白隠禅師坐禅和讃
衆生(しゅじょう)本来(ほんらい)仏(ほとけ)なり
水(みず)と氷(こおり)の如(ごと)くにて
水(みず)を離(はな)れて氷(こおり)なく
衆生(しゅじょう)の外(ほか)に仏(ほとけ)なし
衆生(しゅじょう)近(ちか)きを知(し)らずして
遠(とお)く求(もと)むるはかなさよ
譬(たと)えば水の中に居(い)て
渇(かつ)を叫(さけ)ぶが如(ごと)くなり
長者(ちょうじゃ)の家(いえ)の子(こ)となりて
貧里(ひんり)に迷(まよ)うに異(こと)ならず
六趣輪廻(ろくしゅりんね)の因縁(いんねん)は
己(おのれ)が愚痴(ぐち)の闇路(やみじ)なり
闇路(やみじ)に闇路(やみじ)を踏(ふ)み添(そ)えて
いつか生死(しょうじ)を離(はな)るべき
夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禅定(ぜんじょう)は
称歎(しょうたん)するに余(あま)りあり
布施(ふせ)や持戒(じかい)の諸波羅密(しょはらみつ)
念仏(ねんぶつ)懺悔(ざんげ)修行等(しゅぎょうとう)
其品(そのしな)多(おお)き諸善行(しょぜんぎょう)
皆(みな)この中(うち)に帰(き)するなり
一座(いちざ)の功(こう)をなす人(ひと)も
積(つ)みし無量(むりょう)の罪(つみ)ほろぶ
悪趣(あくしゅ)いずくに有(あ)りぬべき
浄土(じょうど)即(すなわ)ち遠(とう)からず
辱(かたじけ)なくも此(こ)の法(のり)を
一(ひと)たび耳(みみ)にふるる時(とき)
讃歎随喜(さんたんずいき)する人(ひと)は
福(ふく)を得(う)ること限(かぎ)りなし
いわんや自(みずか)ら回向(えこう)して
直(じき)に自性(じしょう)を證(しょう)すれば
自性(じしょう)即(すなわ)ち無性(むしょう)にて
すでに戯論(けろん)を離(はな)れたり
因果一如(いんがいちにょ)の門(もん)ひらけ
無二無三(むにむさん)の道(みち)直(なお)し
無相(むそう)の相(そう)を相(そう)として
行(ゆ)くも帰(かえ)るも余所(よそ)ならず
無念(むねん)の念(ねん)を念(ねん)として
うたうも舞(まう)うも法(のり)の声(こえ)
三昧無礙(ざんまいむげ)の空(そら)ひろく
四智円明(しちえんみょう)の月(つき)さえん
此(こ)の時(とき)何(なに)をか求(もと)むべき
寂滅現前(じゃくめつげんぜん)する故(ゆえ)に
当処(とうしょ)即(すなわ)ち蓮華国(れんげこく)
此(こ)の身(み)即(すなわ)ち仏(ほとけ)なり

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水(みず)と氷(こおり)の如(ごと)くにて
水(みず)を離(はな)れて氷(こおり)なく
衆生(しゅじょう)の外(ほか)に仏(ほとけ)なし
衆生(しゅじょう)近(ちか)きを知(し)らずして
遠(とお)く求(もと)むるはかなさよ
譬(たと)えば水の中に居(い)て
渇(かつ)を叫(さけ)ぶが如(ごと)くなり
長者(ちょうじゃ)の家(いえ)の子(こ)となりて
貧里(ひんり)に迷(まよ)うに異(こと)ならず
六趣輪廻(ろくしゅりんね)の因縁(いんねん)は
己(おのれ)が愚痴(ぐち)の闇路(やみじ)なり
闇路(やみじ)に闇路(やみじ)を踏(ふ)み添(そ)えて
いつか生死(しょうじ)を離(はな)るべき
夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禅定(ぜんじょう)は
称歎(しょうたん)するに余(あま)りあり
布施(ふせ)や持戒(じかい)の諸波羅密(しょはらみつ)
念仏(ねんぶつ)懺悔(ざんげ)修行等(しゅぎょうとう)
其品(そのしな)多(おお)き諸善行(しょぜんぎょう)
皆(みな)この中(うち)に帰(き)するなり
一座(いちざ)の功(こう)をなす人(ひと)も
積(つ)みし無量(むりょう)の罪(つみ)ほろぶ
悪趣(あくしゅ)いずくに有(あ)りぬべき
浄土(じょうど)即(すなわ)ち遠(とう)からず
辱(かたじけ)なくも此(こ)の法(のり)を
一(ひと)たび耳(みみ)にふるる時(とき)
