お茶にいたしましょう… | 繭家の人生こぼれ繭

繭家の人生こぼれ繭

人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

先日、蚕糸・絹業関係者から悲鳴の電話が入った…生糸が手に入りづらくなった。何十年間も取引をしてるのですが…世界遺産になった途端に、値段は高くなるし…だれかが買い占めでもしているのですかねえ~と、ため息まじりで皮肉って話していましたが、私も同感でありますよ。猫も杓子も世界遺産世界遺産ですから、高く買う人がいれば、誰でもいいんでしょうね…売れればいいが横行していますからね…
けっして負け惜しみで言っているのではないですけど…私の本業は糸繭商なんです。でも誰も興味がないみたいですよね…だから蚕糸・絹業で仕事をしてきた人たちから悲鳴があがるのも当然のことでしょうね…

昨晩、岡倉天心の『茶の本』を久しぶりに読んでみた。

道教徒はいう、「無始」の始めに於て「心」と「物」が決死の争闘をした。終に大日輪黄帝は地と闇の邪神祝融(しょくゆう)に勝った。その巨人は死苦のあまり頭を天涯に打ちつけ、硬玉の青天を粉砕した。星はその場所を失い、月は夜の寂寞たる天空をあてもなく彷徨うた。失望のあまり黄帝は、遠く広く天の修理者を求めた。探し求めた甲斐はあって東方の海から女蝸(じょか)という女皇、角を頂き龍尾をそなへ、火の甲胃をまとって燦然たる姿で現はれた。その神は不思議な大釜に五色の虹を焼き出し、支那の天を建て直した。併しながら、又女蝸は蒼天にある二個の小隙を埋めることを忘れたと言はれている。斯の如くして愛の二元論が始まった。即ち二個の霊は空間を流転して留ることを知らず、終に合して始めて完全な宇宙をなす。人は各々希望と平和の天空を新たに建て直さなければならぬ。 現代の人道の天空は、富と権力を得んと争ふ莫大な努力に依って実際に粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷うている。知識は心に疚しいことをして得られ、仁は実利の為に行はれている。東西両洋は、立騒ぐ海に投入れられた二龍の如く、人生の宝玉を得ようとすれどその甲斐もない。この大荒廃を繕ふために再び女蝸を必要とする。我々は大権化の出現を待つ。(岡倉寛三著『茶の本』より)≫


そして岡倉天心はこうも言っておるのですよ…
まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟(しょうらい)はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。(松籟/松の梢(こずえ)に吹く風。また、その音)

美しいとりとめのないことをあれやこれやと今朝の繭菴の庭でお茶を飲みながら考えてみましょうかね…この蹲い(つくばい)は私と友人の高井君と昨年一年がかりでつくりました…だんだんと苔むしてきて落ち着いてまいりました。
今の富岡をみていると当分の間は静かにするしかないみたいですね…私のようなはずれ者は(ガクン…)