先日、2回連続で似たような出来事がありました。
まずは生徒Aさんの話です。
Aさんの家のエアコンが壊れ、翌朝一番で業者が修理に来ることになったそうです。
しかし、Aさんはその日用事で家を空けなければならなかったので、息子さんに対応をお願いしました。
ところが翌朝、外出先にいるAさんに同じ敷地に住む娘さんから連絡があり、業者が自宅のインターホンを押しても応答がないと言われたと。
急遽娘さんが対応してくれてエアコンは無事に修理できたのですが、Aさんは怒りが収まりません。
「あんなに頼んだのに」と息子さんにメールを送り、なんでちゃんと対応しないのかと責めたそうです。
さらに、これまでのことも腹が立ってきて、もう(母親として)何もしないからね!と。
ご主人が突然入院することになったり、家族のことでここのところバタバタと対応に追われていたAさんにとっては、
こんな大変なときに、なぜ協力しないの、家族なのに!という想いがあったそうです。
しかし、その後冷静になり、今度はそんなメールを送ったことに罪悪感を抱き、再び謝罪のメールを送ったのだとか。
息子さんは単に寝ていて、インターホンの音に気づかなかったそうです。
Aさんは普段からとても真面目で、責任感の強い方です。
もし逆の立場であれば、(この猛暑の最中)修理をしないと困るのだからと、責任をもって対応したことでしょう。
そのAさんの価値観・ものさしに照らし合わせると、息子さんの行動は許せないわけです。
私も以前はそういう性格だったので、よくわかります。笑
「信じられない、あんなに頼んだのに、息子、ひどいと思いませんか? 私だったら絶対に起きているようにする」と言うAさん。
私:でも、寝ていたものは仕方がないし、息子さんもわざとではないので、まずは感情を解放してください。
そう、私が講座で教えている「解放」って、まさにこういうとききに使うためのものです!
この話をシンプルに考えるとわかるのですが、
・エアコンが壊れた。
・息子に修理業者が来たら対応するように頼んだ。
・しかし、寝ていて対応しなかった。
私:で、どうしたの?
エアコン、修理できなかったの?
(この連日の猛暑の中、困るだろうな)
・同じ敷地に娘が住んでいて、対応してくれたから、大丈夫だった。
私:ああ、じゃあ修理できたのね、よかったね!
というだけの話なのです。
事なきを得たのですから、何も困った事態にはなっていないのです。
問題はAさんの「感情」が収まらないことです。
なぜ?
息子さんがAさんの「価値観」通りに行動しなかったからです。
Aさんの価値観は、
・引き受けたことには責任を持つべき
・家族が大変なときは協力するべき
です。
「普通は、頼まれたらちゃんとやるでしょう?」
「普通は、家族が大変なときなんだから、協力するでしょう? それが家族の絆でしょう?」
残念ながらAさんの「普通」と息子さんの「普通」はイコールではありません。
人間関係の悩みやストレスはほぼこれで発生しているように思います。
皆、相手を自分の価値観通りに動かしたいのです。
自分の価値観を基準にしているので、それが「正しい」「普通だ」と思っていて、相手もそれに合わせるべきだと思っているからです。
しかし、人の価値観はそれぞれなのです。
嗜好で考えるとよくわかるのですが、
たとえば食べ物なら
「なぜそんな辛いものが好きなの?」
「なぜそんな甘いものが好きなの?」
「私はコーヒーが好き」
「コーヒーなんて苦くて美味しいと思えない」
「私は服は原色が好き」
「原色なんていや、黒が好き」
本当に人はそれぞれで、その価値観を変えることはできません。
ですから、簡単なのは、Aさんの場合でいうと、
・引き受けたことには責任を持つべき
・家族が大変なときは協力するべき
というご自身の価値観(=思い込み)を手放すことです。
これが講座で教えている「解放」なのです。
Aさんは、息子さんが起きなかったという「事実」に対して、「怒り」という感情が発生しましたが、感情が発生するのがいけないわけではないのです。
人間ですから、発生するのは自然なことですが、それを引きずるか、解放してすぐにフラットに戻るか。
解放すれば自分の「価値観」に執着しなくなるので、人の言動がだんだん気にならなくなってきます。
私も何かにイラっときたり、「え? それおかしいでしょ?」と思ったときは、それをチャンスと捉えてすぐに解放します。
自分の中に「こうあるべき」というなんらかの価値観があるからこそイラっときたり、おかしいと思ったりしているわけですから。
実は、自分の中にある「~べき」は自分をも苦しめる材料になっています。
自分にも、
・引き受けたことには責任を持つべき
・家族が大変なときは協力するべき
と課してしまうからです。
「べき」が多い人ほど、自分をがんじがらめにするので生きづらくなります。
自分もそうあらねばならない。
そして、人にもそれを要求する。
さらに、「類は友を呼ぶ」ので、自分に対しても「べき」を要求する人が集まってくる。
逆に「いいよ、いいよ、寝過ごしちゃったんなら仕方ない、でもお姉ちゃんが対応してくれてよかったね」と思える人は、
仮に自分が逆の立場で失敗しても、「いいよ、いいよ」と言ってくれる人が周りに集まる。
この世界はすべて共振共鳴で成り立っていますから。
つまり「解放」することで自分の思い込みが減っていくと、人のこともあまり気にならなくなって、自身も生きやすくなっていくということです。
まさに良いこと尽くめ!
次はBさんの事例です。
(つづく)
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