(つづき)
絵に描いた餅。
そのとおりです。
そもそも過去世は存在しない。
というか、「過去」は存在しない。
私たちは3次元の世界にいるので、「時間」が存在し、「過去ー現在ー未来」があるように思っていますが、高次元(仮に)5次元には時空間が存在していません。
しかも、3次元と5次元に境界線があって全く別の世界になっているのではなく、重なっているのです。
子供のころ、科学雑誌の付録に付いていた、3Dメガネを思い出しました。
このように赤と青で描かれた世界が重なっていても、
赤のレンズからは青い世界だけが見え、
青いレンズからは赤い世界だけが見えます。
この世界もさまざまな次元が重なっていますが、私たちの肉眼では3次元の世界しか見ることができません。
過去世の書き換えは5次元(に意識を合わせて)行っていますが、そこは時間の概念が存在しない世界なので、「過去世」は存在しないのです。
「書き換えなさい」と言われたときは、「書き換え」の原理がわかりませんでした。
過去世退行で「最初に視たストーリー」が真実で、「書き換えたストーリー」は作り話かと思ったのです。
ところが、ガイドは「どちらも真実」と言うのです。
最初は、人生の選択肢がいくつもあって、例えばある分岐点でAとBがあり、Aを選択する場合、Bを選択する場合がある。
そしてAの先にも分岐点、Bの先にも分岐点……と続いているので、人生に幾通りものストーリーが存在し、それらの内のふたつをピックアップして視ているのかなと思っていました。
たとえば、暗い書庫にもともと本がたくさんあって、最初に懐中電灯で照らした際にはたまたま「赤本」が見えて、
次に懐中電灯で照らした際にはたまたま「黄本」が見えた。
そんなふうに異なるものを視ているのかなと。
しかし、ガイドは、
「違う、あなたが視た瞬間に本が現われている」と。
その後、量子学に出会い、ようやくしくみが分かりました。
つまり、こういうことらしいのです。
私がA(=赤本)を視た(=意識した)瞬間に「A」が生まれ、
B(=黄本)を視た)瞬間に「B」が生まれる。
このとき、「A」は存在していない。
再び「A」を視たときには、さもさっきと同じ「A」を視ているかのように錯覚しているけれども、実際にはその瞬間に生まれた「A’」を視ている。
このとき、「B」は存在していない。
このようにすべてのものは「視た瞬間、瞬間」に生まれている。
まるで泡ぶくのように。
ですから、過去世(と思っている)「最初に見たストーリー」も、「書き換えた後のストーリー」も、どちらも真実ということになるのです。
さらに言えば、視た瞬間に次々と生まれるのですから、ストーリーは無限にあることになります。
というわけで、「書き換え」という表現を使ってはいますが、実際は書き換えておらず、ただ別々のストーリーを視ているにすぎず、そもそも「上書き」されること自体、あり得ないのです。
(つづく)
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