(つづき)
ガイドが教えてくれたのは、以下のようなことです。
地球での過去世を持っていない人もいること、
地球には、さまざまな最先端の知識や技術をもたらすためにほかの星からやって来る人たちがいるが、地球人としての肉体が必要なため、一時的に「肉体」を借りることがあること、
その場合、貸してくれた人の過去世が影響してくるので、それらの解放も必要になること、
ほかの星から来ていても、地球以外の星で「人間」として転生した経験があれば、そのときの「解放」も必要になること、
肉体を持っったときは罪悪感等の感情が残るけれども、エネルギー体のまま行った言動に対してはそういった感情が残らないこと等々。
Mさんの解放で出てくる過去世の舞台は地球ではなく、ほとんどが宇宙で、あまりのスケールの大きさに、「これ、いつか本にしたら面白そう」なんて思っていたのですが、どうやら最初からこのプロセスを本にすることがシナリオに組み込まれていたようなのです。
つまり、Mさんの解放に関わることは、(私にとっては)「取材」だったわけです。
普通なら取材旅行に行くところを、Mさんの方からせっせと持ち込んで下さったことになります。笑
若い頃、『ガリバー旅行記』だったか、記憶はさだかではないのですが、ある有名な作家がストーリーを自分で考えたのではなく、毎晩夢の中にコビトたちが現われて語ってくれた、それを目が覚めてから書いていたという話を何かで読んだことがあります。
それ、いいな!
私もそれがいい!
夢の中にコビトが出てきて、面白い話を聞かせてくれないかな、なんて思ったこともありました。
まさにそれが現実になっています。笑
しかも創作ではなく、実話です。
なんて面白い!
1月に解放をスタートしたとき、「8」という数字が浮かんできました。
きっと8月ぐらいには、目に見える形で現実が変わっているのだろうと思ったとおり、本当に8月には主要な解放が終わりました。
ガイドも「これで終わり」と言ってくれたし、Mさんも私も直感で「終わった」という感覚がありました。
私:私のできることは終わったので、ここからはご自分たちで解放を進めて下さい。
たとえていうなら、ゆで卵の殻を割り、白身の部分までは解放を終えました。黄身の部分が、20年もの間苦しむことになった「心の闇」の核心といえるものです。
私:その領域に、私は踏み込むことができません。
ご主人自らが、「過去に何があったかを視て」、納得して、解放する必要があります。解放がすべて終わって、最後に「自分を愛する」ことがゴールです。
これまでのように、私やMさんが一方的にやってもダメなのです。ここからは他力でなく、自力で。
この時点では、私の役目はここまでだと思っていましたから、まさかこの後も伴走することになるとは思ってもみませんでした。
なにしろ、ガイドからはMさんとの「接見禁止例」が出ていたほどなのです。笑
これも今になって考えると、ご主人がある一定のところまでは自力で辿り着く必要があったからなのです。
自分の知らないところで誰かが「解放」してくれる、それにより自分は楽になるかもと依存していたのでは、本人の「気づき」が全くありません。
ケースにもよりますが、今回の場合はご主人にさまざまな「気づき」が必要だったのです。
さて、10月21日に再会してからというもの、「解放」に拍車がかかり、前述したように、Mさんと頻繁に連絡を取るようになりました。
Mさん一家の解放ストーリーは、いよいよ佳境にさしかかってきたようです。
5年ぶりの「コウモリ男」さんの突然の来訪などもあり、完結に向けて盛り上がりを見せてきました。
そのときの記事
この解放ストーリーは年内に完結する、この1年間の歩みを本にしなさいと「上」から言われたのもこのころです。(解放の内容については、ブログに書いてきませんでした)
実は、解放の根底に横たわっているテーマこそが「光と闇」だったのです。
それならば、Mさんのガイドに直接答えを聞いてみようと思いました。
ここまで解き明かしてきたのだから、もう教えてくれるかもしれないと。
それは、12月8日のことです。
MさんとZOOMで話しました。
私:人を見たときに目の奥から光を感じる人と、目の奥が真っ暗に感じる人がいるけど、これはその人が持つ周波数の明度の差なの?
ガイド:いいえ
私:その人の心が曇っている、つまり心に闇があると目の奥が暗くなるの?
ガイド:はい
私:では、別に明度が低いから目の奥が暗く感じるとか、明度が高いから目の奥から光を感じるというわけではないのですね?
ガイド:はい
私:明度は関係なく、その人が曇りなく自分の光を放っている限りは、明るく感じるという事ですね?
ガイド:はい
私:今、お月様が浮かんだわ。
満月のときは煌々と光を放っているけれども、罪悪感など負の感情があると、その光に陰りができる。そして、三日月になったり半月になったりするので光が暗くなってしまう。
ガイド:はい
私:つまり、どんな人も「心の曇りがなければ最大に光っている」という事ですね?
ガイド:はい
私:だとすると、Yさんが「マサコさんの前でだけうまくリーディングができない」と言っていたのは……、「周波数の明度の差ではない」のだから、どう考えればいいのかな?
ええっと……、あ、そうか、私が「明度」を懐中電灯のワット数にたとえたからおかしくなったのね?
ワット数だと「数字での比較」になってしまう。
ワット数が20だと明度が低い、ワット数が70だと明度が高いという表現を使うと、「優劣がある」ような印象を受けてしまう。
「明度が低いと、明度の高い人をリーディングできない」みたいな。
だから、この話になると、なんだかもやもやしてしまう。
Mさん:単に「周波数が違うから」という説明にしたらどうかしら?
ガイド:いいえ
Mさん:ダメなのね。
私:あ、待って。それでいいんじゃない?
「周波数が違うから」だけでは説明が足りないから、ガイドさんは「いいえ」と言ったけど、原理はそれで合ってるんだわ。
「懐中電灯の光の明るさ」にたとえず、「色」で考えればわかりやすいかも。黄色の人は赤や青の人の過去世を見るのは難しい。そもそも周波数が違うから、ということよね?
ガイド:はい
(ガイドに質問しているわけではなく、私とMさんが話しているだけなのに、ガイドがセンサーのように反応するのが面白い)
私:虹の色でわかるように、光には周波数がある。青と赤では周波数が違う。そういう表現ならわかりやすい?
ガイド:はい
私:同じ(色の)周波数だと、リーディングしやすい。
私:逆に違う(色の)周波数だと、リーディングが難しい。
私:それだけのことね?
ガイド:はい
私:なるほど!
いつも思うのですが、さんざん考えた挙げ句に辿り着いた答えって、「言われてみればそんなの、当たり前だよね?」ということが多いようです。
普通に考えれば簡単にわかることなのに、何をそんなに難しくこねくり回していたんだろう? って。笑
私:あ、新たな疑問!(が浮かびました)
(つづく)
姉妹版ブログ
『聖なる樹のヒプノセラピー物語』も読んでね!