さて、4月22日はYukoさんの最終講座でした。
本来は3月の時点で終了していたのですが、いつも一緒に受講していたナオさんともう一度会いたいということで、いらっしゃったのです。
そして、思いもよらぬ展開に愕然とすることになります。笑
この日は卒業生のMさんもいらっしゃっていました。
例の、ガイドがジェスチャーで対話をする方です。
Mさんがいらっしゃる日は、必ず大きな解放が起きます。
というか、それを行わせるためにいらしているようなのですが・・・。
で、この日もYukoさんに「解放すべきものがある」と教えてくれました。
私がリーディングします。
(Mさんのガイドは誰がリーディングを行うかまで指示してくるのです! 笑)
私:あれ? インナーチャイルドかな? 小さい女の子が出てきた。
トンネルの中ですごく不安に思っている。そのトンネルは宇宙から人間界に来るトンネルみたい。
私:女の子のすぐ後ろから化け物のような、人間の顔ではない生き物がついてきてる。
Yukoさんを追いかけてきているというよりは、トンネルが一方通行なので後ろからひたひたと歩いてくる感じ。
Mさん: Yukoさんとつながっている感じがします。「受け入れる」と言う言葉が来ました。これを受け入れられればよいのでしょうか。
私:Yukoさんは、この存在を恐れている。
これの正体を知る必要があるの?
Mさんのガイド:はい
Yuko:それは私が自分で作っている恐れなの?
ガイド:いいえ
私::Yukoさんはこちらの世界に来て40数年になるけど、その存在はもう受け入れたの?
ガイド:いいえ
Yuko:それは自分のエゴ的なもの?
ガイド:いいえ
Yuko:何らかのおそれ?
ガイド:はい
私:何に対する恐れだろうね?
Yukoさんがこれからやっていく(スピ的な)ことでぶつかる壁かしら?
Yuko:そういう意味で言ったら、自分に限界を感じるとか?
やっていく中で宇宙に対する信頼とか、その壁にぶつかることかなと思ったんだけど。
ガイド:はい
Yuko:さっきインナーチャイルドの話の中で、「自分を愛することが必要」って言ってたじゃない? 「解放」って、必ずしも「書き換え」なくてもインナーチャイルドを癒やすことでもできるよねって。
でも、それを行うセラピスト側がまず自分を信じていないとできないし、自分の力を疑ったりしたらそこで終わりというか。
私:自分を好きになるとか自分を愛することとかを教えるのって、前提として自分が自分を好きで、自分を愛していないとできないっていう話をしたよね。そこの限界っていうこと?
Yuko:私が私を愛していないとできないとか、自分を愛している範囲内でないとできないじゃない? とか、そこ?
ガイド:いいえ
そのとき、Mさんが・・・。
Mさん:なんかちょっと気になったのは、Yukoさん、「解放」って言う言葉をあまり受け入れないじゃないですか? そこが大きな問題のような気がします。
私:ああ、そうそう。
Yukoさんは以前、講座中、私にこう言ったのです。
「解放を人に勧めようと思わないし、自分でやろうとも思わない」って。
もう数ヶ月も前の話です。
そのときは「へえ!」と聞いていたのですが、時間が経つにつれ、じわじわと悲しくなってきました。
なにしろ、35年近く啓発本なども読みあさって、「ポジティブになる」「プラス思考になる」ことで人は楽になれるという理屈は理解できても、その方法論がどうしてもわからなかった私が、ようやく辿り着いたツールです。
自分の人生が変わり、めちゃくちゃ楽しくなって、それを嬉々としてみんなに教えているのに、「やろうと思わない」って・・・。
しかも、講座を受けに来ていながらそう言ったのですから。
お料理教室で習った料理を、目の前の先生に向かって、
「私、このお料理、自分で作ろうとは思わないわ」って言うようなもの。
教える側としては、自分のやっていることを否定されたような気持ちになります。
別にどう思ってもかまわないのですが、私に面と向かって言う必要はなくない?って。
でもまあ、彼女とは恋愛や仕事の相談も受け、動画も一緒に作り、けっこう密に関わっていたし、楽しかったので、傷ついた気持ちは「解放」し、忘れていたのです。
だから、ここで突然Mさんが言ったことに驚いたのですが・・・。
Yuko:実は「解放」っていうのが今でも引っかかってるんですよ。
私:卒業を迎えた今でも?
あ・・・! ねえ、それって、私がやっている「感情を書き換える」とか、そういうことではなくて、「解放」っていう言葉そのものに何かがあるのかな?