讃歎随喜(さんたんずいき)する人(ひと)は
福(ふく)を得(う)ること限(かぎ)りなし
いわんや自(みずか)ら回向(えこう)して
直(じき)に自性(じしょう)を證(しょう)すれば
自性(じしょう)即(すなわ)ち無性(むしょう)にて
すでに戯論(けろん)を離(はな)れたり
因果一如(いんがいちにょ)の門(もん)ひらけ
無二無三(むにむさん)の道(みち)直(なお)し
無相(むそう)の相(そう)を相(そう)として
行(ゆ)くも帰(かえ)るも余所(よそ)ならず
無念(むねん)の念(ねん)を念(ねん)として
うたうも舞(まう)うも法(のり)の声(こえ)
三昧無礙(ざんまいむげ)の空(そら)ひろく
四智円明(しちえんみょう)の月(つき)さえん
此(こ)の時(とき)何(なに)をか求(もと)むべき
寂滅現前(じゃくめつげんぜん)する故(ゆえ)に
当処(とうしょ)即(すなわ)ち蓮華国(れんげこく)
此(こ)の身(み)即(すなわ)ち仏(ほとけ)なり
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観世音菩薩普門品 第二十五偈
引用 やさしい現代語の『観音経』
http://homepage3.nifty.com/chances/kannon/kannongyou.htm
グーグル先生に導かれた上記URLに書かれていた現代語訳と漢文のオリジナルを対照させてみた自分用メモ
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈
世尊妙相具 せーそんみょうそうぐ
美しいお姿のお釈迦さま。
我今重問彼 がーこんじゅもんぴ
私は今一度お尋ねいたします。
佛子何因縁 ぶつしがーいんねん
あの菩薩はどうして、
名為観世音 みょうい かんぜおん
観世音と名づけられているのですか。
具足妙相尊 ぐーそくみょうそうそん
美しいお姿のお釈迦さまは、
偈答無尽意 げーとうむーじんに
歌の形で次のように無尽意菩薩にお答えになりました。
汝聴観音行 にょ-ちょうかんのんぎょう
それはねえ、観世音菩薩の働きは、
善応諸方所 ぜん のうしょ-ほうしょ-
いつ・どこへでも行って人々を救うことです。
弘誓深如海 ぐーぜいじんにょかい
その救済の願いは海のように深く、
歴劫不思議 りゃつこうふーしーぎ
人の頭でどれ程考えても思い及びません。
侍多千億佛 じーたーせんのくぶつ
無数の仏たちに仕えて、
発大清浄願 ほつ だいしょうじょうがん
すばらしい清浄な願いを立てたのです。
我為汝略説 がーいーにょーりゃくせつ
今私は、あなたにそのあらましを説明しましょう。
聞名及見身 もんみょうぎゅけんしん
(観世音菩薩の)名を聞き、その姿を見て、
心念不空過 しんねんふーくうか
心にしっかりと刻んで忘れないならば、
能滅諸有苦 のう めつしょーうーく
人々のあらゆる苦しみは無くなるでしょう。
【十二難からの救済 】
(1)
仮使興害意 けーしーこうがいい
もし、悪意のある者がいて、
推落大火坑 すいらくだいかきょう
誰かを燃えさかる大きな火の穴に突き落としても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
火坑変成池 かーきょうへんじょうち
火の穴はたちまち池に変わるでしょう。
(2)
或漂流巨海 わくひょうるこーかい
あるいは、大海原を漂流して、
龍魚諸鬼難 りゅうぎょしょきーなん
竜や怪魚や鬼などの様々な怪物が襲って来ても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
波浪不能没 はーろうふーのうもつ
荒波に呑まれて海中に沈むことはないでしょう。
(3)
或在須弥峯 わくざいしゅみーぶ
あるいは、須弥山という高峰の頂きから、
為人所推堕 いーにんしょーすいだー
誰かに突き落とされたとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
如日虚空住 にょ にちこーくうじゅう
空の太陽のように空中に浮かぶことができるでしょう。
(4)
或被悪人逐 わくひーあくにんちく
あるいは、悪人どもに追われて、
