繭家の人生こぼれ繭

繭家の人生こぼれ繭

人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

孫のさっちゃんと昨日からクロちゃんに変名をつけました…クロマメです。

クロちゃんの鼻が黒豆にそっくりだから…

 

コロナ禍の中でささやかな楽しみとかほんのちょっとの贅沢みたいなことが…うれしいのであります。私のたのしみは…風呂上がりの晩酌であります。そして飲むアルコール類は発泡酒でも安いウィスキーでも銘柄もなんでもいいのであります。飲む量もほんの少し、ほんと安上がりの男であります。先日、二ヶ月ぶりにばあさんと一緒に近所のスーパーマーケットに出かけましてね、いつも飲んでいるのはトリスにブラックニッカなんです(700mlで八百円前後かな?)私が酒類の棚を見ながらトリスとレッドとブラックニッカの隣にサントリーの角瓶がありました。一番売れていたのがサントリー角瓶でした…私が隣いたばあさんに「大人になってウィスキーを飲めれるようになったら、角瓶から始まってオールド、そしてリザーブに変わっていく、それがかっこいい男の証だつた…今じゃ逆でトリスだものなあ〜」ってつぶやいたんですよ…その時は「あっそう」ってつれない返事でしたが…昨晩の食卓の上には角瓶が置いてありました…うちのばあさんは世界一!!本当はオールドだったらもっといいんだけどな〜

40年ほど前に、きのこの研究に没頭していた時期がありまして…桐生市にあるキノコ菌糸を製造している森産業(椎茸の種駒を日本で最初に製造販売した)にアポなしで行った。当時顧問をしていた深井三郎氏(年齢は70歳くらいだったかな?)が、門前払いされても仕方がないのに、わざわざ応接間に通してくださって1時間ほど私の話を聞いてくれました。その後は深井先生のご自宅に何十回と伺うほどに親しくさせてもらいました。本当に優しい先生でした。

その深井先生がまだ若かりし頃の話です…昭和18年ごろ、太平洋戦争も局面が大きく変わり、戦時下の東京の大学の研究室で、極秘研究(ある薬の開発)をしていたそうです。その当時、アメリカが開発したペニシリンという薬がものすごくよく効くという情報がドイツ軍からもたらされて、ドイツ軍潜水艦が東京湾にそのペニシリンを持ってやってくるという超極秘計画の中で、深井先生が日本国内で入手できるもので培養実験をするチームに選ばれたという。深井先生が考えたのが、蒟蒻芋を培地に使えないだろうかと…今で言うところのグルコマンナンを…一生懸命に実験を繰り返したが、効率よくしかも大量に安価で製造できる方法にたどり着けないまま終戦を迎えた…でもその実験はとてもスリリングで当時は口にはできなかったが、とても面白かったとニコニコしがら話をしてくれました。

コロナ禍で世界中がワクチンと薬の開発に全力を挙げて頑張っております。感染症ということは、ワクチンと薬ができるまでは…なかなか経済もうまく回っていきません。私の子供頃は、生卵を使ってワクチン製造しているニュースがよくテレビで流れておりました。蚕のタンパク質を利用してワクチン開発をしている会社があるとの情報もありますが…兎にも角にも、早くワクチンができましたという明るいニュースを聞きたいものです。

先日、高校の友人から電話があって無利子無担保の融資制度や持続化給付金の申請のことや、お互いの今後の商売のことなどいろいろと話をしました。10万円給付は友人の町はもうお金が届いたたのことでした。市町村で早い遅いもありますが、どんなことがあっても頑張って生き残ろうなんて、最後は戦場での戦友同士のような会話になってしまいました。我が家の近所の工場(自動車部品)も先週あたりから週3日しか動いていないようで…これから日本中でどんなことが待ち受けているのでしょうか…