だから、さっきみたいに言葉を変えて「自分を愛せるようにしようね」みたいなのだったら受け入れるけど、解放という言葉を使うと、引っかかっちゃうってこと?
もしかして、過去に「解放」に関わる何かがあったとか?
ガイド:はい(手をひらひらさせて、大当たり! といわんばかりのジェスチャー)
私:Yukoさんが昔、何らかの解放をやったのね? そこで受け入れられないようなことが起きたの?
ガイド:はい
私:そうか! だから「解放」をやりたくないんだ。(衝撃~)
Yuko:マサコさんの話を聞いていて、確かに解放は大事だなとわかるんですよ。
自分でもやってみて効果はそれなりに出るし。
でも、すごくやりたくない自分がいて、だから気持ちで止めてしまうからそれ以上見えなくなる。
ゆっくり時間をかけてみるとかも、逆なでされてできない。
やったらもっと楽になるのかもしれないと思うし、実際周りの人が解放して楽になるのを見ていると、効果があるのもわかるんだけど。
そのとき、突然Mさんが、はっとした顔で、
Mさん:ナオさんと何かあります?
私:あっ、そうか、だから今日最後にナオさんと会いたいって言ったのか!
Mさん:前回の講座(3/24)のときに、 Yukoさんとナオさんの間の解放があるけど、それは次回って言ってましたよね?
それがこれなのでは?
私:(忘れてた!)
ナオさんに対して何かがあったの?
ガイド:はい
Yuko:だから、自分から「今日来たい」と言っておきながら、何回かキャンセルしたい気持ちが出てきたんですね。結局来たけど。
私:ああ、それ、よくあります。5次元レベルではもう「解放」したいと思っているのに、そのためにはいったん当時の気持ちに向き合わなくちゃいけないから、それがこわいんですよね。
何をやったのかなあ…なんだろう?
ナオさんを助けたかったけど、助けられなかったのかな?
ガイドの手は動きません。
このガイドさん、かなり厳格で、ちょっとでも言葉のニュアンスが違うと、反応してくれないのです。笑
私:きっと「助ける」という言葉が違うのね。
でも何かうまくいってないんですよね・・・。
ナオさんに対してやったことがうまくいっていない…それが心残り。
Mさん:解放でうまくいかないって、なんですかね?
私:そうですよね・・・。
Yukoさんがどういう解放の仕方をしていたかわからないけど、今の私たちみたいに「感情Aを視て、感情Bを視て、入れ替えて」ではないだろうから。
何かをやったんだね・・・。
あ、そうだ!
Yukoさん、「解放」という言葉を聞くと、どんな印象を受けますか?
Yuko:束縛されていたものがあるとか、そういうこと。解放って聞くと胃が痛くなる
私:じゃあ、「手放す」とかだったら? 執着を手放すとか?
Yuko:それはそんなに抵抗がない
私:解放…解放。あ、心の解放とかではなくて、ほら、よく「奴隷解放」とかでも、「解放」って使うじゃない? もしかして、そっちの解放?
ガイド:はい
私:やっぱりですよね!(ビンゴ!)
Yuko:解放って聞くと、不自由とか、縛られたとか、そっちがすごいくる。自由な感じがしないんですよね
私:海外のフリー素材サイトで「解放」って検索すると、手錠で縛られたり、牢獄に入れられたりとか、そういう画像が出てくるんだよね。笑
そういう感覚ですよね。
なんか、ナオさんに対して奴隷解放じゃないけど、何かそういう意味合いの解放があったの?
ガイド:はい
Yuko:それで失敗したとか?
私:ナオさんを救出しようとして失敗した?
ガイド:いいえ
ナオ:束縛する人と奴隷がいるとしたら、自分が奴隷側だった気がします。
私::Yukoさんがナオさんを束縛していた?
ガイド:いいえ
Yuko:解放するよと言っておきながら束縛した?
ガイド:いいえ
私:なんだろう・・・?
Yuko:たとえば小鳥を自由にさせてあげようと鳥かごから出したら、出した途端にバン!と撃たれたみたいな?
そういう、解放したのに逆にそれが命を奪ったとか。
鳥かごから逃してあげようと出したのに、出したことで殺されちゃったみたいな、撃たれちゃったとか・・。
私:今それを聞いたらお城の塔に幽閉されているナオさんが視えた。Yukoさんは救出したつもりだったのに、そこから出したことで多分殺されちゃった?
ガイド:はい
私:だから、「解放」することに抵抗がある?
解放は命を失うことだから。
ガイド:はい
私:ああ、これだわ!
