大変だったあの頃 | 奈良が大好きな京都のオバハンのブログ

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奈良が大好きなアラフィフのオバハン
暇さえあれば奈良へ行き
奈良の街をフラフラ~(笑)

古都奈良の魅力をこのブログで伝えられたら
嬉しいなぁ(^-^)




平和堂で麦飯石の水汲んでいたら

ちょっと変なイントネーションで
「んっあれ、なかむらさん?」って

あらっびっくり

前に住んでたとこの
三軒となりの中国人のおっちゃん

「お久しぶりです元気ですか?」
って言うけれど

こっちの返事も聞かずに
近況を話だす

相変わらず自分本意だけど
日本語が上手になってる

この中国人の一家には
随分と困らされた( ̄0 ̄;) 

当時、引っ越してきて直ぐに
運悪くクジで自治会の役を
引き当てたオバハン

文化や習慣が違う中国人一家が
ベランダから物を捨てたり
オシッコをしたりする

それを見た昔からの住人
クソババア三巨頭
内1人はホンマにこんな感じ

三人のクソババアが
「あんた役やし注意してきて」って
やいやいと言いにくるけど

言葉が通じないから
何を言っても通じず

今ならアプリで
変換できたりして方法はあるけど

あの頃は
ジェスチャーしたり
絵を描いたりして

まだ30過ぎで
今から思えばピチピチの
女盛り?のオバハン

何が悲しいいて
立ちションするジェスチャー
しなアカンね( ̄0 ̄;)

その苦労のジェスチャーも
時間をかけ色まで付けた絵も

全て首を傾げ
中国語で捲し立てドアを閉められ

途方にくれる オバハンに

三巨頭が
「どうなった?」って
またまた、やいやいやってきては

玄関先で30分以上喋り
「ちゃんと止めさせてな」って
釘を刺して帰ってく

神経細い人やったら
ノイローゼなるでってくらい

毎日、毎日この繰り返し

そんな日々を見ていて
オバハンを気の毒に思って
くださった方 数名が

方々に相談してくれ

小学校に中国語が分かる
先生がいるって教えくれはり

お願いしに行き
お手紙書いてもらって一件落着

麦飯石水を汲み終えて

「じゃあ、また」ペコッって
笑顔で去っていくおっちゃん

「じゃあ、また」って(笑)

今となりゃ笑い話だけど
もう2度と関わり合いたくない(>_<")