繭家もマユパフ製造と新商品開発とを交互に入れながら、どうにかこうにか動いております。そして週のうち必ず1日は畑仕事を入れるようにしました。先週、畑の土を掘り起こすのにスコップを買いに行ったのですが、980円と3,000円のどっちを買うか迷いに迷って、奮発して3,000円のを買っちゃいました。高いの買って’ばあさんには叱られました”このスコップものすごく軽く頑丈で使いやすいので何回も何回もよく土を掘り起こせるのです、ほんと今年の畑はよくできました。いい畑ができたのでいろんな野菜をたくさん植えられました、これからの収穫が楽しみです。昨日は冬に植えておいたネギの株分けをして、余ったネギでネギ味噌炒めをいっぱい作りました。レシピですが、熱したフライパンにごま油を入れて、刻んだネギ(3本)がしんなりするまでよく炒めて、あらかじめ仕込んでおいた焼肉のたれ(甘口)50グラムに味噌20グラムを混ぜたものをよく絡ませて炒めます。炊きたてのご飯にもパンにのせてもこれがとても美味い…これで1週間は暮らせますか(感謝感謝)来月にはジャガイモとニンニクが収穫できます。夏場に向けて瓜と枝豆を明日植えてみます。自分の仕事は自分でつくる、これからのキーワードかも…

 

中学の歴史のテストで江戸時代の三大改革を書きなさい…答えは、徳川吉宗の享保、松平定信の寛政、そして水野忠邦の天保の改革。享保の改革の徳川吉宗については、毎朝4時からテレビ朝日の松平健さんの暴れん坊将軍を見ているからよく知っている(笑い)。松平定信はちょっと地味で時代劇の主役には不向きなのかしれませんが、でも田沼意次とバシバシやって失脚させたんだから知恵者だった…では水野忠邦はどんな人?この人も映画やテレビでは主役になりきれなくて、子分の南町奉行の鳥居耀蔵の方が有名かもしれません。昔読んだ本で、水野忠邦が老中失脚したその日は、江戸の庶民が喜んで、中には水野の屋敷に石を投げた者が大勢いた…で、さっきネット調べてみたら下記の文章をみつけたので引用しました。

 

『水野忠邦は本来は幕閣で政治を行えない唐津藩主だったが、家来たちが不利益になるのにもかまわずに、己の出世のことしか考えずに浜松藩へ転封し、賄賂を贈り続けて順調に出世、ついに老中となって思った通りの政治を断行。家斉時代の文化文政文化を否定するような倹約令は、庶民の楽しみをすべて奪った時代を逆行する回帰型の改革で、庶民は着物の素材から髪型、食べるもの、花火やちょっとした娯楽まで贅沢禁止という細かさ、有名歌舞伎役者も江戸を追放、出版も統制されるというすさまじさ。しかし、経済政策では貨幣改鋳や株仲間の解散など、かえって逆効果となり、ついに上知令が将軍以下の大反対を食らい、部下に裏切られて失脚に。時代に逆行した改革は成果を上げず失敗、幕府の威厳はこの頃から陰りが見えたと言われるほど、忠邦はあまりに次々と急ぎすぎ細かすぎ、成果を上げたいばかりに余裕がなかった…改革はあまりに過激で庶民の怨みを買ったとされ、寺院にあった木魚を乱打しながら「水野は叩くに(忠邦)もってこいの木魚だ」と歌われたという。失脚した際には暴徒化した江戸市民に邸を襲撃されている。』

鳥居耀蔵は蛮社の獄で高野長英や渡辺崋山など多くの有能な知識人を弾圧した。鳥居耀蔵も昨日の黒川んさんも同業者?歴史は繰り返す…なんか今の時代に似てきたのでしょうか(クワバラクワバラ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝のラジオ深夜便で岡晴夫特集をやっておりまして、憧れのハワイ航路や泣くな小鳩など子供の頃に聴いていた歌が流れてきてとても懐かしかったです。でも岡晴夫さんは親父の世代ですから、私はちょっとだけ知っていたという程度ですからね…そして「逢いたかったぜ」という歌がとてもいいんですよ、この曲の紹介を聞いたから尚更に心に沁みたのだと思う…この歌の作曲者は上原げんとさんで岡晴夫さんとは友人同士(昭和9年頃に流しをしながら二人で励ましあって頑張ったという)で、岡晴夫さんが歌手として先に売れ始める。戦後間もなく次々にヒット曲を出し続けていた岡晴夫さんだったが、昭和25、6年頃から歌が売れなくなった。上原さんがそんな岡さんに昭和30年にこの歌をプレゼントする…この歌のヒットで岡さんは再びカムバックする。そして昭和40年に上原げんとさんは心筋梗塞で急死してしまう…上原さんの葬儀の弔辞に岡晴夫さんは遺影の前で泣きながらこの「逢いたかったぜ」を絶唱したという…岡さんは昭和45年に亡くなる。