堕落金剛山 だーらくこんごうせん
金剛山という高峰の頂きから転落したとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
不能損一毛 ふのう そんいちもう
一本の髪の毛さえ傷つかないでしょう。
(5)
或値怨賊繞 わくちーおんぞくにょう
あるいは、怨みを抱いた敵の集団に囲まれ、
各執刀加害 かくしゅーとうかがい
皆が刀を手にして殺そうとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
咸即起慈心 げん そくきーじしん
彼らは殺す気をなくし、優しい慈悲の心を起こすでしょう。
(6)
或遭王難苦 わくそうおうなんく
あるいは、権力者の圧政にあって、
臨刑欲寿終 りんぎょうよくじゅじゅう
今まさに刑場で死刑に処せられようとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
刀尋段段壊 とう じんだんだんえ
振り上げられた刀はバラバラに折れるでしょう。
(7)
或囚禁枷鎖 わくしゅーきんかーさー
あるいは、囚人となってかせや鎖につながれ、
手足被紐械 しゅそくひーちゅーかい
手足の自由を奪われても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
釈然得解脱 しゃくねんとくげだつ
それらの拘束具はたちまち壊れて自由になれるでしょう。
(8)
呪詛諸毒薬 じゅうそしょどくやく
あるいは、誰かの呪いや毒草・毒薬によって、
所欲害身者 しょよくがいしんじゃ
危害を加えられようとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
還著於本人 げんじゃく おーほんにん
被害は(それを企てた加害者)本人に戻って行くでしょう。
(9)
或遇悪羅刹 わくぐーあくらーせつ
あるいは、羅刹という食人鬼や
毒龍諸鬼等 どくりゅうしょきとう
毒竜や悪鬼などに囲まれても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
時悉不敢害 じしつぷーかんがい
これらのものは、危害を加えようとしなくなるでしょう。
(10)
若悪獣囲繞 にゃくあくじゅいにょう
あるいは、恐ろしい猛獣に取り囲まれて、
利牙爪可怖 りーげーそうかーふ
鋭い牙や爪で脅かされても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
疾走無辺方 しつ そうむーへんほう
それらは何処かへ逃げ去ってゆくでしょう。
(11)
蚖蛇及蝮蠍 がんじゃぎゅうふくかつ
あるいは、マムシや毒蛇やサソリの
気毒煙火燃 けーどくえんかーねん
吐く毒気が、火焔のように迫ってきても、
念彼観音力 ねんびーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
尋声自回去 じんしょうじえーこ
念ずる声を聞くやいなやそれらは退散するでしょう。
(12)
雲雷鼓掣電 うんらいくーせいでん
あるいは、天がとどろき、稲妻が光り、
降雹澍大雨 ごうばくじゅだいう
雹が降り、大雨が降り注いでも、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
応時得消散 おう じとくしょうさん
それらは跡形なく消え去るでしょう。
衆生被困厄 しゅじょうひーこんにゃく
人々が困難や災厄にみまわれ、
無量苦逼身 むりょうくひっしん
さまざまな苦しみにさいなまれる時、
観音妙智力 かんのんみょうちりき
観世音菩薩の勝れた智恵の力はそれを察知して、
能救世間苦 のう くーせーけんくー
人々を苦しみから救い出してくれます。
具足神通力 ぐーそくじんつうりき
(観世音菩薩は)神通力を極めており、
広修智方便 こうしゅうちほうべん
広大な智恵とそれを発揮するさまざまな手段に長け
十方諸国土 じつぽうしょこくど
あらゆる国のいたる所に姿を現わし、
無刹不現身 むせつふー げんしん
どこであってもその姿を見ることができます。
