(つづき)
でも、私は神様は信じているんですよね。
正確に言うなら「神様レベルのエネルギー」の存在は、信じている。
ただ、それは自分と「分離」された存在ではなくて、ワンネスという見地で捉えたなら、自分もまたその一部なんだろうと思います。
神社仏閣って、土地の波動が高いところに作られてるでしょ?
あれは人間のために「この場所においで」って用意されている場所という気がします。
★以前、そのことについて書いた記事
神的なエネルギーに対しての感謝っていうのはすごくあって、今もこんなに楽しい仕事をやらせてくれてありがとうって思っているし。
でもなんかね、人間界で神社を作って、ここに神様がいるからお願いしなさいとか、手を合わせなさいとかっていう、それはちょっとまた形骸化されていて違う感じがするから、あんまり興味がないのかも。
どちらかというと、アニミズムとか、ほら、アイヌの人たちもそうだけど、森にも動物にも全てのものに命があるって崇め奉り、共存していくっていう考え? あれがやっぱり原点だと思っているの。
人間が「足るを知る」っていうかね、必要なものだけをくださいっていう姿勢で自然界と共存してうまく生きていけばいいのに、資源をすべて取り尽くしてお金儲けしようとかね、そんなふうになっていっちゃうじゃないですか
10年位まえに見せられたヴィジョンがあって。
あるところにリンゴのような実のなる木が1本あるんです。
人々は毎日のんびり暮らしている。
お腹が空いたらその実を食べる。
食べても、食べても、それを補充するかのようにいつの間にか実がなるから、実が無くなることはない。
あの木の実がいつかなくなったらどうしようなんて考える人もいない。
ところがある日…。
誰かがこう考える。
食べたい人は、わざわざここへ来ないといけない。
お年寄りや足の弱い人が来るのは大変だ。
それに、高い枝になっている実には手が届かない。
それなら代わりに実をとって、保存しておいてあげればいいんじゃないか。
なんなら、持って行ってあげれば助かる人もいるんじゃないかって。
そうすると、実を取るための労働力が必要になる。
腐らないように保管しておくための設備も必要。
食べたい人のところまで届けるための容器や運び人も必要。
ということは、タダというわけにはいかない。
じゃあ、値段を付けよう……
人間界ではそう考える人が必ず出てくるようです。
その方が便利だから。
その方が合理的だからって。
ある意味、今までのように、食べたい人が食べたいときに食べられていたときと比べると、不自由になっていくわけですよね。
でも、「上」は、「経験は必要。経験しないと何もわからないからね」って。
レジ袋にしたって、そうですよね。
昔のようにお買い物カゴを持たなくても、お店でレジ袋をもらえて便利になったけど、その結果、環境問題が浮上してマイバッグを持ちましょうってことになって。
そうやって人間は経験を通して進化していくんだよって。
じゃ、書き換えますね。
…ああ、そういうことか、ありがとうございます。
今教えてくれたんですけど、私がいつも「すべての答えは潜在意識の中にあるから、潜在意識に聞けばいい」って言ってるでしょう?
その潜在意識の中には神様というエネルギーも含まれているわけです。
だから、引っ越ししたら氏神様にお参りに行くとか、今の時代、人々はそういう感謝を忘れがちだから気をつけてねって。
そう教えてくれたんです。
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