ナオさんが(過去世で)どこかのお城のお姫様みたいな立場で。
敵が攻めてきて王様は殺されたけど、お姫様は捕われて、塔に幽閉されたの。
側近だったYukoさんはその姫を不憫に想い、解放しなきゃと思った。
でも解放したことで、敵に命を狙われ、殺されてしまった。
たとえ幽閉されていても、そのままにしておけば命は取られなかったのに、その安全圏から出してしまったことで、命を奪われちゃった。
その罪悪感が残っているのね?
ガイド:はい
私:解放しなければ死なずに済んだ。
だから、「解放」という言葉に引っかかるのね?
ガイド:はい
中間世へ進みます。
私:中間世(=あの世)でナオさんの気持ちを感じてみると、こんなふうに言ってます。
「もしあの塔にあのままいたとしても、自分は暗い部屋の中で外の光も見ずに、いずれ死んでいっただろう。
だから、ほんの束の間であったとしても、もう一度自由になり、外の光を見られた事は幸せだった」って、彼女は、そう言っている。
でも、Yukoさんは彼女の人生そのものを救出したいと思っていたから、彼女が命を落としてしまったことですごく自分を責めたの。
ナオさんは「それを別の観点から見ると、あの幽閉されたままで暗く、外の光も見ないままで自分の人生が終わったとしたら、どんなに不幸せだっただろう」って。
ナオさんが思う幸せと、Yukoさんが思う幸せは違っているんですよね。
「だから、起こるべくして起こったことだし、あなたの判断は合っていたんだよ、本当にありがとう。その気持ちを受け止めてほしい」って。
何よりも危険も顧みず彼女を救出しようとしてくれたことに愛を感じて、それが一番幸せだったと言っている。
なぜなら敵に翻る人もいっぱいいたわけですよ。降伏しちゃって、敵につく人もいた。
その中でも自分を救いに来てくれたことに対してありがとうって感謝している。
でも、そのことでYukoさんが自責の念を持つことになってしまったから、ああ・・・。今回はナオさんがYukoさんの罪悪感を解放してあげたかったんだね。
「私は幸せだったんだよ」って、「ありがとうね、だから自分を許してね」って。
Yuko、ナオ:( 2人涙)
私:では、書き換えを視に行きますね。
(潜在意識がヴィジョンを出してくるのを待つ)
書き換えはすごくファンタジック。
さっきは幽閉されている塔から出たら、「逃げたぞ!」って敵が探しにきてやられたんだけど、今度は塔から出た瞬間、体中にたくさんの風船みたいなのが紐で結ばれていて、ふわ~って空に浮かんでいくんです。
風船というよりは、全部白い鳥ですね。
みんなが、なんだなんだって驚いている間に空高く上がっていってしまって、Yukoさんも呆然として見ている
彼女は「ありがとう」って言いながらどこかへ消えてしまった。
その瞬間、MさんのガイドがOKの合図をしてくれました。
私:次元が違うところへ行ったのか、別の土地に飛び降りちゃったのかわからないけど、もう追いかけることもできない。
とりあえず、こちらのストーリーに書き換えますね。
書き換え後、その先のヴィジョンが視えました。
私:わ~! おもしろ~い!
これすごく面白いんですけど、どこに行ったかわからないんですけど、白い鳥にぶら下がって飛んでいったじゃないですか、それが最後に彼女も含めて1つの白い玉になって、またどこかの誰かのおなかに宿って転生してきてるんですよ。
死んだわけではないのに。そんなふうになっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
書き換えは無事終了です。
数ヶ月前、Yukoさんがあえて「解放はやりたくない」と言葉に出すことで、この日にそれを解放することになっていたのでしょう。
(当時の)ナオさんはYukoさんに「もう自分を許してね」って。
「私は幸せだったんだ」って。
「それをどうしてもどうしても伝えたかった」のです。
いつも不思議に思うのですが、生徒さんは「自分が受けようと思ったタイミング」で受講を始めたと思っているのですが、実は「どのタイミング」で「誰と出会う」かをちゃんと決めてきているのです。
Yukoさんは昨年4月、ナオさんは6月から受講されて、最初はマンツーマンでしたが、途中からおふたりで一緒に受講するようになったのです。
ちゃんとシナリオが介在しているんですね~
さて。
私:これと、最初に出てきたトンネルとどう関係あるんだろう?
ナオ:あれは今の過去世とは違うのかなという気がします。
私:え? じゃあ、2つあったの?
今視ていたのは、トンネルとのは別の過去世を見ていたの?
ガイド:はい
私:あのトンネルのは、まだ視る必要があるってこと? 笑
ガイド:はい
私:そうなんだ~! 笑
じゃあ、次に行かなくちゃ!
(つづく)
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