種種諸悪趣 しゅじゅしょあくしゅ
輪廻の中の様々な悪い世界を巡り、
地獄鬼畜生 じーごくきーちくしょう
地獄界・餓鬼界・畜生界に陥った苦しみ、
生老病死苦 しょうろうびょうしーく
生まれ、老い、病になり、死ぬという苦しみを、
以漸悉令滅 いぜんしつりょうめつ
しだいに消滅させてくれます。
真観清浄観 しんかんしょうじょうかん
(観世音菩薩には)、真実を見抜く眼で観、汚れなき清浄な眼で観、
広大智慧観 こうだいちーえーかん
広大な智慧を持つ眼で観、
悲観及慈観 ひーかんぎゅうじーかん
悲しみを憐れむ眼で観、慈しみに満ちた眼で観るという、(力が備わっています。)
浄願常譫仰 じょ うがんじょうせんごう
だからいつも、観世音菩薩の出現を願い、その姿を仰ぎ見なければなりません。
無垢清浄光 むーくーしょうじょうこう
観世音菩薩の放つ汚れなき清浄な光は、
慧日破諸闇 えーにちはーしょあん
智慧の輝きで無知の闇を消し去り、
能伏災風火 のうぶくさいふうか-
よく災いの風や火を鎮め、
普明照世間 ふみょうしょうせけん
この世を明らかに照らし出します。
悲体戒雷震 ひーたいかいらいしん
観世音菩薩が憐れみの心で説かれる戒めは、雷が鳴り響くように偉大であり、
慈意妙大雲 じーいみょうだいうん
その慈しみの心は美しい大きな雲のように人々を覆い、
澍甘露法雨 じゅんかんろほうう
恵み深い智慧の雨を降らせては、
滅除煩悩焔 めつじょ ぼんのうえん
人々の煩悩の炎を消し去るのです。
諍訟経官処 じょうじょきょうかんじょ
争いに巻き込まれて法廷に立つ時や、
怖畏軍陣中 ふーいぐんじんちゅう
戦場で死の危険にさらされた時も、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心に念ずれば、
衆怨悉退散 しゅ うおんしつたいさん
あらゆる敵はみな退散するでしょう。
妙音観世音 みょうおんかんぜおん
観世音菩薩の音声は、妙なる美しさを持つ音、世を観る音、
梵音海潮音 ぼんのんかいちょうおん
清浄なる無垢の音、潮騒のように心にしみ込む音、
勝彼世間音 しょうひせ けんおん
それはあらゆるこの世の苦しみや悲しみの音声を制する音なのです。
是故須常念 ぜこ しゅじょうねん
だから、常に観世音菩薩を忘れずに念ずるべきなのです。
念念勿生疑 ねんねんもつしょうぎ
念じ、念じて、決して疑ってはなりません。
観世音浄聖 かんぜおんじょうしょう
観世音菩薩の清らかで聖なる心が、
於苦悩死厄 おーくーのうしーやく
苦しみと死と災いに満ちたこの世の中で、
能為作依怙 のう いーさーえーこ
救いの真実の拠り所なのです。
具一切功徳 ぐーいつさいくどく
観世音菩薩はあらゆる功徳を具え、
慈眼視衆生 じーげんじーしゅーじょう
すべての人間を慈悲の眼をもって眺めています。
福聚海無量 ふくじゅかいむりょう
その福徳は大海のように無量であり、
是故応頂礼 ぜこー おうちょうらい
だからこそつつしんで礼拝すべきなのです。
爾時 持地菩薩 にじ じじぼ さつ
この説法をうかがって感動した持地菩薩は
即従座起 前白佛言 そくじゅうざーきー ぜんびゃくぶつごん
座から立ち上がってお釈迦さまの前に進み出て、つつしんで申し上げました。
世尊 若有衆生 せーそん にゃくうしゅじょう
「お釈迦さま、どうような人でも、
聞是観世音菩薩品 もんぜ かんぜおんぼさつぼん
この観世音菩薩の自由自在な救済の働きと
自在之業 じーざいしーごう
相手に応じてさまざまに姿を変え、
普門示現 ふーもんじーげん
あらゆる所に出現される
神通力者 じんつうりきしゃ
神通力を
当知是人 功徳不少 とうち ぜにん くーどくふしょう
聞き知った人は、大きな功徳を得ることでございましょう。」
佛説是普門品時衆中 ぶつせつぜ ふもんぼんじ しゅうちゅう
こうしてお釈迦さまが、あらゆる方向に顔を向けてあまねく眼を配っている
観世音菩薩の教えを説き終えられますと
八万四千衆生 はちまんしせんしゅうじょう
大衆の中の八万四千人もの人々が、
皆発無等等 かいほつむ とうどう
くらべるものもなく尊い『完全なる悟り』を得たいという願いを起こし
