まだまだこれから重松さんを読んで勉強させてもらおうと思います。
毎回のことですが、『青春夜明け前』の批評になってませんね……。ここで、このブログのスタンスを、管理人が本を読んで感じたことを書く、ということに決めておこうと思います。ですから内容に深く突っ込むこともあれば、今回のように本当に個人的に学んだことを、ただつらつらと書きなぐることもあるかと思います。いまさらですが、よろしくお願いします。
作者紹介
重松清
前から気になっていた重松清、その短編集のひとつです。重松さんは中年などの割合年齢の高い人を主人公に据えるのですけど、重松さんに入るにあたって、青春時代の少年たちを描いた本作を買いました。結論からいうと、これは来たな、というのが半分、これだけじゃまだ重松清が分からない、というのが半分でした。でも間違いなく、重松さんは、少なくともある一面においては、私が目指す先にいる人だと思います。あと田辺聖子とかも。
本書には七つの短編が収録されていますが、いずれも男子小中高生の直面する問題と、それによって揺れ動く彼らの心情が描かれています。それも、とても細かく。細かく、とか、もしくは、リアルに、という表現が正しいのかは分かりませんが、少なくとも記号的ではない、ということです。例えば、少年の怒りの感情を表すのに、少年に壁を殴らせてみせるとか、そういう分かりやすいことを必ずしもしていないということです。
怒りがあって、その憤りを壁にぶつける。実際に我々もそうすることがありますし、だからこそ分かりやすい、共感しやすいという一面をもっています。不自然でもありません。しかし、何かしらの怒りをもった人間が、八つ当たりの対象とするのは、壁でない場合も多いと思います。それはデスクスタンドライトのポールの部分であったり、床に転がした釣り道具の入ったプラスチックの容器かもしれません。でも、普通、というか多くの人はそれらでなく壁を殴らせます。いちいち所々の物を描写するのも骨ですし、鬱陶しく感じられる場合もありますし、この場合の目的は読者に怒りの心情を伝えることだからです。ならば普通に壁を殴らせれば済む話だからです。
でも、それは分かりやすいが故に、使い古され、記号化され、読者は悪い意味で、その情景がカチリとはまってしまいます。坂を転がるボールが、アスファルトの凹んだ部分に向かって進路変更し、結局その窪みに沿って進んでいってしまうような感覚です。その窪みは一見して平坦で、誤差の範囲内ですが、確実に本来進むべき進路をはずれ、それが何度も繰り返されると、最終的にボールがたどり着く地点は、予定とは十メートルも二〇メートルも違ってしまっているはずです。
それに、読者は、少年が怒っていることはわかっても、それ以上のことは考えようとしません。なぜなら、読者も、作者が少年の怒りを伝える目的のためにそのシーンを描いたことを分かっているからです。
そこで、床に転がした釣り道具の入ったプラスチックの容器に八つ当たりをさせるとどうでしょうか。
まず、読者は必死にその情景を思い浮かべます。釣りの道具があるということは、この少年は釣りが好きなのかもしれないと考えます。床の上の容器、ということは、当然殴るのではなく蹴飛ばすのでしょう。そして何より、頭の中で容器を蹴飛ばしているのは、間違いなくその物語の主人公(私は、登場人物、という意味で、主人公、という言葉を使います)の少年の画になると思います。
前述したように、これまで物語の中でイラついて壁を殴ってきた主人公は、五万といます。多くの読者は彼らに幾度となく出会ってきたはずです。そうすると、壁を殴っているのは、いま読んでいる主人公のはずなのに、無意識のうちに、過去に壁を殴ってきた主人公と画が混同してしまう可能性が高いのです。
つまりは、所々の物を描写するということは、その主人公としての個性が際立ち、感情移入を助けるということなのです。本当の人間というのは、部屋に入った目の前に、蹴飛ばしやすい容器があるのに、それをスルーして、いちいち部屋の中から壁を殴りやすい場所を見繕ったりしません。怒りが押えきれずに、すぐにもそれを発散したいはずです。
小説は、意識的に描写しない限り、当然描写されませんから(映画などは、ストーリーに関係なく部屋の中が映像としてすべて描写されます)、違和感を与えないことが多いですが、そこに甘えずきちんと描写することで、一層物語と読者の距離が縮まります。
しかし、逆に言えば、意識的に描写した以上、読者も当然意識的に文字を読みますから、それが鬱陶しく思われてしまう可能性もはらんでいます。どうすれば鬱陶しくならないか、ということは、まだまだこれから重松さんを読んで勉強させてもらおうと思います。