 

コロナ禍の中でなかなか飲み屋さんに出かけて飲むことができません…だからオンライン飲み会が流行っているという。リモートにZOOMとか今まで聞いたことない言葉があっちこっちから聞こえてまいります。新型コロナウィルスのワクチンの薬ができるまでは、私たちの生活様式もままにならないけど…さっき岡晴夫さんの映像を見つけました。画像はあんまり良くないけど、この時の一ヶ月後に大阪の舞台で亡くなったそうです。そう思ってこの映像を見ていると、友人の上原げんとさんのことを思いながら歌っているんだなあと思います(合掌)

ちなみに、最初に聞こえる女の人の声は、島倉千代子さんだそうです…

 

 

 

 

もう30年以上前の話ですが…あるベンチャー企業の社長さんから「コジマさんは何回失敗したら諦めますか?」と聞かれて…3回じゃ少なくすぎるから10回って答えた。その社長さん笑って「コジマさん1,000回失敗してみてください。きっと何かが見えてきますから」・それから30年間失敗の連続の毎日ですが、そういう意味では、1,000回はとっくに通り越して10,000回は越えたかな?(単純計算で365日×30年=10,950回)今日もさっき作業しながら失敗しちゃいました。

 

ところで昨晩読んだ幸田露伴の「努力論」の中にこんな文章がありました。「世間で自力のみで新しい自己を造って年々歳々に進歩していく人は非常に少なく、やはり他力に頼って、そして進歩していくいく人の方が多いのである。が、自ら新しい自己を造らんとすることは実に高尚偉大な事業であって、たといその結果は甚だ振るわざるにもせよ、男らしい立派な仕事たるを失わぬのである。いわんや百川海を学んで海に至るであるからして、その志さえ失わないで、一蹶(けつ)しても二躓(ち)しても三顛(てん)四倒しても、起上がり起上がりして敢えて進んだならば、鈍駑(どどん)も奮迅すればあに寸進なからんやであるからして、必ずや一年は一年に、一月は一月に、好処に到達するに疑いはないのである。」

そして露伴は最後にこう述べております。「みずから新しくせんとする人が少なくなれば国は老境に入ったのである。現状に満足するという事は進歩の壮絶という事を意味する。現状に不満で未来に懸望して、そして自ら新たにせんとするの意志が強烈であれば、即ちそれがその人の生命の存する所以なのである。」

ちょっと難しかったけど要するに『つまづいてもしくじってもひっくり返り倒れたとしても、何度もなんども起き上がって前に進んでいけばきっといいことが待っている』と信じて…

 

ちなみに、蹶(けつ)はつまづくこと。躓(ち)はしくじること。顛(てん)はひっくり返ること。鈍駑(どどん)は才知がなくにぶいこと。

 

 

 

 

今朝は渥美清さんのこの歌で…

 

上を向いたら きりがない
下を向いたら あとがない
さじを投げるは まだまだ早い
五分の魂、泣いて、泣いてたまるかヨ~
夢がある

 

 

今コロナ禍で大変の中で、どさくさ紛れの火事場泥棒とまで云われている検察庁法改正案が今日は見送りとさっきニュースで流れておりましたが…あの手この手にその手があったか…ごまかしたり、嘘はいけません、一つの嘘を隠そうとして、どんどんとその嘘が網の目のように広がって最後には収拾がつかなくなると先人の多くが語っております。

地道でも真っ当に生きて行く…今晩も山本周五郎の小説でも読んで心おだやかに…と思う今日であります(合掌)

なるべく人と会わないようにしていればコロナウィルスの感染を防げるかもしれないが、商売をしていればそうもいかないしね。ここは立ち止まって様子を見ながらじっくりとしていたいのだけれど、自転車操業の我が身なれば…左右に補助輪つけてフラフラしながらでもちょっとづつ前に進めていくしかありません、格好の悪さを気にしている時じゃないからね…ポンコツ補助輪でもなんでもいいから手に入るものはすぐに見つけてくっつけてみます。群馬県は山本一太知事が緊急事態宣言の解除の先送りを西村大臣にお願いをしたと昨日記者会見をしていました。新型コロナウィルスとは当分の間共生しながら行くしかありませんか…ワクチンや薬ができるまではね…