阿耨多羅三藐三菩提心 あーのくたーらーさんみゃくさんぼだいしん
正しい道を志すようになったのでありました。
以上
合掌九拝

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グーグル先生に導かれた上記URLに書かれていた現代語訳と漢文のオリジナルを対照させてみた自分用メモ
妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈
世尊妙相具 せーそんみょうそうぐ
美しいお姿のお釈迦さま。
我今重問彼 がーこんじゅもんぴ
私は今一度お尋ねいたします。
佛子何因縁 ぶつしがーいんねん
あの菩薩はどうして、
名為観世音 みょうい かんぜおん
観世音と名づけられているのですか。
具足妙相尊 ぐーそくみょうそうそん
美しいお姿のお釈迦さまは、
偈答無尽意 げーとうむーじんに
歌の形で次のように無尽意菩薩にお答えになりました。
汝聴観音行 にょ-ちょうかんのんぎょう
それはねえ、観世音菩薩の働きは、
善応諸方所 ぜん のうしょ-ほうしょ-
いつ・どこへでも行って人々を救うことです。
弘誓深如海 ぐーぜいじんにょかい
その救済の願いは海のように深く、
歴劫不思議 りゃつこうふーしーぎ
人の頭でどれ程考えても思い及びません。
侍多千億佛 じーたーせんのくぶつ
無数の仏たちに仕えて、
発大清浄願 ほつ だいしょうじょうがん
すばらしい清浄な願いを立てたのです。
我為汝略説 がーいーにょーりゃくせつ
今私は、あなたにそのあらましを説明しましょう。
聞名及見身 もんみょうぎゅけんしん
(観世音菩薩の)名を聞き、その姿を見て、
心念不空過 しんねんふーくうか
心にしっかりと刻んで忘れないならば、
能滅諸有苦 のう めつしょーうーく
人々のあらゆる苦しみは無くなるでしょう。
【十二難からの救済 】
(1)
仮使興害意 けーしーこうがいい
もし、悪意のある者がいて、
推落大火坑 すいらくだいかきょう
誰かを燃えさかる大きな火の穴に突き落としても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
火坑変成池 かーきょうへんじょうち
火の穴はたちまち池に変わるでしょう。
(2)
或漂流巨海 わくひょうるこーかい
あるいは、大海原を漂流して、
龍魚諸鬼難 りゅうぎょしょきーなん
竜や怪魚や鬼などの様々な怪物が襲って来ても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
波浪不能没 はーろうふーのうもつ
荒波に呑まれて海中に沈むことはないでしょう。
(3)
或在須弥峯 わくざいしゅみーぶ
あるいは、須弥山という高峰の頂きから、
為人所推堕 いーにんしょーすいだー
誰かに突き落とされたとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
如日虚空住 にょ にちこーくうじゅう
空の太陽のように空中に浮かぶことができるでしょう。
(4)
或被悪人逐 わくひーあくにんちく
あるいは、悪人どもに追われて、
堕落金剛山 だーらくこんごうせん
金剛山という高峰の頂きから転落したとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
不能損一毛 ふのう そんいちもう
一本の髪の毛さえ傷つかないでしょう。
(5)
或値怨賊繞 わくちーおんぞくにょう
あるいは、怨みを抱いた敵の集団に囲まれ、
各執刀加害 かくしゅーとうかがい
皆が刀を手にして殺そうとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
咸即起慈心 げん そくきーじしん
彼らは殺す気をなくし、優しい慈悲の心を起こすでしょう。
(6)
或遭王難苦 わくそうおうなんく
あるいは、権力者の圧政にあって、
臨刑欲寿終 りんぎょうよくじゅじゅう
今まさに刑場で死刑に処せられようとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
