少し風は強いものの、いい天気になりましたので、広島県廿日市市の折敷畑山(標高445m)に登りました。
天文23年(1554年)に、我が地元の陶隆房(晴賢)と毛利元就とが争った「折敷畑の戦い」が行われた山であり、古戦場跡は8合目付近にあります。
今回は黒折登山口から登りました。ここには説明板が建てられています。

(説明の絵が白テープで覆われています。)

古戦場跡への案内板もあります。

少し先に進むと分岐があります。案内板は左を指していますが、

右手の畑沿いに進みます。


山に入る道がありました。

結構、急で不明瞭な道でした。黄色い“火の用心”の札が頼りです(^^;;

わかりやすい道になってきました。

尾根道に出たようです。

鉄塔を通過し、その先の分岐を左へ。

見通しの良い尾根道です(^-^)

「○○講」と書かれた札がたくさんありました。

道が少し不明瞭になり、倒木なども多くなりました。


四季が丘方面との分岐です。


左下への道が四季が丘方面、右上への道が登ってきた黒折方面です。

山頂への案内板。この辺りの道は歩きやすいです。

鎖の登場です。ここからしばらく急登が続きました。

古戦場跡への案内板。

道中、僅かに見える眺望。

その後、再び不明瞭、藪漕ぎの道が続きました。この時は必死だったので、写真を撮ってません(~_~;)

(説明の絵が白テープで覆われています。)

古戦場跡への案内板もあります。

少し先に進むと分岐があります。案内板は左を指していますが、

右手の畑沿いに進みます。


山に入る道がありました。

結構、急で不明瞭な道でした。黄色い“火の用心”の札が頼りです(^^;;

わかりやすい道になってきました。

尾根道に出たようです。

鉄塔を通過し、その先の分岐を左へ。

見通しの良い尾根道です(^-^)

「○○講」と書かれた札がたくさんありました。

道が少し不明瞭になり、倒木なども多くなりました。


四季が丘方面との分岐です。


左下への道が四季が丘方面、右上への道が登ってきた黒折方面です。

山頂への案内板。この辺りの道は歩きやすいです。

鎖の登場です。ここからしばらく急登が続きました。

古戦場跡への案内板。

道中、僅かに見える眺望。

その後、再び不明瞭、藪漕ぎの道が続きました。この時は必死だったので、写真を撮ってません(~_~;)
悪戦苦闘の末、山頂手前にある古戦場跡のピークに到着しました!
宮川房長が率いる7000もの兵が折敷畑山に陣取っていたそうですが、それにしては狭いスペースです。この場所を中心として、広範囲に戦が行われたのでしょう。
古戦場跡のピークからは北と東にそれぞれ分岐した道があります。北へ行くと山頂、東へ行くと三角点があります。
次に一旦、古戦場跡ピークへ戻り、東への分岐に進みます。

途中には、このような案内板があり、

少し視界が開けた場所がありました。

どこが桜尾城かわかりませんでしたが、今は貯水タンクとなっている谷宗尾城跡が見えます。

更に進みます。

結構、荒れてます(^^;;

登山道上に三角点がありました。



途中には、このような案内板があり、

少し視界が開けた場所がありました。

どこが桜尾城かわかりませんでしたが、今は貯水タンクとなっている谷宗尾城跡が見えます。

更に進みます。

結構、荒れてます(^^;;

登山道上に三角点がありました。

