この町のカタチ4 | 繭家の人生こぼれ繭

繭家の人生こぼれ繭

人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

BS日テレで放送している番組で『小さな村の物語』というのがあります。イタリアの小さな村に暮らす人々の人生模様が紹介されているんです。そして淡々と語る三上博史のナレーションもいい。その中で私が胸キュンとなるのが、この番組のテーマ曲なんです。オルネラ・ヴァノーニが歌っている(「逢いびき」アランドロンのサムライの映画主題曲)この曲がいいんです…

この歌を聴きながら下記のブログを読んでみて下さい…

イタリアの町や村の空気が美しい映像で伝わってきます。海を臨む小さな漁村、山肌にはりつくように佇む村、雪に覆われた山間の寒村…気候や風土に逆らわず、共存しながら暮らしている人々。先人たちが築き守ってきた伝統や文化を誇りに思いながら生きる。人間本来の暮らしが息づく「小さな村」が主役なんです。古き良き歴史と豊穣の大地を持つイタリアで、心豊かに生きる人たち。美しく暮らす 美しく生きるとはどういうことなのか。私たちが忘れてしまった素敵な物語が、小さな村で静かに息づいていました。番組ではありのままの時間の流れを追い、村人たちの普段着の日常を描いているんです..。

美しく生きるということ…答えはきっとありません。でも、村人たちの笑顔が「本当の大切なもの」を教えてくれます。 

この番組を見ながららいつも思うことがあるのです…世界遺産っていったいなんなんだろうかって…気候や風土に逆らわず、共存しながら暮らす。先人たちが築き守ってきた伝統や文化を誇りに思いながら生きる。だとすれば答えはあるのですよこの町には…下記は私が大事にとってある新聞記事の切り抜きです。

『最古にして最新の繊維 絹』日本農業新聞
昭和46年11月23日、勤労感謝の日の特番としてNHKテレビは「絹誕生」を放映した。この番組のプロデュサ-である御生亮弐氏の取材後の感想を改めてここに披露してみたいと思う。
取材は期間の関係もあり養蚕だけに限った。春の不純な気候の中で寒さや蚕病を気づかう稚蚕共同飼育所に働く農家の人々、幾たびと繰り返される給桑、多忙をきわめる上族、そして収繭。そこには蚕を慈しみ心配する農家の主婦の顔があり、背にのしかかる桑の重みにゆがめられた農家の主人の顔があった。撮影を終えてもう一度考えてみる。
「絹はなぜ尊いのか」。絹と化学繊維の決定的な違いは何か。命を持った蚕と桑があり、桑は蚕体をとおって白い糸に変わった。その変化を助けたのは土や水、空気であり地球にふりそぞく太陽光線であり、地球全体の泉流的な財産であった、そして生命の持つ不思議なエネルギ-と泉流資源との大いなる結合に介在し、働きかけたのは農業を営む人間であった。石油から取れる化学繊維も自然の産物であることには変わりはない。何万年も何億年も地中で醸成された石油を、人間はわずかの歴史の間にほしいままに掘り起こし、そこから人類の数々の富を得た。しかし、そこには生命と泉流資源との結合や自然に対する人間の働きかけ、語りかけはなく、あるのは地球資源の収奪だけである。これらの人間の所行の結果が環境汚染につながることは周知のとおりである。
自然の秩序を保ちつつ積極的に自然に働きかけ、長い歴史をかけて人間の知恵と情熱と愛情によって得られた「絹はなぜ尊いのか」という素朴な質問に対する回答はどうやらこの辺りにあるらしい。