的場城 | い~りんのなんとなくブログ

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カープとMAZDA,そしてちょっぴり園芸好きなおっさんが綴る,
全然おもしろくない日記です・・・。

今日も竹原市の方に所用があったので、あわせて『的場城跡』に行ってきました。




的場城は、竹原港の東にある的場山(標高53m)に築かれた城で、現在は「的場公園」として整備されています。


「広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第3集」には、


「公園化や寺社境内地の造成により城の遺構はかなり破壊されている。1郭は15m×20mの規模で、南側に約10m低く2郭がある。2郭は18m四方の規模である。3郭はここから北東に延びる尾根上にあり、32m×18mの広大な規模である。また、1・2郭から北及び南に延びる丘陵上にも平坦面が見られるが、郭であるかどうか不明である。」


と記してあります。城主は、伊予河野氏の一族であった道工氏とのことです。



的場海水浴場の駐車場付近にかかっている橋を渡り、その先の石段を登ります。



遊歩道が整備されてます。


この辺りは保安林になっているようです。的場山の全体像がわかります。


遊歩道は続きます。


結構、長い・・・。


またもや石段がありました。


その石段を登ると、


細長い削平地があり、


ここが3郭です。細長く、しゃもじのような形です。


3郭からの眺望。海が近いです。


3郭の下にも小さな段があります。まるで若山城 の“壇床”のようです。


そこには、なにやら矢印が刻まれた石碑が建っていました。


さらに下の方にも小さい削平地が見えますが、公園化の際に整備されたものでしょうか。


3郭から1・2郭に向かう石段。


1・2郭に行く前に、まずは石段の脇にある道を行きます。


この道は、「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」(以下、「調査報告書」とします。)に“1・2郭から北及び南に延びる丘陵上にも平坦面が見られる”と記してある北側の平坦面に通じています。


北側の平坦面。確かに平坦にはなっていますが、かなり細長く、調査報告書にあるとおり郭かどうか判断は難しいところです。






北側の平坦面から1郭を見上げる。ちゃんとした道ではありませんが、ここからでもすんなり1郭に行けそうでした。



さて、先ほどの石段まで戻り、改めて1・2郭を目指します。


整備された遊歩道を進むと、


鳥居が見えてきました。


この先が2郭になります。


2郭。18m四方の広さだそうです。


正面に見えるのは、1郭にある三鬼神社の鳥居です。



2郭からの眺望。的場海水浴場の堤防で釣りを楽しんでいる人の姿が見えます。


2郭からさらに南に続く尾根道がありましたので、行ってみます。


この道は、“1・2郭から北及び南に延びる丘陵上の平坦面”の、今度は南側の平坦面に続いています。


南側の平坦面ですが、2つのピークとなっているようです。これは1つ目のピーク。


1つ目のピークを越えると、


一番南端のピークに到着。ベンチが設置されています。


そこからの眺望。一番南端だけあって、瀬戸内海がよく見渡せます。





そして、2郭に戻り、1郭に向かいます。


鳥居をくぐり、石段を登ると、


ここが1郭です。大きさは15m×20mです。


1郭には三鬼神社が鎮座しています。


“三鬼神縁起”の案内板


1郭には、この他にも常夜灯のようなものも建てられていました。


三鬼神社後方から見た1郭。


1郭からの眺望。樹木が茂っており、よく見渡せません・・・。





1郭から北側に下がったところにも小さな段が見られました。


そこから見上げる1郭。



的場城の詳細はわかっていませんが、城のある位置が海に突き出た岬という地理的なものを考えると、賀儀城 と同様、水軍に由来する城だったのではないでしょうか。


また、各郭の平坦面ははっきりとわかりやすかったのですが、調査報告書にもあるように、現在は公園として整備されていますので、どこまで当時の遺構を残しているのかは不明確です。




『的場城跡』
・所在地:広島県竹原市竹原町
・別名:的場山城跡、道工城跡

・現状:山林、公園、寺社境内地

・保存状況:一部壊
・立地:独立丘稜
・標高53m、比高53m
(「広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第3集」より)