(つづき)
人が亡くなり肉体を失ったとき、いわゆる四十九日まではまだ人間界に近い次元に存在し、徐々にあの世へ帰っていく――そんなヴィジョンです。
ということは……
感情の「色」が抜けるのも同じように、死んですぐとは限らない。
感情の重みによって、抜けていくまでの時間に差があるのかもしれません。
例えば、誰かに対して強い罪悪感や自責の念を抱いている場合、「色」はなかなか抜けず、四十九日が過ぎても、まるで、なかなか消えないシミのように残っている可能性があります。
こうした状態のとき、霊能者のように異次元につながる能力を持つ人がそこをリーディングすると、「まだ色が抜けていないエネルギー=未浄化霊」という認識でとらえるのかもしれません。
ふと「だるまさんが転んだ」という遊びが、浮かびました。
オニが振り向く瞬間ごとに、人の立ち位置は変化しています。
見るたびに、人は違う場所にいて、
同じ場所から見ているのに、情報が異なります。
つまり、霊能者も、どの時点にアクセスしたかによって、見えるものが違ってきます。
もうひとつは、その情報をどう捉えるか。
この「捉え方」には、その人の持つ概念が影響します。
見える事象そのものは中立ですが、人はそれを自分の概念で色付けし、解釈して伝えるからです。
例えば、以前こんなことがありました。
Bさんの友人が、ある大きなお屋敷の前を車で通りかかったとき、屋敷の前に座っているおばあちゃんの姿を見たそうです。
それはすでに亡くなった、その屋敷に住んでいたおばあちゃんでした。
その友人は、かなり「視える」人でした。
おばあちゃんのことを「成仏できていなくてかわいそう」と思ったそうです。
さらに、別の「視える」知人Cさんも、同じくそのお屋敷の前でおばあちゃんを見て、「成仏できていない」と思ったそうです。
けれど、その話を聞いて、私が意識を向けると、おばあちゃんは「ここで過ごした日々は幸せだったな」と、懐かしんでいるように感じられました。
「亡きおばあちゃんのエネルギーを感じた」という中立の事象に対し、それを「成仏できていない霊」と捉えるのか、「懐かしんでいるだけ」と捉えるのか。
★2020年の記事
★2024年の記事
同じ事象を視ても、人の捉え方次第で解釈は異なるわけです。
ですから、まだ光へと辿り着く途中のエネルギーを「未浄化霊」とするのか、それとも単なるプロセスの途上と解釈するのか。
「未浄化霊」や「成仏できていない霊」とは、そういうことなのかなと思いました。
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