風の匂ひ---まつよし本当にお坊さんになりたいのか? 修行中 -7ページ目

鹿野山全青少年研修所の祈り

願わくば、われらは常に仏心をくらまさず

自らを省みて我欲を制し

個人の幸福が人類の福祉と

調和する道を歩むことを


平和を願い暴力に訴えず

尊厳なる人格を侵す者はそれを諌め

拒む勇気を持ち続けることを


この信根(しんこん)と願心と慈愛によって社会を荘厳し

生かされていることへの感謝と共に

広大なる慈陰(じいん)に酬いることを


合掌

鹿野山大摂心会 覚書その2

【独坐大雄峰】 碧巌録 第二十六則

山田無文老師の解説

ある時、一人の僧が百丈の懐海禅師に尋ねて言うのには、「如何なるか是れ奇特の事―この世で一番有り難いものは何ですか。一番貴いものは何ですか」どんな宗教でも、まず一番有り難いものは神であり、仏と言うであろう。あるいは法と言うであろう。禅宗ではいったい何が有り難いのか、と。うっかり百
丈が仏だの法だのと答えるならば、ただではすまさんという所存だ。・・・(中略)・・・そこで百丈が答えるのに、「独坐大雄峰―俺が今現に生きてここに坐っておることが一番有り難いわい」何と爽快な一句ではないか。これしかないであろう。めいめいが生きて、そこに坐っておるという事実以上の有り難いものはない。金が有り難いか、屋敷が有り難いか、身分が有り難いか。生きておるから金がいるのだ、生きておるから屋敷がいるのだ、生きておるから出世も悪くないのだ。一番大事なのは、今ここに生きておるということだ。言うならば、釈迦も達磨も、俺が生きておるから苦労されたのだ。俺が生きておるから太陽が照っておるのだ。俺が生きておるから空気があるのだ。丈云く、独坐大雄峰。俺が今現に生きてここに坐っておることが一番有り難い、と。

臨黄ネットより引用 http://www.rinnou.net/iroha_uta/07_to.html


【万法帰一】碧巌録 第四十五則

僧問趙州万法帰一 一帰何処

州云 我在青州(趙州和尚の故郷)作一領(一着)布衫(麻衣)重七斤
       

鹿野山大摂心会 覚書その1

【正法眼蔵 92 生死】

禅門は 自力も他力もない。


道元禅師 正法眼藏 92 生死より抜粋


この生死はすなわち佛の”御いのち”なり。
これを厭ひ捨てんとすれば、すなわち佛の”御いのち”を失わんとするなり。
これに滞まりて、生死に著すれば、これも佛の”御いのち”を失うなり。

”佛のありさま”を滞むるなり、厭うことなく、慕うことなき、この時、初めて佛のこころに入る。
但こころを以て計ること勿れ。言葉を以て云うことなかれ。

ただ我が身をも、心をも、放ちわすれて、佛の家に投げ入れて、
佛のかたよりおこなわれて、これに従い以てゆくとき、
力をも入れず心をもついやさずして、生死をはなれ佛となる。