苛斂誅求と節倹 | 繭家の人生こぼれ繭

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人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

このところの自民党裏金問題と、、ここ数日の政治資金パーティーの立憲民主党のゴタゴタをみていると‥怒りというよりかは、もう諦めるよりしょうがないのか‥ほんと立憲の政治家のセンスの無さにトホホであります(ガックリ)‥多分、これで自民党も官僚もシメシメと思っているんでしょう。先日、草彅剛さんの「碁盤斬り」の主人公柳田格之進の生き方を見てきたばかりなので(愚直で清廉潔白)なおさらの事であります‥これから私たちの生活はどんどん苦しくなっていくことは確かで、この野党第一党のだらしなさでは、当分の間、政治には期待できないでしょう、それはそれで覚悟して生活を切り抜けないとなりませんしね‥この国をリードしてくれる立派な政治家が、彗星の如く早く現れないものかと期待したいところですが(これは夢のまた夢ですかね)… 話は変わりますが、幕末に早くも現在の政治、経済状況を予期していたかのようなことを云っていた男がいた..横井小楠である。(坂本龍馬も高杉晋作も勝海舟もみんな横井小楠の教えを受けている。)『節倹(せっけん)の政』は、江戸時代はごく当たり前である。政治、経済改革が行き詰まると必ず強調されるのが節倹論である。洋の東西を問わず、節倹論が勤勉とならんで富の増加につながることは、火を見るよりも明らかである。問題は節倹の中身である。問題は財政の立て直しの為に、どのような手段を用いるのかにある。財政が官僚の無駄遣い、政治家のエゴから生じている場合、国民の悲劇は深刻である。その上、財政立て直しのために苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)がまかり通るのであれば、これほど不幸なことはない。 横井小楠は「節倹の政」の中で、「御難渋を下より救ひ奉る故に節倹を行はせらるると云筋に当たり、是は節倹と云ふにて無く聚斂の政と云ふ者なり」ここに真の節倹が明確に述べられている。まず第一に官府にすこしも利するよなことがあってはならないという。民、百姓を犠牲にして官を富ませるような方法は本当の節倹ではない。節倹というのは国全体にわたるものでなければならないし、それも公平に行き渡るもでなければならない。つまり「士民共に立ち行く道」をつけることが節倹である以上、「上の御難渋を下より救う」というのは節倹ではない、と横井小楠は力説する。下を犠牲にして行なわれる節倹論は「聚斂(じゅれん)の政」であるとまで言っている。ちなみに聚斂とは..一つににかき集める...租税などを取り立てるとある。

苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)とは‥『税金、年貢を厳しく取り立てることと』横井小楠の経済思想に「時務策」というのがある。その「時務策」の中に節倹の政(せっけん)という政策がある。その中に苛斂誅求という言葉がでてくる。ちなみに節倹とは..『出費を控めにして質素にすること..』とある。