(つづき)
★この記事の続き
ちなみに、ブログを書くにあたり、『竹取物語』を調べてみたら、平安時代の頃に書かれた物語で、作者は不明なのだそう。
子どもの頃に読んだきりで、細かな内容はすっかり忘れていましたが、改めてあらすじを読み返してみると、気になることが…
たとえば、かぐや姫が月の世界について「あの都の人は、とても清らかで美しく、老いることもない」と言っていることや、
「わずかばかりの間のつもりで、この世界にやって来た」「罪をつくったために地上に来た」ことなど。
一昨年、朝のまどろみの中で突然『竹取物語』が降ってきたときのことを思い出しました。
★そのときの記事
かぐや姫って、なぜ地球へやって来たのかな?
子どものいないおじいさん、おばあさんに大切に育てられながら、最後にはふたりを深く悲しませてしまって。
そう思った瞬間、浮かんだのは「カルマの清算」。
もしかすると。
かぐや姫は、かつて地球で体験した「感情」を清算するために、地上に降りてきたのではないかと。
以前、読んだ本の中に、似たようなことが書いてありました。
(オムネク・オネク『私はアセンションした惑星から来た』,徳間書店)
「たとえ進化した星に転生しても、過去世で背負った課題から逃げ出せるものではない」と。
この著者は進化した金星から地球へ転生してきた方です。
その理由として、こう語っています。
「地球においての前世でやり残していたことの仕上げをしなければならなかった」
「自分の背負ったカルマをここで暮らす人々との関係で解消する場合もあれば、過去世でつながりのあった人たちとのカルマを清算する場合もある」
進化した「月」の世界に生まれたかぐや姫も、同じ理由でやって来たのかもしれません。
そして、月における「わずかな間」は、地球の時間感覚では長い年月に相当するのでしょう。
高次の星では、地球とは時間の流れがまったく違う、というか、そもそも時間という概念がないようですから。
そう考えれば、浦島太郎が竜宮城で過ごしたわずか数日間のあと、地上に戻ったらあっという間におじいさんになったのも頷けます。
人生の中で生まれた「罪悪感」「自責の念」「後悔」などの負の感情は、たとえ転生しても持ち越され、やがては心の闇となってしまいます。
この世界はすべてエネルギーでできており、「共振・共鳴」の法則が働いているので、「心の闇」があると、そこからも無意識に負の周波数が発振されてしまいます。
それは、まるでテレビのリモコンでネガティブなチャンネルを選んでいるようなもの。
本人は気づかないうちにそのボタンを押していて、その結果としてモニターには嫌な出来事や人が現れてしまいます。
しかし多くの場合、自分がリモコンを操作していることに気づいていないため、発振を止めることができません。
その発振を止めるプロセスこそが「解放」なのです。
(つづく)
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