刀尋段段壊 とう じんだんだんえ
振り上げられた刀はバラバラに折れるでしょう。
(7)
或囚禁枷鎖 わくしゅーきんかーさー
あるいは、囚人となってかせや鎖につながれ、
手足被紐械 しゅそくひーちゅーかい
手足の自由を奪われても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
釈然得解脱 しゃくねんとくげだつ
それらの拘束具はたちまち壊れて自由になれるでしょう。
(8)
呪詛諸毒薬 じゅうそしょどくやく
あるいは、誰かの呪いや毒草・毒薬によって、
所欲害身者 しょよくがいしんじゃ
危害を加えられようとしても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
還著於本人 げんじゃく おーほんにん
被害は(それを企てた加害者)本人に戻って行くでしょう。
(9)
或遇悪羅刹 わくぐーあくらーせつ
あるいは、羅刹という食人鬼や
毒龍諸鬼等 どくりゅうしょきとう
毒竜や悪鬼などに囲まれても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
時悉不敢害 じしつぷーかんがい
これらのものは、危害を加えようとしなくなるでしょう。
(10)
若悪獣囲繞 にゃくあくじゅいにょう
あるいは、恐ろしい猛獣に取り囲まれて、
利牙爪可怖 りーげーそうかーふ
鋭い牙や爪で脅かされても、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
疾走無辺方 しつ そうむーへんほう
それらは何処かへ逃げ去ってゆくでしょう。
(11)
蚖蛇及蝮蠍 がんじゃぎゅうふくかつ
あるいは、マムシや毒蛇やサソリの
気毒煙火燃 けーどくえんかーねん
吐く毒気が、火焔のように迫ってきても、
念彼観音力 ねんびーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
尋声自回去 じんしょうじえーこ
念ずる声を聞くやいなやそれらは退散するでしょう。
(12)
雲雷鼓掣電 うんらいくーせいでん
あるいは、天がとどろき、稲妻が光り、
降雹澍大雨 ごうばくじゅだいう
雹が降り、大雨が降り注いでも、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心から念ずれば、
応時得消散 おう じとくしょうさん
それらは跡形なく消え去るでしょう。
衆生被困厄 しゅじょうひーこんにゃく
人々が困難や災厄にみまわれ、
無量苦逼身 むりょうくひっしん
さまざまな苦しみにさいなまれる時、
観音妙智力 かんのんみょうちりき
観世音菩薩の勝れた智恵の力はそれを察知して、
能救世間苦 のう くーせーけんくー
人々を苦しみから救い出してくれます。
具足神通力 ぐーそくじんつうりき
(観世音菩薩は)神通力を極めており、
広修智方便 こうしゅうちほうべん
広大な智恵とそれを発揮するさまざまな手段に長け
十方諸国土 じつぽうしょこくど
あらゆる国のいたる所に姿を現わし、
無刹不現身 むせつふー げんしん
どこであってもその姿を見ることができます。
種種諸悪趣 しゅじゅしょあくしゅ
輪廻の中の様々な悪い世界を巡り、
地獄鬼畜生 じーごくきーちくしょう
地獄界・餓鬼界・畜生界に陥った苦しみ、
生老病死苦 しょうろうびょうしーく
生まれ、老い、病になり、死ぬという苦しみを、
以漸悉令滅 いぜんしつりょうめつ
しだいに消滅させてくれます。
真観清浄観 しんかんしょうじょうかん
(観世音菩薩には)、真実を見抜く眼で観、汚れなき清浄な眼で観、
広大智慧観 こうだいちーえーかん
広大な智慧を持つ眼で観、
悲観及慈観 ひーかんぎゅうじーかん
悲しみを憐れむ眼で観、慈しみに満ちた眼で観るという、(力が備わっています。)
浄願常譫仰 じょ うがんじょうせんごう
だからいつも、観世音菩薩の出現を願い、その姿を仰ぎ見なければなりません。
無垢清浄光 むーくーしょうじょうこう
観世音菩薩の放つ汚れなき清浄な光は、
慧日破諸闇 えーにちはーしょあん
智慧の輝きで無知の闇を消し去り、
