未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―/菅谷 明子 | ※この現実はフィクションです。

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作品紹介
未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)/菅谷 明子
作者紹介
菅谷明子


 紙上だけのことであるから、実際には、アメリカにおいての図書館が、どれほど国民の生活に根ざしているのかはわからない。本書には、アメリカにおいての図書館に対し、ほとんど肯定的な意見しか書かれおらず、それが事実無根であるとは思わないが、信用性に欠ける。というのも、本書にはよく、実際の利用者の生声なども記載されているが、これらは図書館に対して肯定的な意見を述べた利用者のものだけを抽出しているのでは、という懸念がある。図書館に対しての意見を求めた利用者は、当然、ここに記載されているだけではないだろう。嘘ではないが、アメリカの図書館の長所だけを記載し、さらにそれを裏付けるのに適した意見を取捨選択して、記載している。そういう印象を受けた。

 しかし、私は必ずしも本書から受ける印象が、アメリカにおける図書館の実態そのものだとは思っていないが、日本のそれとは比べものにならないほど、国民の生活に根ざし、機能していることは疑いようがない。この本からは、私が、ひいては日本人の多くがもっているであろう「図書館」のイメージとはまったく異質のものであるという印象を受けた。実質的には、もはや別の機関としての働きをしている。日本の図書館がいかに脆弱で、日本人がいかに情報というものに対しての意識レベルが低いのか、ということがよくわかった。日本の図書館を、アメリカのように、地域民の生活と密接な関係を持たせるためには、まず日本人の情報(まずは特に図書)に対しての関心を高める必要がある。図書館を必要としてもらわなければならない。しかし、需要を高めるには、当然供給も充実させなければならず、いまの日本の図書館にそれが十分あるかといえば、ない。すべては机上の空論であり、それが実際に行われるには、何か大きなきっかけが必要なのだと思う。

 しかし、この現状は、アメリカと日本の文化レベルの差の、ある程度の要因になっているのだと推測できる。質の高いデータベースが広く無料で利用できたり、公共図書館を通じ、国がビジネスの奨励を行ったり、芸術の面においても、歴代の偉大な芸術家の草書を保存していることなどは、そのまま文化レベルに直結するものだと考えられる。”ビジュアルイメージ”の蓄積まで行われているという事実には、驚いた。芸術家の端末を摘ませてもらっている私にも、創作活動において、これがどれほど有益なことかはよくわかる。また、図書館は大衆文化にも寛容な態度をとっているのだというから驚きだ。こうした国単位での理解の違いが文化レベルの違いに繋がることがよくわかる事例だ。アーティストたちも、図書館に自身の資料がおかれることに意義を感じるようになってきた、というのは、非常にいい傾向だ。アーティストたちにとっては、それがステータスであり、売名行為であり、利用者にとっては貴重な資料であり、娯楽である。

 いまの日本には、そのような風潮はまったくないどころか、近頃は積極的に文化レベルを衰退させようとしているのではないかと思えるほどだ。極論になるが、まずこの日本自体の現状をどうになしなければならない。

 世には紙媒体の資料の衰退を案じている人が大勢いるがが、日本国民もアメリカ国民のように、インターネットと紙媒体での資料では、性質に差があることに気づき、きちんと理解して欲しい。もっとも、本書でもふれられているように、電子ブックの代頭や、もしくはさらなるインターネット技術の向上によっては、それはありえる。しかし、いくら技術が向上しても、それ以前に書かれた本は紙媒体であり、それらを電子ネットワークにのせるには相当な時間が必要とされるはずだ。だから私たちがいましなけばならないことは、アメリカの図書館を見本に体制を整え、国民に理解を求め、地域地域の生活に深く根ざした図書館体制をつくることだろう。

 最後に。1990年代半ばに急速に普及したインターネットを受けて、ニューヨーク図書館は、はじめから、インターネットの存在が図書館に取って代わるものだと考える態勢をとらなかった。むしろそれをどのように図書館の普及に役立てるかということを素早く考えた。ニューヨーク公共図書館がとったこの姿勢が、アメリカと日本の図書館体制の現状を象徴しているように思える。