風の匂ひ---まつよし本当にお坊さんになりたいのか? 修行中 -2ページ目

鹿野山禅道場坐禅の心得

[真実の自己とは何か」。
我々にとってこの問題の解決こそ人生の一大事である。
身体を調え、呼吸を調え、心を調えて、はっきりと真実の自己を自覚するまで真剣に坐りこもう。


一、禅堂に入る時は合掌一礼、合掌したまま自分の座に進み、一礼して坐る。出る時は立って合掌一礼、叉手をして出る。出口では合掌一礼する。常に禅堂内外は静粛を保つ。

一、全員揃って禅堂を出入する時は、出入口での一礼は、これをはぷく。堂外にあっても、常に叉手をし、互いに礼を失せぬこと。草履を引きづり、足音を成すことを禁ず。

一、禅堂内に於いては黙の一字が最も肝要である。常に固く口を結んで心を一処に摂めて深く禅定力を養う様努める。

私語戯笑することを禁ず。

一、止静中(坐禅)は禅堂の出入を禁ずる。二便往来(お手洗)は抽解(堂内の出入の許される時)の時に限る。すみやかに用をたして着坐のこと。万一身体の具合により気分が悪くなった時は直日(禅堂の指導者)に報じて静かに出ること。

一、警策は罰するためとか、憎いとかで打たれるものでなく、姿勢を正しくして修行を励まし、求道者の向上の導きをするものである。お互に受ける時、おわった時に合掌低頭すること。警策を受けたい時は合掌して待つこと。

一、食事はまず感謝の念を以って両手で鉢をとり、食物を残さない様に努め、食べる音、器物の音をたてずに静かにいただく。食事中は坐禅と同じ気持で姿勢を正しくし、容器をきちんと手に取上げて口もとに運ぶようにする。

一、朝晩の動行のお経は、正念を相統し心を清めるものであるから、みんなとあわせて腹の底から声を出し、信心を養うようにする。

一、火の用心専一に 禅堂内は禁煙。必ず喫煙所(ロビー)で喫煙の事。

  「寝タバコは許さず」

一、消幻後は速かに床について眠られなくても自分勝手な行動をしない。

一、研修中は各自行動を特に慎み、常に正念相続、動中の工夫(寝ても醒めても立っても坐っても自己の本心を忘れない)に努めて身も心も調えましょう。

一、当道場滞在中若しも不謹慎なる者があれば直ちに下山をして頂くことがあります。

右の件々よく心得て、先ず人類と社会のために身心ともささげると云う菩提心を起し、お互い切磋琢磨して道を求め、一刻も早く皆んなが同じく正覚を成じて、真実の人生を歩まんことを。


鹿野山禅道場


◇解 説◇

開静(カイジョウ)……起床。 直ちに床をあげ洗面、道場に着坐のこと。

解定(カイチン)……就寝のこと。 消灯后は速かに床につくこと。

粥座(シュクザ)……朝食。 斎座(サイザ)……昼食。薬石(ヤクセキ)……夕食。

止静(シジョウ)……坐禅中のこと。 指示のほか動いてはいけない。

抽解(チュウカイ)……止静をといて堂内の出入を許す。

作務(サム)……仕事。 清掃をして頂きます。皆さんの退場です。美しく気持よく。

茶礼(サレイ)……皆でお茶を飲んで心気一転する。

開浴(カイヨク)……入浴のこと。 入浴中でも雑談はつつしむ。一滴の湯水も大切に。

東司(トウス)……お手洗のこと。

その他道場の器物は大切に。かりたものは必ずもとの場所に戻しましよう。

◎ 坐禅はあなた自身の問題です。真剣に坐っても一日、ずるずるべったりに坐っても一日、
さて、あなたは如何致しますか。

修証義 第一章 総序

修証義 第一章 総序  

 生(しょう)を明らめ死を明らむるは仏家(ぶっけ)一大事の因縁なり、生死(しょうじ)の中に仏あれば生死なし、但(ただし)生死即(すなわ)ち涅槃(ねはん)と心得て、生死として厭(いと)うべきもなく、涅槃として欣(ねご)うべきもなし、是時(このとき)初めて生死を離るる分あり、唯(ただ)一大事因縁(いちだいじいんねん)と究尽(ぐうじん)すべし。

 人身(にんしん)得ること難し、仏法(ぶっぽう)値(お)うこと希れなり、今(いま)我等(われら)宿善(しゅくぜん)の助くるに依りて、已(すで)に受け難き人身(にんしん)を受けたるのみに非ず、遇(あ)い難き仏法に値(あ)い奉(たてまつ)れり、生死の中の善生(ぜんしょう)、最勝(さいしょう)の生(しょう)なるべし、最勝の善身(ぜんしん)を徒(いたず)らにして露命(ろめい)を無常の風に任(まか)すること勿(なか)れ。
 無常憑(たの)み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身(み)已(すで)に私(わたくし)に非ず、命(いのち)は光陰(こういん)に移されて暫(しばら)くも停(とど)め難し、紅顔(こうがん)いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡(しょうせき)なし、熟(つらつら)観(かん)ずる所に往事(おうじ)の再び逢(お)うべからざる多し、無常忽(たちま)ちに到るときは国王大臣親暱(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子珍宝(ちんぽう)たすくる無し、唯独り黄泉(こうせん)に趣(おもむ)くのみなり、己(おの)れに随(したが)い行くは只(ただ)是(こ)れ善悪業(ぜんあくごう)等のみなり。

 今(いま)の世に因果を知らず業報(ごっぽう)を明らめず、三世を知らず、善悪を弁(わき)まえざる邪見(じゃけん)の党侶(ともがら)には群(ぐん)すべからず、大凡(おおよそ)因果の道理(どうり)歴然(れきねん)として私(わたくし)なし、造悪(ぞうあく)の者は堕(お)ち修善(しゅぜん)の者は陞(のぼ)る、毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり、若(も)し因果亡(ぼう)じて虚(むな)しからんが如きは、諸仏の出世(しゅっせ)あるべからず、祖師(そし)の西来(せいらい)あるべからず。

 善悪の報(ほう)に三時(さんじ)あり、一者(ひとつには)順現報受(じゅんげんほうじゅ)、二者(ふたつには)順次生受(じゅんじしょうじゅ)、三者(みつには)順後次受(じゅんごじじゅ)、これを三時(さんじ)という、仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其(その)最初より斯(この)三時の業報(ごっぽう)の理(り)を効(なら)い験(あきら)らむるなり、爾(しか)あらざれば多く錯(あやま)りて邪見に堕(お)つるなり、但(ただ)邪見(じゃけん)に堕つるのみに非ず、悪道(あくどう)に堕ちて長時の苦を受く。

 当(まさ)に知るべし今生(こんじょう)の我身(わがみ)二つ無し、三つ無し、徒(いたず)らに邪見に堕ちて虚(むなし)く悪業(あくごう)を感得(かんとく)せん、惜(おし)からざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報(ほう)あるべからずと邪思惟(じゃしゆい)するに依(よ)りて悪の報を感得(かんとく)せざるには非ず。

無常偈

諸行無常

aniccā vata sañkārā


是生滅法

uppadāvaya dhammino


生滅滅己

uppajjitvā nirujjhanti


寂滅為楽

tesaɱ vūpasumo suhko