毎回のことですが、『青春夜明け前』の批評になってませんね……。ここで、このブログのスタンスを、管理人が本を読んで感じたことを書く、ということに決めておこうと思います。ですから内容に深く突っ込むこともあれば、今回のように本当に個人的に学んだことを、ただつらつらと書きなぐることもあるかと思います。いまさらですが、よろしくお願いします。
作品紹介
under 異界ノスタルジア
第十四回電撃小説大賞銀賞受賞作品。サイコミステリーと銘打って発売されました。バトルモノ、世界系、グロ系。
とりあえず文章が巧い。読みやすいという意味で巧いです。面白い言い回しとかもさらっと言ったりします。でもそれは全部シモネタ系。それは純粋に見習いたいと思う反面、でも使いすぎるとちょっと面倒くさいんだなぁなんてことも思いました。それ以外の言い回しとかもあったらいいのにと思います。シモネタってのはそれだけで面白いから、シモネタ系の言い回しが巧いからと言って、他ができるとは限らないのですけど。
私は普段バトルモノはあまり読みませんし、グロイのも苦手です。私がこれを買った理由は、サイコミステリーという謳い文句にひかれたのと、ジャケットがとてもきれいだったからです。結果をいえばミステリ的には面白くありませんでした。ですが、ラノベでミステリとなればこのくらいがちょうどいいのかなとも思います。世界観は、ありきたりではあるけど、ツボを押さえていて好きでしたし、戦闘シーンでは、世界観に文章力が相まって楽しく読めました。あとちょっと、というか結構グロいんですが、悪くなかったですね。少しよさが分かった気がします。
全体の構成は良くなかったです。短い単位で区切った章ごととかでみると、きちんと抑えるべきところを抑えていてすごく巧かったのに、というかむしろ章ごとに完結してしまっていて、次に期待が残らなかったです。後半の四分の一は読み始めるのも面倒くさかったです。まだ続くの?ってかんじでした。読んでみると、最後の章も面白かったのですが。やっぱりブツ切りになっている印象が強いです。
伏線は張られていて、もちろんそれは章を飛び越えて回収されるのですが、分かりにくい。分かりにくいし、伏線を張っているというよりも、作者が前に書いたところを拾って、結果それが伏線になっているという印象でした。最終章まで書いてから真犯人をカイトに決めたようなふうでした。だから唐突に感じるし、説得力もないし、理由をつけて説明されれば納得はするけど驚きとかは何もないです。そう言われたらそれまでみたいな。
一番悪かったのは、ストーリーのためにキャラが犠牲になっていることです。主人公の唯人が初めて探偵事務所を訪れたとき、秋月たちに異界の説明を受け、そこまでは因果があってここにきているのでまだいいですが、そこからいきなり実際の現場に連れて行かれます。初対面で、足手まといにしかならなくて、仕事には真剣な人たちなのでキャラ崩壊していて、一般人には極力知らせたくない事象です。さすがにここまでやるのだから後から何か理由が出てくるのだろうなと思いましたが、それもなし。これはちょっといただけません。ラノベとはいえ、これくらいはきちんとしていないとと思います。
……こうしてレビューを書いていると評価が低いような気がしますが、そんなことはないです。雰囲気は出ているし、ストーリーも分かりやすいし、文章も巧いです。エンターテイメントに徹した、電撃らしい面白さがあります。
次巻も読みます。期待です。実はもう買ってます。
作品紹介
月の砂漠をさばさばと
作者紹介
北村薫 /おーなり由子
児童文学、というよりは絵本に近いです。母子の微笑ましい日常を描いた話です。
北村薫の書き方が本当にうまい。お母さんは娘のさきに色んなことを話して聞かせるのですが、でも結局はお母さんのほうがさきの言動からいろんなことを感じとって、それは楽しかったり哀しかったりして、子どもをもつということはこういうことなのかなと考えさせられます。さきちゃんがとにかく本当にかわいい。これを読んだら自分も子どもが欲しいなって、そんなことも考えてしまいました(笑)優しくて一生懸命でそして少し変なお母さんが本当に良い味出してます。これはさきちゃんとうより、お母さんのほうがさきちゃんから学んで成長しているかんじです。でも結局、お母さんもさきちゃんやその友達と精神年齢が一緒なんでしょうね。
おーなり由子の絵も好きでした。話の内容と関係なしに見ても、それだけで思わず笑ってしまうようなふわふわしたかわいらしい絵です。絵本とかはほとんど読んだことがないのですが、この人の絵本は買ってみようかと思います。なんていうか、崩れた感じでふわふわした絵の輪郭と、このテキトーなかんじの表情がむちゃくちゃ好きだ(笑)

