2011年 明けましておめでとうございます。
殆ど読者様のことを考えていない、主に自分のネタの保管庫のように使っている
このブログですが、一応、新年を迎えましたので年頭のご挨拶をさせていただきます。
旧年中、このブログにご縁があってご覧いただきました方々、お世話になりました。
また本年も宜しくお願い申し上げます。
千葉県鹿野山 マザー牧場に隣接する佛母寺ちかくから拝んだ 2011年1月1日のご来光です。


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このブログですが、一応、新年を迎えましたので年頭のご挨拶をさせていただきます。
旧年中、このブログにご縁があってご覧いただきました方々、お世話になりました。
また本年も宜しくお願い申し上げます。
千葉県鹿野山 マザー牧場に隣接する佛母寺ちかくから拝んだ 2011年1月1日のご来光です。

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Be Here なう!
なう! といってもツイッターではありません。w
即今只今を生きよという釈尊の教え。
最近NHKオンディマンドで拝見した青山俊董さんの法話に
引用されていたので、以下にメモしておきます。
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあるを知らんや まことにかの死の大軍と、
遇わずと言うのはあることなし
よくかくのごとく見極めたるものは、
心をこめ昼夜怠ることなく実践せん。
かくのごときを 一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり」
(中部経典、131)

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即今只今を生きよという釈尊の教え。
最近NHKオンディマンドで拝見した青山俊董さんの法話に
引用されていたので、以下にメモしておきます。
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来たらざるを念うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日死のあるを知らんや まことにかの死の大軍と、
遇わずと言うのはあることなし
よくかくのごとく見極めたるものは、
心をこめ昼夜怠ることなく実践せん。
かくのごときを 一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり」
(中部経典、131)
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生まれるに至らなかった、同期を想う
修証義 総序より
人身(にんしん)得(う)ること難(かた)し仏法値(お)うこと希なり、今我等宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて、已(すで)に受け難き人身を受けたるのみに非(あら)ず、遭い難き仏法に値(あ)い奉れり、 生死の中の善生(ぜんしょう)、最勝(さいしょう)の生なるべし最勝の善身を徒(いたづら)にして 露命(ろめい)を無常(むじょう)の風に任(まか)すること勿(なか)れ。
たまたま twitter上で followerさんが見つけてきたデータを見て、大きなショックを受けた。
ブログタイトル
■出生数と中絶数をだらだら並べてみたり。そしたら少妊娠化が見えてきた
http://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/blog-entry-230.html
このブログを書かれた人の意図とはすこし違うのかも知れないが、衝撃を受けたデータのみを抜き出すと以下の通り。
年次 中絶件数 出生数
1960年 1,063,256 1,606,041
1961年 1,035,329 1,589,372
1962年 985,351 1,618,616
:
:
2009年 223,405 1,070,035
出生数というのは、文字通りその年に生まれた人の総数。
つまり言い換えると、1961年生まれの僕には同期が約159万人いる(た)ということだ。
そして中絶件数とは、同じ年に、生まれ出る前に(※冷たい言葉だが)「処理」された数であり、1961年では 103万人もいた。 ということである。
競争世代といわれているのだが、命に関わる選別が 103万 対 159万 ≒ 2:3 の割合で
母親の胎内にいる時点で既に行われていたのだ。
精子が卵子にたどり着く割合は数億分の1の偶然という事も凄まじいのだが、その競争に勝ったあとに於いても、他ならない「人間自身の都合で」間引かれた「命」がこれだけいたのである。
直近のデータを最後に乗せたが 2009年時点では 22万 対 107万 ≒ 1:5 と大幅に改善している。
これは昨今よく言われている「倫理の問題」「経済の問題」に関して、いかにも今の世の中が乱れているかのように映り、且つ、多くの人がそのように語っていたとしても、本当は相当に恵まれた進化が、今まであったということの査証ではなかろうか?
本旨に戻る。
今まで水子地蔵の供養をみても、正直なところ無責任な男子としては完全に「人事(ひとごと)」としてみていた。
しかし、この事実を知った今、お地蔵様を見かけて、手を合わせずにはおられない、そんな気持ちになった。

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人身(にんしん)得(う)ること難(かた)し仏法値(お)うこと希なり、今我等宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて、已(すで)に受け難き人身を受けたるのみに非(あら)ず、遭い難き仏法に値(あ)い奉れり、 生死の中の善生(ぜんしょう)、最勝(さいしょう)の生なるべし最勝の善身を徒(いたづら)にして 露命(ろめい)を無常(むじょう)の風に任(まか)すること勿(なか)れ。
たまたま twitter上で followerさんが見つけてきたデータを見て、大きなショックを受けた。
ブログタイトル
■出生数と中絶数をだらだら並べてみたり。そしたら少妊娠化が見えてきた
http://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/blog-entry-230.html
このブログを書かれた人の意図とはすこし違うのかも知れないが、衝撃を受けたデータのみを抜き出すと以下の通り。
年次 中絶件数 出生数
1960年 1,063,256 1,606,041
1961年 1,035,329 1,589,372
1962年 985,351 1,618,616
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2009年 223,405 1,070,035
出生数というのは、文字通りその年に生まれた人の総数。
つまり言い換えると、1961年生まれの僕には同期が約159万人いる(た)ということだ。
そして中絶件数とは、同じ年に、生まれ出る前に(※冷たい言葉だが)「処理」された数であり、1961年では 103万人もいた。 ということである。
競争世代といわれているのだが、命に関わる選別が 103万 対 159万 ≒ 2:3 の割合で
母親の胎内にいる時点で既に行われていたのだ。
精子が卵子にたどり着く割合は数億分の1の偶然という事も凄まじいのだが、その競争に勝ったあとに於いても、他ならない「人間自身の都合で」間引かれた「命」がこれだけいたのである。
直近のデータを最後に乗せたが 2009年時点では 22万 対 107万 ≒ 1:5 と大幅に改善している。
これは昨今よく言われている「倫理の問題」「経済の問題」に関して、いかにも今の世の中が乱れているかのように映り、且つ、多くの人がそのように語っていたとしても、本当は相当に恵まれた進化が、今まであったということの査証ではなかろうか?
本旨に戻る。
今まで水子地蔵の供養をみても、正直なところ無責任な男子としては完全に「人事(ひとごと)」としてみていた。
しかし、この事実を知った今、お地蔵様を見かけて、手を合わせずにはおられない、そんな気持ちになった。
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