能伏災風火 のうぶくさいふうか-
よく災いの風や火を鎮め、
普明照世間 ふみょうしょうせけん
この世を明らかに照らし出します。
悲体戒雷震 ひーたいかいらいしん
観世音菩薩が憐れみの心で説かれる戒めは、雷が鳴り響くように偉大であり、
慈意妙大雲 じーいみょうだいうん
その慈しみの心は美しい大きな雲のように人々を覆い、
澍甘露法雨 じゅんかんろほうう
恵み深い智慧の雨を降らせては、
滅除煩悩焔 めつじょ ぼんのうえん
人々の煩悩の炎を消し去るのです。
諍訟経官処 じょうじょきょうかんじょ
争いに巻き込まれて法廷に立つ時や、
怖畏軍陣中 ふーいぐんじんちゅう
戦場で死の危険にさらされた時も、
念彼観音力 ねんぴーかんのんりき
観世音菩薩の救いを心に念ずれば、
衆怨悉退散 しゅ うおんしつたいさん
あらゆる敵はみな退散するでしょう。
妙音観世音 みょうおんかんぜおん
観世音菩薩の音声は、妙なる美しさを持つ音、世を観る音、
梵音海潮音 ぼんのんかいちょうおん
清浄なる無垢の音、潮騒のように心にしみ込む音、
勝彼世間音 しょうひせ けんおん
それはあらゆるこの世の苦しみや悲しみの音声を制する音なのです。
是故須常念 ぜこ しゅじょうねん
だから、常に観世音菩薩を忘れずに念ずるべきなのです。
念念勿生疑 ねんねんもつしょうぎ
念じ、念じて、決して疑ってはなりません。
観世音浄聖 かんぜおんじょうしょう
観世音菩薩の清らかで聖なる心が、
於苦悩死厄 おーくーのうしーやく
苦しみと死と災いに満ちたこの世の中で、
能為作依怙 のう いーさーえーこ
救いの真実の拠り所なのです。
具一切功徳 ぐーいつさいくどく
観世音菩薩はあらゆる功徳を具え、
慈眼視衆生 じーげんじーしゅーじょう
すべての人間を慈悲の眼をもって眺めています。
福聚海無量 ふくじゅかいむりょう
その福徳は大海のように無量であり、
是故応頂礼 ぜこー おうちょうらい
だからこそつつしんで礼拝すべきなのです。
爾時 持地菩薩 にじ じじぼ さつ
この説法をうかがって感動した持地菩薩は
即従座起 前白佛言 そくじゅうざーきー ぜんびゃくぶつごん
座から立ち上がってお釈迦さまの前に進み出て、つつしんで申し上げました。
世尊 若有衆生 せーそん にゃくうしゅじょう
「お釈迦さま、どうような人でも、
聞是観世音菩薩品 もんぜ かんぜおんぼさつぼん
この観世音菩薩の自由自在な救済の働きと
自在之業 じーざいしーごう
相手に応じてさまざまに姿を変え、
普門示現 ふーもんじーげん
あらゆる所に出現される
神通力者 じんつうりきしゃ
神通力を
当知是人 功徳不少 とうち ぜにん くーどくふしょう
聞き知った人は、大きな功徳を得ることでございましょう。」
佛説是普門品時衆中 ぶつせつぜ ふもんぼんじ しゅうちゅう
こうしてお釈迦さまが、あらゆる方向に顔を向けてあまねく眼を配っている
観世音菩薩の教えを説き終えられますと
八万四千衆生 はちまんしせんしゅうじょう
大衆の中の八万四千人もの人々が、
皆発無等等 かいほつむ とうどう
くらべるものもなく尊い『完全なる悟り』を得たいという願いを起こし
阿耨多羅三藐三菩提心 あーのくたーらーさんみゃくさんぼだいしん
正しい道を志すようになったのでありました。
以上
合掌九拝
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龍源寺 松原哲明和尚
東京三田にある龍源寺の前住職で千葉の鹿野山にある佛母寺の
ご住職であられる松原哲明和尚が、6月6日遷化されました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20100607-OYT1T00439.htm
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌
ご住職であられる松原哲明和尚が、6月6日遷化されました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20100607-OYT1T00439.htm
謹んでご冥福をお祈りいたします。
合掌